毎回書いていて嫌になりますが、今日も今日とて身体に堪える暑さとなりました。そんな暑さの中、今日はわざわざ都内まで出かけました。
やって来たのは、上野公園内にある東京都美術館です。今日はここで開催中の
《芸術✕力〜ボストン美術館展》を鑑賞しました。
本来ならば、この展覧会はボストン美術館開館120周年記念の2020年に開催されるはずでした。しかし、ご存知の通りあの頃は新型コロナウィルス蔓延防止対策としての緊急事態宣言の発令下だったこともあって中止を余儀なくされ、今年ようやく開催の運びとなったのです。
今回は『芸術✕力』をコンセプトに、様々な国や時代に時の権力者や富裕層によって醸成されてきた絵画芸術を紹介する展覧会です。そのためアメリカの美術館のコレクションでありながら、展示作品の殆どはヨーロッパや日本、中国のものとなっています。
会場に入ると真っ先に現れるのは、戴冠式の装束を身に纏ったナポレオンの肖像画です。しかし、何と言っても今回の目玉は『日本に残っていれば間違い無く国宝』との誉れ高い日本美術です。
先ず登場するのが、鎌倉時代に描かれた《平治物語絵巻》の『三条殿夜討の段』です。これは平安時代末期に起こった平治の乱を描いた絵巻で、その中でも最も劇的な場面を描いたのか今回の作品です。
藤原家一門のひとり藤原信頼と源氏の頭領である源義朝は平家一門による政権運営に不満を持ち、平清盛を始めとした平家一門が熊野詣に出かけた隙を狙ってクーデターを起こし、後白河法皇と二条天皇を幽閉することを企てます。絵巻は
夜討の一報を聞いて大慌てで三条殿に駆けつけんとする大臣や公卿、殿上人たちの牛車の群れで幕を開けます。
やがて三条殿になだれ込んだ信頼と義朝一行は、当時清盛寄りの政権運営に力を発揮していた僧侶の信西(しんぜい)を殺害し、
後白河院を三条殿から引き出して大内裏に幽閉するために八葉車(はちようのくるま)という高貴な方が乗る牛車に乗せます。その後、信頼の軍勢は三条殿に火を放ち、
御殿は紅蓮の炎に包まれます。
後白河院を三条殿から引き出して大内裏に幽閉するために八葉車(はちようのくるま)という高貴な方が乗る牛車に乗せます。その後、信頼の軍勢は三条殿に火を放ち、
御殿は紅蓮の炎に包まれます。
放火した後も荒くれ武士たちは、金目の物を強奪したり、抵抗する者の首をはねたり、逃げ惑う女房たちを凌辱したりといった狼藉の限りを尽くします。その間にも信頼たちは
八葉車に乗せた後白河院を取り囲んで、二条天皇の待つ大内裏へと向かうのです。
日本美術には『日本三大火炎表現』と呼ばれる3つの作品があります。1つ目は
八葉車に乗せた後白河院を取り囲んで、二条天皇の待つ大内裏へと向かうのです。
日本美術には『日本三大火炎表現』と呼ばれる3つの作品があります。1つ目は
京都市東山区にある天台宗の寺院である青蓮院に保管されている、平安中期に描かれた《絹本着色青不動明王二童子像(俗称『青不動』)》、2つ目は
出光美術館が所蔵している、平安末期に描かれた《伴大納言絵巻》の『應天門炎上』の場面です。そして3つ目がこの鎌倉時代に描かれた《平治物語絵巻》ですが、そんな素晴らしい作品が日本に無いということは残念でしかありません。
勿論、三条殿が燃え上がる火焔の表現も素晴らしいのですが、この《平治物語絵巻》の素晴らしさは画面全体にみなぎる緊張感と、それを表現するために凝らされた構図や人物配置のバランスの絶妙さです。法皇幽閉という歴史的クーデターの瞬間を画面に凝縮したこの作品は、手掛けた絵師の腕の確かさを物語っています。
もう一つの作品は《吉備大臣入唐絵巻》です。これは奈良時代に実在した吉備真備(きびのまきび・695〜775)が遣唐使として唐に渡り、そこで様々な嫌がらせ…いや試練を乗り越えていくという物語を描いたもので、今回は全4巻が勢揃いしています。
絵巻は
吉備真備が遣唐使船に乗って唐に渡るところから始まります。ところが、無事に唐に到着した真備は
その才覚を妬む唐の役人たちによって捕らえられ、一度入ったら最後、二度と生きては出られないという高い楼閣に閉じ込められてしまいます。
そこでの最初の嫌がらせ…いや試練は『文選(もんぜん)』という、とてつもなく難しい試験を受けることでした。すると、真備が閉じ込められている楼閣に赤鬼がやってきます。
