新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

全国紙の元記者・中村仁がジャーナリストの経験を生かしたブログ
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社説比較 特色がでる元日号

2014年01月08日 | メディア論

 激動する世界情勢

                    2014年1月8日

 

  新聞社を退社してからは、自宅で2紙、宅配してもらい、他の新聞はネットで閲覧します。主要紙に一応、目を通せますので、便利になりました。元日の社説はその新聞の編集方針を診断するのに役立ちます。

 

 わたしのいた新聞社では、1ヶ月ほど前から、元旦社説を含め、年末、年始の社説の主だったテーマを10本から15本ほどにしぼり、主筆主導のもとで担当者が事前説明し、論説委員の間で質疑の応答があり、主張の方向性を決めていました。論説委員個人の意見でなく、新聞社の主張なので社説というのです。新聞社によっては、担当者個人に自由裁量をかなり認めているところがあるようです。

 

 読売新聞はそうとう以前から、元旦社説は日本が直面する世界的課題、国内的課題を取り上げ、地面に杭を打ち込むような男性的な筆致で書く傾向が定着しています。朝日新聞は年末、年始にかけて多様な問題をテーマにするにせよ、元旦社説は、個人、市民の目線から見つめるという文体が多かったように思います。毎日新聞もどちらかといえば、朝日に近いでしょうか。産経も真っ向勝負の書き方ですかね。東京新聞になると、ニュース価値の判断基準がよく分りません。社会面に掲載するような記事を一面トップにすえたりする新聞で、社説の信頼度、安定度にばらつきがありすぎます。

 

 その東京新聞が新年(5日)のコラムに、日本に帰化した元米国人の日本文学者、ドナルト・キーンさんの記事を載せていました。「第二次大戦後、日本人は一人も戦死していない。素晴らしいことである。世界の宝である憲法を変えようとする空気にわたしは息苦しくなる」と書きました。文学者によくある印象的な記述です。世界は利害が対立し、軍事的な抑止力によってバランスが保たれているところがあります。「国家による暴力の軍事行動は国際間の問題を複雑化し、解決をより難しくする」ともおっしゃいます。そういう面は否定できません。キーンさんのような考え方の国ばかりで世界が成り立っていれば、平和主義でいけるのでしょう。中国の乱暴な覇権主義的行動などをみると、外交、軍事、政治、経済という多様な座標軸をもってのぞまなければならないと痛感します。

 

 わたしの知人がこのコラムをネットで紹介し、何人もが「いいね」というコメントを送り、賛同していました。キーンさんのような思考方法は「一服の清涼剤」とでもいったらいいのでしょうか、かなり賛同者は多いのです。「清涼剤」としては、それなりの効用があるからです。そのから先が問題なのです。冷戦構造の終結、米国への一極集中構造の崩壊、中国の急速な台頭を向かえ、世界の力のバランスは急激に変わりつつあります。キーンさんが言うべき相手は本当は、日本以上に中国や北朝鮮なのです。

 

 ここで本題に戻ります。朝日新聞の社説の見出しは「政治と市民ーにぎやかな民主主義に」です。「一面の枯葉を踏みながら歩く。静かな東京・小平市の雑木林。そこに都道を通す計画への異議申し立て運動が高まりを見せている」という情緒的な書き出しです。「ものごとを実質的に決めているのは、行政機関ではないか」という運動家の主張を紹介し、「行政府が膨大な情報を独占し、統治の主導権を握ろうとする。特定秘密保護法をめぐっても同じような構図があった」と社説は警鐘を鳴らします。シャープな指摘であると思うと同時に、言うべき相手は、この場合もやはり中国ではないのか、といいたくなります。

 

 昔の記者仲間で今も議論する会を続けています。主要紙の元編集局長はわたしに対し「君は国権主義者か」とよく罵倒します。わたしは「君は市民主義者か。国にしか市民の生命、財産を守れないことがある。問題は国権と市民主義のバランスだ」、と反論します。市民が自由を手にするためには、その代償として、一定の制約があることも知っておくべきだ」と、言い添えます。

 

 毎日新聞は「民主主義という木。枝葉を豊かに茂らそう」と、朝日と同じような詩的な見出しです。特定秘密保護法、国家安保戦略、靖国参拝などを批判しながら「政権に権力の源泉の数を与えたのは、わたしたち国民だ」と自省を促しています。「民主主義を一本の木になぞらえてみよう。その幹にあたるのが選挙と議会での多数決だ」と指摘し、「幹だけの木は侵食され、倒れてしまう。豊かな枝葉が幹を支え、大地に根を張ってはじめて、その木はすっくと立つことができる」と続けます。具体例の一つとして非営利組織(NPO)の活動を評価しております。確かにNPOは存在感をましています。問題の本質はNPOに向いている分野、国しかできない分野があるということでしょう。

 

 読売新聞は「日本浮上へ総力を結集せよ」との見出しです。アベノミクス、原発ゼロ路線の決別、安全な次世代型原発の新増設、日米同盟の深化による中国へのけん制、戦略的な対中政策、集団的自衛権の行使容認、東南アジア諸国との連携などに触れています。触れたテーマが多すぎて、その通りと思うところと、そうはなかなか行かないのではないかというところが混在しています。

 

 気になるのは、対中政策をめぐり、本音をさぐると、日米間に食い違いがあり、日本が期待するほど米国は真剣にならないのではないかという問題です。アベノミクスでは、金融と財政の一体化で財政体質が悪化しかねないこと、日銀の役割には限界があり、金融緩和が長期化した場合のコスト、リスクをどう考えるかといった問題があります。原発問題では、次世代型原発とは何を指し、いつ頃までに実現するのかが知りたいところですね。

 

 

 

 

 

 

 



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