目立つ無神経な表現
2014年1月20日
沖縄の名護市長選で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する現職市長が再選されました。日本の安全保障にとって極めて重要、かつ機微に触れる問題であり、沖縄の複雑な県民意識を今後、どう考えていくべきかという問題でもあり、各紙は一斉に社説に取り上げました。社論は、移設派と反対派の真っ二つに割れています。
書き方がもっとも難しいテーマです。一刀両断にばっさり書いている社もあれば、自社の主張は書いてみたものの、本音では、その通りにいくのかなと、懐疑的になっている様子がうかがえます。移設反対派は朝日、毎日、東京新聞、これに対して推進派は読売、産経新聞などです。
気になったのは、乱暴、粗雑な表現が目立つことです。東京新聞は「辺野古、強硬は許されぬ」という見出しで、本文には「反対意見が多数を占めるのにもかかわらず、(移設を)押し付けるのは民主主義国家と言えず、どこかの専制国家と同じだ」というくだりがあります。北朝鮮あたりを念頭に置いているのでしょうか。選挙をきちんとやり、推進派もその結果をどう受け止めていこうか考えているところなのに、なぜ「専制国家」なのでしょう。日本と比較してもらった北朝鮮はきっと喜んでいることでしょうね。「米軍基地負担は沖縄県民が受け入れて当然という、本土側にある、どこか人ごとの空気だ」というのもいかがでしょうか。沖縄の基地問題の難しさを人ごとのように、考えている国民は少ないでしょう。
毎日新聞は「移設反対の民意生かせ」の見出しです。「日米安保体制の受益者である私たち国民の一人一人が自分の問題ととらえ、解決策を模索すべきだ」と、主張します。一見、いいことをいっているようなこの表現は偽善的です。では、どんな解決策をこの新聞は考えているのでしょうか。「米軍基地と振興策を取引するような姿が発信されたことは屈辱的」との県議会決議を紹介しています。政府が提示した毎年3000億円の振興予算のことで、仲井真知事も高く評価し、そこまで考えてくれるならと思い、辺野古沿岸部の埋め立て承認に踏み切った話です。政府側の努力、苦労をもっと評価すべきでしょう。
朝日新聞は「辺野古移設は再考せよ」の見出しで、書き出しは「地元が出した答えは明確なノーだった」です。「明確なノー」なのでしょうか。移設反対派の稲嶺氏は2万票弱、推進派の末松氏は1万6千票弱で、推進派もかなり票を集めたという印象をうけます。知事自身も容認派に変わりましたし、沖縄振興予算を評価する地元のひともかなりいるのではないですか。
さきほど偽善的という表現を使いました。朝日は「政府は県外移設も含め、もう一度真剣に検討し直すべきだ」、東京新聞は「国外、県外移設に切り替えたほうが早道だ」といいます。鳩山元首相の「国外、県外へ」発言にさんざんふりまわされて、あちこち候補地を探した末の辺野古移設案です。こういうのを、上滑りした言葉だけの提言というべきでしょうか。
推進派にも問題があります。産経新聞の見出しは「辺野古移設ひるまず進め」です。これはいけませんね。無神経です。沖縄県民の神経を逆なでするだけでしょう。もっとも「沖縄は国の守りの最前線に位置する」という指摘は大局的でいいと思います。読売は「普天間移設は着実に進めたい」との見出しで「日本全体の安全保障にかかわる問題を、一地方選の結果で左右されるべきではない」と主張します。その通りでしょう。もっとも「市長の権限を乱用し、工事を妨害する行為は自制してもらいたい」は言葉が乱暴です。沖縄が置かれてきた歴史的経緯、本土に対する複雑な県民意識を思うと、丁重な気配りが必要です。
読売の2面に「地方選を悪用するな」という解説コラムが載っています。「地方の首長選で国政の課題を争点化することはなじまない」と指摘しています。地方自治法の解説もしています。都知事選で原発問題を脱原発、原発ゼロを争点にしようとする動きを批判するなら分ります。これと過重な基地集中にあえいできた沖縄の市長選を同列に論じたら、逆効果でしょう。
東南アジアの安全保障環境、沖縄の米軍基地が果たしている役割、過重な負担を強いられてきた沖縄県民の意識、予定通り辺野古への移設を進めていく上で沖縄県民の理解を得るにはどのような努力が必要なのかといった大局観のある社説を読みたかったというのがわたしの結論です。
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