実はこの赤鬼は真備よりも前に遣唐使として唐に渡り、
『天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも』
という有名な和歌を遺して唐の地で没した阿倍仲麻呂の霊だったのです。赤鬼の仲麻呂は居ずまいを正した人間の姿になって真備と対面し、策を練ります。
そして二人は楼閣から飛び出し
なんと空を飛んで宮殿まで向かいます。そして二人は
文選の内容について話している役人たちの話を物陰から聞き、いわゆるカンニングをするのです(言い方…)。
なんと空を飛んで宮殿まで向かいます。そして二人は
文選の内容について話している役人たちの話を物陰から聞き、いわゆるカンニングをするのです(言い方…)。
その後シレッと楼閣に戻った真備の元に
役人から遣わされた何も知らない試験官がやって来ます。そして試験を始めるのですが、真備は前夜のカンニングに基づいてことごとく答えてしまいます。
役人から遣わされた何も知らない試験官がやって来ます。そして試験を始めるのですが、真備は前夜のカンニングに基づいてことごとく答えてしまいます。
続いての嫌がらせ…いや試練は囲碁勝負でした。しかしここで問題が、何と真備は囲碁をやったことがなかったのです。
そこで真備は
楼閣の格天井のマス目を使ってイメージトレーニングをしました。そして役人から遣わされた囲碁名人との試合当日を迎えましたが、なかなか勝負がつきません。
楼閣の格天井のマス目を使ってイメージトレーニングをしました。そして役人から遣わされた囲碁名人との試合当日を迎えましたが、なかなか勝負がつきません。
それでも、囲碁をやったことのない真備の方が分が悪いことに違いはありません。そこで真備は
相手がちょっと目を離した隙に、何と相手の碁石を1個飲み込んでしまうという荒業に打って出たのです!
相手がちょっと目を離した隙に、何と相手の碁石を1個飲み込んでしまうという荒業に打って出たのです!
碁石が足りないことで試合に負けてしまった相手側は真備の不正を疑い、終いには真備に下剤を飲ませて無理矢理排泄させます。しかし真備は超能力を駆使して碁石を腹の中に留めて
彼らの追求を免れたのですが、お役目とは言え他人の下痢○の検証までさせられる彼らも気の毒といえばあまりに気の毒です(お食事中の方がいらしたらゴメンナサイ…)。
彼らの追求を免れたのですが、お役目とは言え他人の下痢○の検証までさせられる彼らも気の毒といえばあまりに気の毒です(お食事中の方がいらしたらゴメンナサイ…)。
どんなに嫌がらせ…いや試練を与えても答えてしまう真備に恐れおののいた使いの者たちは役人の元にとって返し、
「吉備真備ぱねぇっす!」
「吉備真備ぱねぇっす!」
と報告したのでした(なんかチャラくね…?)。真備の逸話としてはまだあるのですが、絵巻はここで終わっています。
《吉備大臣入唐絵巻》が作られた12世紀は、絵巻物の製作が頂点を迎えた時代です。この絵巻も当時の製作技術の高さが窺われ、恐らく絵巻物の収集をしていた後白河院の周辺の宮廷画家によって描かれたのではないかといわれています。
この他の日本美術の目玉は、江戸時代に増山雪斎が描いた《孔雀図》です。増山雪斎は伊勢長浜藩の藩主で本名を正賢(まさたか)といいましたが、芸術家たちのパトロンとなっただけでなく自身も絵の名手たる文人大名して筆をふるいました。
この《孔雀図》は二幅からなっていて、左幅は
孔雀と白孔雀に牡丹や海棠(かいどう)が描かれ、右幅には
二羽の孔雀と木蓮や薔薇の花が描かれています。観ていると
伊藤若冲の《動植綵絵》の孔雀を彷彿とさせるような絵ですが、それだけに雪斎の絵師としての腕の高さが垣間見える作品です。
こうした日本美術や西洋美術の他にも、様々な工芸品やジュエリーが出品されていました。中でも個人的に目を引いたのは
1725年にヤコポ・モスカ・カヴァッリによって製作された《キタラ・バッテンテ》というギターです。18世紀に作られたギターとしては珍しく真鍮製の金属弦が張られていて、螺鈿や象牙華麗に装飾された豪華なものです。
時節柄日時指定制のこともあって会場内の人数はかなり少なめで、ひとつひとつの作品をゆっくりと観賞することができました。見応えがあって会期も長いので、興味のある方は是非チェックしてみてください。