共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はマーチ王スーザの誕生日〜《ワシントン・ポスト》

2022年11月06日 12時34分56秒 | 音楽
今日もまた、爽やかな秋晴れの日となりました。こうやって天候が安定してくれると、天気痛持ちの私としては助かります。

ところで、今日11月6日はスーザの誕生日です。



ジョン・フィリップ・スーザ(1854〜1932)はアメリカの作曲家、指揮者です。また、今やマーチングや高校野球応援ですっかりお馴染みになった



マーチング用チューバ『スーザフォン』の生みの親でもあります。

スーザは、ポルトガル出身で大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった父親と、ドイツ系の母親との間に生まれました。周囲に音楽があふれている環境の中で自然に音楽と親しむようになったスーザは、7歳のときには音楽の勉強を始め、楽器演奏のほかに声楽にも熱中しました。

あまりに音楽に熱中し過ぎて、1868年、13歳の時にすんでのところでサーカスのバンドに入団してしまうところだったスーザは父親が介入して事なきを得た後にワシントン海兵隊楽団に見習いとして入団し、1875年、20歳で退団してからはワシントンのオーケストラのヴァイオリン奏者および指揮者として各地を巡業していました。1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団からバンドリーダーに指名され楽団に復帰したスーザはその後12年間にわたって海兵隊楽団の第17代リーダーをつとめ、その間の1886年に作曲したマーチ《剣闘士》で初めて作曲家として成功しました。

その後も《ワシントン・ポスト》(1889)や《雷神》(1889)など、スーザの最も有名なマーチの多くはこの時期に書かれました。中でも《ワシントン・ポスト》は国際的な名声を得たため、『ワルツ王』と呼ばれたヨハン・シュトラウス2世をもじって『マーチ王』と呼ばれるようになりました。

1892年には海兵隊楽団の管理者であったデヴィッド・ブレイクリーの誘いで楽団を辞任してスーザ吹奏楽団を結成したスーザは、指揮者・コンサートの選曲者・作曲者・編曲者・楽団の管理者として多忙を極めました。同年9月26日にニュージャージー州プレインフィールドでスーザ吹奏楽団の第1回の公演を行ったスーザはそのまま全米各地への演奏旅行に出発しましたが、ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか何なのか、公演は必ずしも全てが成功したわけではなかったとされています。

1896年、スーザがヨーロッパで休暇を取っている時に、ブレイクリーが急死したという訃報を聞いて急遽アメリカへ帰国しました。その船の中で旋律が浮かんだというのが、後にスーザを代表する名作となった《星条旗よ永遠なれ》でした。

そんなマーチ王スーザの作品の中から、今日は《ワシントン・ポスト》をご紹介しようと思います。



《ワシントン・ポスト》は、スーザが1889年に作曲したアメリカの愛国的なマーチで、アメリカをはじめとした多くの国でスーザの最も有名な行進曲の一つとして親しまれている作品です。

アメリカの新聞社『ワシントン・ポスト』のオーナーが当時アメリカ海兵隊楽団長だったスーザに、紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を依頼しました。スーザはその依頼に応えて作曲し、1889年6月15日の表彰式で新聞名と同じタイトルのこの行進曲を初演しました。

曲については、某ビール会社のCMや高校野球の応援で使われていたこともありますから、改めてここでクドクド説明するより聴いていただいた方が早いと思います。8分の6拍子で書かれたマーチは弾むようなウキウキ感が満載で、正にマーチ王スーザの面目躍如と言っても過言ではない楽しい作品です。

ということで、今日はマーチ《ワシントン・ポスト》をお聴きいただきたいと思います。晴れ渡った秋晴れの空によく似合う、スーザの楽しいマーチをお楽しみください。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3年ぶりの《あつぎ鮎まつり》花火大会 | トップ | 立冬に聴くヴィヴァルディの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。