病根の本質に迫らず
2015年4月4日
朝日新聞社は従軍慰安婦、原発事故報道の捏造、誤報問題で創刊以来の危機に直面しています。その朝日新聞の記者有志が「朝日新聞」(文春新書)というタイトルの本を出しましたので、さっそく読んでみました。捏造、誤報の背景に反戦平和、反原発というかねてからの論調があり、それを反省、批判しているのかなと思いましたら、まったく違うのですね。
遊軍記者か週刊誌記者が書くようなこなれた文章で、生々しい描写が随所にでてきます。朝日批判の急先鋒の週刊誌を売り物にする出版社から、よくまあ出版したものだというのが最初の印象です。「記者有志」という著者はだれなのか実名を名乗っていません。恐らく社会部を中心とする相当な不満分子で、一連の改革に納得がいっていない記者たちでしょうね。
新体制を「超軽量級」と斬り捨て
渡辺社長(大阪社会部出身)、飯田会長(販売出身)の新体制を「超軽量級」と酷評しています。苦渋の末の選択なのに、簡単に斬って捨てています。東京本社の政治、経済、社会部を中心としてきた朝日新聞では、創刊以来まずなかった出身母体からのコンビです。よほど新体制に不満があるにせよ、「超軽量級」と言い放つところに筆者のエリート意識が漂っています。
肝心の大誤報の背景については、「危機の本質はイデオロギーではなく、企業構造にある」と指摘します。具体的には「硬直化した官僚主義」、「記者たちの肥大した自尊心」、「自己保身のせめぎ合い」、「社内の権力闘争」にあるといいます。ここらあたりが不祥事の根源とすれば、他の業界の名門企業にもあり、何も朝日新聞に限ったことではないのに、という印象をわたしは持ちます。本当の病根ではなく、企業体質に目が向き過ぎていますね。
「論調より確認作業が問題」
慰安婦報道の吉田証言(軍による強制連行を自分が実行したとのニセ証言)の誤報、原発の吉田調書捏造(現場所長の命令に違反、所員が原発撤退との報道)の原因は「裏取り(裏づけ取材)をしたかどうかという確認作業のずさんさの問題だ」と、指摘しています。慰安婦をめぐる悲惨な物語が朝日新聞の反戦平和主義のツボにはまった、原発事故をめぐる話は反原発の論調にはまったと思い込み、それこそが確認作業をおろそかにした本当の原因だとわたしは思います。
朝日の過剰なエリート意識を批判しながら、筆者たちもそれに染まっているように見受けられます。「かくも優秀な人材を大量に集めておきながら、エネルギーを社内闘争で消耗」、「民間における最難関の採用試験」といった表現は、自社のことをそこまで言うかね、ですね。
「読売憎し」がありあり
読売新聞憎しの気持ちも相当、強いようです。「読売の記者は皆、社内民主主義や言論の自由への幻想を最初から持ち合わせていない」、「朝日の記者は読売を別のカテゴリーの大衆紙とみている」とは、いくらなんでも言いすぎでしょう。こういう表現は、読売に対するある種のコンプレクスの裏返しと解釈したほうがいいのかもしれません。
日経新聞を見下したい気持ちも強いらしく、「わが社は総合情報産業であって、記者に求めるのは正確なデータだけだと、日経幹部が発言した」という箇所があります。そういう側面はあるにしても、それが日経の全体像ではないでしょう。
とばっちりを受けたのが、著名評論家の田原総一郎氏です。原発所長の証言捏造報道の直後、当時の朝日社長が「これこそ第一級のスクープ」と、社内で持ち上げました。田原氏は「他紙が朝日のスクープを追いかけないのは、抜かれたことに対する嫉妬心のむき出し」と書いたと、この本は紹介(実際に書いていた)しています。本当の事実(結局は捏造)を知らないで、ありそうなことを想像して、もっともらしいことを世間に発言するタイプだとの評価でしょうか。
明日の新聞社像こそ必要
朝日の販売部数は激減しています。2010年に800万部を超えていたのに、14年10月には702万部に落ちています。消費税引き上げのほか、昨年秋には慰安婦・原発報道批判から20万部、減ったそうです。新聞販売店への押紙・積紙(読者に売れていない新聞のむだな滞貨)が大量にのぼり、消費税の引き上げ時の前後に整理(発行・販売部数の削減)したことが100万減の大きな原因とみられます。これは新聞界共通の問題でもあります。せっかく外部機関による「朝日新聞の経営分析」という章を設けながら、合理化、効率化が遅れている販売慣行を掘り下げていません。
この本を読んだ新聞社志望の学生の多くは、きっと失望していることでしょう。事実に迫り、発掘する取材力、あふれかえる情報に対する分析力など、新聞社の機能は社会にとって不可欠です。情報過多時代における新聞社の将来像をもっと提示して欲しかったですね。
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