報道の自由が泣く
2014年10月5日
男性めぐるパククネ大統領のスキャンダルめいた「うわさ」を、産経新聞のソウル支局長が地元紙の報道をなぞって記事にし、自社サイトに掲載したところ、名誉毀損で訴えられました。どうでもいいような話なのに、支局長を検察に出頭させ、事情聴取、出国禁止にするに及んで、波紋が広がり、「報道の自由への圧迫」、「言論の自由の重みの侵害」など騒ぎが大きくなってしまいました。こんな話は地元紙か週刊誌に任せておけばいいのです。
世界中に伝えられた旅客船セウォル号の沈没事故が発生した当日、大統領が男性と会っていて、その空白の7時間が事故対応の遅れにつながったとの「うわさ」です。真偽は分りません。大統領側が感情的になり、記事を書いたソウル支局長が刑事事件の対象にされ、東京への異動が発令されたのに、帰国できないでいます。
日韓関係がぴりぴりしているからこそ、さらに旅客船の事故対応の遅れは政治的指導力のなさにあると批判されてきたからこそ、「うわさ」にニュース・バリューがあると、産経は考えたのでしょうか。慰安婦問題で日韓関係がこじれているからこそ、日本のメディアも関心をもったのでしょうか。記者への弾圧につながる重大事件だと考えたのか、この問題は朝日新聞や読売新聞の社説にまで登場しました。
どこに最初の問題があるのかといえば、まず大統領側でしょうね。韓国国内で多くのひとが知っているであろう「うわさ」を報道したことに大統領本人が立腹し、検察も本格的に刑事責任を追及し、執拗な捜査する裏には大統領府の意向が働いているとみられています。日本嫌い、とくに産経嫌いの韓国ですから、産経の記事を黙殺するわけにいかないとの判断でしょう。大統領側の反応は、いかにも幼いですね。
日本側、さらにメディア側からこの問題をみると、どうでしょうか。政治的リーダーのスキャンダルを好んで取り上げる次元から、メディアは卒業しなければなりません。米国の大統領だったクリントンの場合は、研修生の若い女性とホワイトハウス執務室の別室で、いかがわしい行為をしていたので、場所柄を含め、さすがにメディアをあげて追及しました。フランスでは、政治家のセックス・スキャンダルが浮上しても、よほどのことでない限り、本人は「それがどうしたの」、「だからどうなの」と平然としているそうです。スキャンダルとは、別の尺度で政治家は評価すべきです。
産経には問題があると思いますね。いかにパク大統領が嫌いだからといって、そんな異性がらみの「うわさ」は、地元紙か週刊誌に任せ、わざわざ取り上げて書くべきではなかったのです。大統領を批判するなら、政治家の評価は政策能力で評価するという視点に立つ必要があります。
朝日新聞は「報道への圧迫、許されぬ」(9月3日)との見出しで、「記者を圧迫するかのような行為は権力の乱用である」、「言論の自由の重みについて、考え直すべきだ」と、指摘しました。読売新聞の見出しは「韓国は出国禁止を続けるのか」(10月4日)で、「人権と報道に対する姿勢が問われている」、「民主主義社会に不可欠な報道の自由が侵されかねない」、と大上段に構えました。いずれも主張していることはもっともであるにせよ、読んでいてむなしい気持ちになりました。
大統領の男性関係のうわさの報道がこの問題の発端です。言論の自由、報道の自由と結びつけて取り上げることに違和感と虚しさを感じますね。言論の自由、報道の自由は、重大な事件の核心、真実の核心に迫ることとの関係で考えるべき問題ですね。これでは「言論の自由」が泣いているのではないですか。
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