文芸記者のセンスを疑う
2014年年1月17日
「芥川賞の文芸記事の不思議」(9月2日付け)というブログを以前、書きました。わたし自身が系列の出版社に出向していた経験がありますので、多少、遠慮がちのタイトルにしておきました。「第150回、芥川賞、直木賞受賞者決まる」(女性3人)という今朝の朝刊各紙を見て、また同じ趣旨のブログを書くことにしました。腹が立ったので、見出しは「芥川賞のバカ騒ぎ」と過激にしました。
断っておきたいのは、文学賞の存在、芥川賞、直木賞そのもの、作品の文学的価値そのもの、受賞された作家の方々を批判しているのではありませ。芥川賞、直木賞となると、突然、大騒ぎして、紙面で大扱いをする文芸記者のセンスというか、文化部の編集方針を問題視しているのです。わたしの周辺のひとたちの多くが同じ感想を持っていますよ。
結論からいうと、文芸春秋社の巧みな話題つくりにのせられているのか、文学的価値とは無関係に毎回、同じような大きさの紙面を割き、作家の受賞にいたるまでの苦労話、作品のあら筋、選考委員のコメントを紹介するセンスのなさを反省してくれ、ということです。いわばこの2賞の報道は年中行事化しているのです。一年に2回、授賞者を出していますので、年中行事以上でしょう。かなり無理して年2回の受賞者と決めていると思われるのに、文芸メディアは律儀に付き合っているのです。新聞社には書籍広告狙いという意図がある程度あるのかもしれません。それにしても、NHKまでも、昨晩のニュースで紹介していたところをみると、広告狙いという解釈はうがった見方でしょう。
今回は150回という節目ということもあって、朝日新聞は一面に受賞作家の大きな写真入りの記事、社会面にも関連記事を掲載するという大サービスです。読売は第二社会面トップ(右肩の位置のこと)、毎日も社会面、経済専門紙の日経までも第二社会面トップで、毎回、同じパターーンです。芥川賞、直木賞を受賞したものの、いつの間にか忘れられていく作家も多いことでしょう。もっとも文学賞を受賞すれば、孤独で苦労の多い作家修業の励みになるし、勲章になります。受賞作品を手にする読者もおり、文学振興には役立ちます。わたしが出向していた出版社でも二つの文学賞をもうけていました。文学賞そのものは有用な存在でしょう。
わたしがいいたいのは、新聞社や出版社には多くの文学賞があるのに、芥川賞、直木賞以外は、いつ誰が受賞したか見落とすような小さな扱いしかしないのはおかしいということです。さすがに新聞社や出版社は自社ものは紙面、雑誌では大きく紹介するものの、他社は冷淡です。このなかには、文学史に名を残す作家、作品は少なくないでしょう。文壇への新入生を決める芥川賞、直木賞より文学的価値が高いケースが多いことでしょう。
もうひとつ申し上げましょう。外国にも有名な文学賞があります。ブッカー賞(英)、ゴンクール賞(仏)、カフカ賞(チェコ)など、いくらでもあります。どんな作家がいて、どんな作品が今の時代をどのように考えているのか知りたいのですよ。芥川賞、直木賞の話より、ずっとこちらのほうが価値ある記事になります。ノーベル文学賞を日本人が受賞したり、候補になったりすると、大きな扱いをしますがね。経済も政治も安全保障も文化もグローバル化している時代なり、作家の目は世界をどう見つめているかに関心があるのに、日本の文芸メディアは国内の小さな、小さな文壇しか見つめていないのです。
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