気になってしょうがない日本語のひとつが「大国」です。あちこちで「大国」という言葉が登場するのです。いい加減にしてくれと言いたくなります。
「大国」という言葉を乱用するなと、改めて言いたくなったのは、ある経済紙夕刊に載ったコラムを読んだからです。「日本がめざす新たな大国は技術大国だ」、「もうひとつは精神大国だ」というのです。
前者は「技術立国」、後者は「高い精神性を重んじる国」という意味を筆者はこめており、そのことには異議をとなえません。そういう表現ではパンチが効かないと考え、「大国」という言葉を使ったのでしょう。
同じ新聞に載った最近の記事の見出しに、「水素大国」日本の夜明け、というのがありました。水素に立脚した社会を日本は先取りしている、先取りしていこうというのです。それはいいでしょう。それにししても、わざわざ「水素大国」という表現に違和感を覚えませんか。
歴史学者、ポール・ケネディの著書に「大国の興亡」があります。この「大国」は世界帝国、もしくは超大国という意味でしょう。現在では、アメリカや中国は「超大国」か、もしくはそれに近い「大国」でしょう。この使い方はいいでしょうね。
中国と日本を指して「世界2位と3位の経済大国」という表現にも、よくお目にかかります。他国が日本を「経済大国」と呼ぶならともかく、みずから「経済大国」と名乗るのはいかがでしょうか。経済規模は世界3位でも、デフレに悩み、「大国」とは程遠い状態でしょう。
さすがに日本の政治状況からみて「政治大国」という表現はまず聞きません。同じように日本は「経済大国」と呼ばれる資格はありません。
宮沢政権の時だったでしょうか、「生活大国」が国家目標になりました。経済成長一本やりではなく、生活の質の充実を目指そうということでした。この経済政策の方向性はよくても、「生活大国」を海外向けに翻訳するに際し、的確な英語がなく、担当者は頭を痛めておりました。
戦前、日本は一等国になろうと掛け声がかかりましたね。今から思うと、いやな言葉でしたね。「大国意識」はそのころからのことでしょうか。よくわたしには分りません。
英語では「大国」を、「super power」というのでしょうか。最強の国際的影響力、外交力、政治力、軍事力などを兼ね備えた国をさすのでしょう。 傲慢な国に踏みにじられえる「小国」であってはなりません。「中小国」であってもなりません。それとの対比で「大国」の意味を考えることは必要です。
安易に「大国」という言葉を使う風潮は、外交、軍事、政治、経済の全体像を描いて国家としてどうあるべきかを、真剣に考えていないからでしょう。そう思うのはわたし一人ではないでしょう。
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