ドラマさながら、3者3様の違い
2014年10月9日
台風一過の10月7日、ノーベル物理学賞を3人の日本人が受賞しました。超一級の学者にはもともと強烈な個性が備わっているにしても、今回の3人ほど見事な対比をみせてくれたことは稀でしょうね。わたしはテレビニュースの報道を食い入るように見つめ、新聞はなんども読み直しました。青色発光ダイオード(LED)という身近なテーマへの関心以上に、3人の人物の対比があまりにも面白く、科学への興味をかきたてられ、科学の大切さを再認識した人も多いでしょう。
人物の印象をたとえれば、3人は「結晶、書生、野武士」になります。 透明な結晶のさわやかさを持った赤崎勇さん(名城大教授)、一時代前の書生の風貌そのものを備えた天野浩さん(名古屋大教授)、時代劇にでてくる一徹の野武士の雰囲気を漂わす中村修二さん(カリフォルニア大教授)と、バラエティーに富んでいます。明らかに会社人間のイメージではないし、気品や品性を感じさせない人が多い政治家とも違いますね。
スウェーデンから第一報を受けた時の様子も、まるで違いました。赤崎さんは「研究室で書類を片づけしている最中に電話で受けた」と、たんたんと語りました。中村さんは「午前2時、電話が鳴った瞬間、きたな、と思った」と述べ、待っていたぞ、やったぞ、という心境のようでしたね。天野さんはなかなか登場しません。あまりに空白が長かったので、心配になりました。テレビニュースでは、気をきかせて「まだ連絡がつきません」とくらい、いうべきでした。
やっと分ったのは、フランスに出張中で、事務局も連絡が取れていないというではありませんか。翌日でしたかやっと記者会見に臨み、夫人はロシア(シベリア)でボランティア活動、長男と長女は京都と東京の大学と、家族はみな別々なことがわかりました。こちらも「そうなんだ」と安心しました。赤崎さんは円満で伝統的な老夫婦の様子です。家族の姿もまちまちです。
偉大な研究、業績に至ったのは、中村さんは「怒りがわたしの原動力」というので驚きました。独創的な研究を最後まであきらめない中村さんに対する冷ややかな周囲の目、元勤務先の企業の無理解、さらにその会社との訴訟など、「怒りに震えた」そうで、いつか見返してやるぞ、ということだったのでしょう。それでも故人となった社長と直談判し、「5秒間で研究許可がでた」といいますから、救う神もいたのです。
天野さんは「赤崎さんが研究の先人」といい、赤崎さんとの師弟関係が偉業を生みました。大学院生のとき実験に成功し、きれいな結晶誕生という「ビギナーズ・ラック」(初心者に訪れた望外の幸運)をもたらしたと述べ、飾らず率直でした。その赤崎さんは幼少時代に父親が買ってきれくれた鉱物標本をみて「どうしてこんなに色が違うのだろう」と思い、その頃から鉱物が好きになったといいます。鉱物標本がノーベル賞への歩みの第一歩だったのですね。こどもの時に好奇心をかきたてることがいかに大切かを教えてくれます。
3人が歩んだ人生模様の違いに驚きます。こんな人物比較をしながら、日本が口先とは別に、いかに科学研究を優遇していないかを、今回の受賞ニュースは国際的に知らせてしまったことに気づきました。
日本は資源に乏しく、製造業の国際競争力もあやしくなり、これからは科学技術をますます盛り立てなければなりません。それなのに、優れた研究者を大切に扱っていないようですね。ノーベル賞の受賞者が会見で「怒りがわたし原動力」といったようなことは、恐らく、これまで例がないでしょう。中村さんの発明の対価訴訟で、裁判所は日亜化学に200億円の支払いを命じたのに、8億円で和解しました。これで企業は助かったのに、米国の大学に移った中村さんを企業秘密の漏洩で訴えることまでしたといいます。国際的な恥さらしですよね。世界的頭脳を粗末に扱っています。
もうひとつ、天野さんがフランスで会見中に、「ごほうびに帰国の飛行機をビジネスクラスに格上げにしていい」と、大学から連絡がちょうど入り、そのシーンも放映されてしまいました。これには二度、驚きました。超一級の学者の海外出張にエコノミーを使わせているなんて、それはないよ。しかも格上げするなら、ノーベル賞受賞の先生ですから、帰国はファーストクラスです。これもないよ。国際的な恥さらしでした。
最後にノーベル賞そのものへの評価です。今回の物理学賞といい、化学賞といい、医学生理学賞といい、人類の発展に貢献してきたと思います。その一方で、やめてもらいたい部門があります。まず平和賞です。選考基準が恣意的で、後に受賞が間違いだったとされることが何度もありました。最近では、憲法9条が候補になっているとかいわれ、ある種の人たちを喜ばせたりで、困ったものです。次は経済学賞です。米国人やユダヤ系学者の授賞が圧倒的に多く、選考基準が偏っています。金融経済、マネー経済の暴走に力を貸した理論も受賞しました。もっとも、こうしたおかしな賞があることで、他の賞の尊さ、輝きが実感できるのかもしれませんね。
専門家には「専門ばか」と「ばか専門」とがあることに注意しなくてはなりません。