共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

わかりやすい《般若心経》訳本

2014年11月12日 23時52分22秒 | 日記
今日、たまたま立ち寄った和雑貨屋に、何故かこんな本が売られていました。《般若心経》の分かりやすい意訳と、釈迦の生涯や経典の成立についての疑問を、質疑応答のかたちで解説した本です。

通常、日蓮宗と浄土真宗以外の宗派では様々なシーンで読誦される般若心経ですが、殆どの場合は『観自在菩薩、行深般若波羅密多…』と本文が始まるため、「何でお釈迦様のお説法のはずなのに、いきなり『観音様が』って話になるわけ?」となって躓いてしまうことがあります。

実はこれは鳩摩羅什や玄奘三蔵の訳した『小本系』とよばれるもので、いきなり本文である『正宗分』というところから始まるためです。しかし、本来の般若心経はプロローグである『序文』、それから『正宗分』、そしてエピローグである『流通分』の三つの部分から成り立っているものなのです。

そういった意味で、この本は般若・利言訳の『大本系般若心経』を典拠としたものです。そのため、般若心経というお経が本来、お釈迦様が観音菩薩や弟子達を伴って霊鷲山(りょうじゅせん)に登って深い瞑想の状態に入られ、随行した観音菩薩も同じく深い瞑想に入られ、そのお釈迦様に対して弟子の一人で智恵第一と呼ばれた舎利弗(しゃりほつ)が質問しようかとためらっていると、瞑想状態のお釈迦様が舎利弗に「観音菩薩に聞いてごらん」と促したので、それに従って舎利弗が観音菩薩に質問をしたところ、観音菩薩がお釈迦様に代わって口を開いた…という『序文』、そして具体的なお説法としての『正宗分』、『空(くう)』の本質である真言を成り代わって説かれた観音菩薩をお釈迦様が讃嘆して、みんなで真言を唱えたという『流通分』という三つの部分からなる、一つのストーリーとして大変興味深い経典だということが分かって、大変面白い本でした。

また、この本の巻末には、江戸時代に文字を読むことが困難な人に向けて工夫された『絵心経』というものも収録されていて、『摩訶(まか)』がひっくり返した釜、『般若』が般若のお面、『波羅』がでっぷり腹と、なかなか工夫された日本人ならではのユーモアを感じられるものも掲載されていて、それを見るだけでも楽しめます。

バイ・インターナショナルという出版社から出ていますので、興味のある方は調べてみて下さい。
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