今日も暑かったですね。早朝に買い物を済ませてからは一歩も我が家から出ませんでしたが、窓越しに外の様子を見るだに本当に嫌になります…。
ところで、今日7月29日は
ロベルト・シューマンの祥月命日です。
実の姉や両親、親しい人たちや自分を評価してくれたメンデルスゾーンの死を次々と目の当たりにしたシューマンは、徐々に死の影におののき精神的に追い詰められていきます。それでも1949年秋、友人のフェルディナント・ヒラーが務めていたデュッセルドルフ市の音楽監督の後任の打診を受けたシューマンは、かなり迷ったあげくこの申し出を受けて1950年秋に赴任しました。
デュッセルドルフでは管弦楽団と合唱団を統率することになりましたが、次第にシューマンが大人数を指導する資質に欠けると判断されて、1853年には事実上解任されてしまいました。その挫折がシューマンの精神の不安定さに拍車をかけてしまったのか、翌1854年2月に妻クララや家族たちが目を離したほんのわずかの隙にガウンにスリッパという軽装のまま家を飛び出し、ライン川へ投身自殺を図ってしまいます。
たまたまその瞬間を目撃していた漁師によってシューマンは救出されましたが、シューマン夫妻の互いのの神経を刺激しないようにと、当時懐妊中のクララは面会を禁止されてしまいました。夫の病状を、親交のあったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムや弟子のような存在だったブラームスから又聞きで知らなければならなかったクララの心中は如何ばかりだったことでしょう。
1856年7月23日に危急を知らせる電報を受け取った妻クララは7月27日にシューマンのいる療養所に着き、遂に夫ロベルトと再会しました。しかし翌々日の7月29日、ロベルト・シューマンは46年の生涯を閉じました。
さて、そんなシューマンの祥月命日である今日は、珍しいヴィオラソロのためのオリジナル作品をご紹介したいと思います。それはヴィオラとピアノのための《おとぎの絵本》という曲です。
《おとぎの絵本》は、シューマンが1851年に作曲した唯一のヴィオラのための曲です。日本では《おとぎの絵本》と呼ばれていますが、ドイツ語のタイトルを直訳すると『メルヘン画』となるので、これは恐らく絵本の絵のことか童話の挿絵のことを示しているものと思われています。
この曲は、シューマンの着任と同時にデュッセルドルフの管弦楽団のコンサートマスターに招聘されたヴァイオリニストで、最初のシューマンの伝記を記した人物でもあるヴィルヘルム・ヨゼフ・フォン・ヴァジエレフスキの演奏を念頭に置いて作曲されたことが分かっています。ただ、シューマンがこの《おとぎの絵本》を作曲した意図と、何故ヴァイオリニストでおるヴァジエレフスキに敢えてヴィオラソロの曲を書いたのかは、シューマン自身が『家庭音楽に関心が向いていた』と語った以外のことは分かっていません。
16分音符の旋回の中でつぎつぎと和音の色が変わっていく第1曲、ギャロップの馬の足音を響かせながらすすむ第2曲、動き回るヴィオラに情熱的なピアノがつく第3曲、そしてシューマンならではの美しい歌で始まる第4曲と、次々と個性的で新しい世界が繰りひろげられます。正に晩年のシューマンが辿り着いた、室内楽作品の集大成のひとつと言っても過言ではないでしょう。
そんなわけで、シューマンの祥月命日である今日はヴィオラとピアノのための《おとぎの絵本》をお聴きいただきたいと思います。ユーリ・バシュメットのヴィオラとスヴィヤトスラフ・リヒテルのピアノとによる、ちょっと濃いめのアンサンブルをお楽しみください。