今日は雨こそ降らなかったものの、日が差したり曇ったりを繰り返す天気となりました。日が陰ると涼しい風が吹いて、体感的にも丁度いいくらいでした。
ところで、今日6月3日はビゼーの祥月命日です。
ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)は19世紀フランスの作曲家で、早世により断たれたオペラのキャリアにより、よく知られています。あまり成功に恵まれなかったものの、最後の作品となる《カルメン》がオペラ史の中でも最大級の人気と上演回数を獲得しています。
ビゼーは人生の大半を繰り返される喉の病気に苦しめられていました。ヘビースモーカーであり、1860年代半ばには出版社の編曲をこなすのに1日16時間も働いて、知らぬ間にさらに健康を害していたようです。
1868年には気管に膿瘍ができ、
「私は犬の様に苦しんでいます」
と非常に体調が悪いことを友人に伝えています。《カルメン》の仕上げに入っていた1874年にも再び、自身が「喉の扁桃炎」と称する深刻な発作によって身動きが取れなくなっており、1875年3月終わりにもさらなる発作を起こしていました。
この時《カルメン》の失敗という出来事に消沈していたビゼーの回復は遅く、5月には再び病気に伏せることになってしまいました。月末にはブージヴァルにある別荘へと赴いて少し調子を取り戻したものの、その翌月、6月1日に高熱と痛みに苦しめられ、さらに心臓の発作とみられる症状が追い打ちをかけてしまいました。
一時回復したかに思われましたが、結婚記念日にあたる6月3日の早朝に襲った2度目の発作が致命傷となって、そのまま逝去してしまいました。まだ36歳という若さでした。
ビゼーは死後しばらく忘れ去られた存在でしたが、20世紀に入ってから徐々に評価が高まっていきました。今では
「もしビゼーがもっと長生きしていたら、フランスのオペラ界はもっと違ったものになっていたに違いない。」
とまで言われるようになっています。
そんなビゼーの祥月命日である今日は、劇付随音楽《アルルの女》から第2組曲をご紹介しようと思います。
《アルルの女》はフランスの小説家アルフォンス・ドーデ(1840〜1897)の同名の短編小説で、それを1872年に舞台化して上演した際にビゼーによって作曲された全27曲の付随音楽です。後に付随音楽から編曲された2つの組曲が、一般には最も広く知られています。
内容としては『恋で命を落とす人間がいるかどうか』といったもので、最終的に嫉妬に狂った主人公が身投げして命を絶ってしまう…という、何とも救いのないものです。南フランスが舞台ということで、オーケストラの中でも
プロヴァンス・ドラムが印象的に使われています。
《アルルの女》の劇付随音楽はかなり小編成のアンサンブルのために書かれましたが、そこから後に第1組曲と第2組曲の2つが編成を拡張して編まれました。第1組曲はビゼー本人によるものですが、第2組曲はビゼーの死後の1879年に、彼の友人の作曲家エルネスト・ギロー(1837〜1892)の手により完成されたものです。
ギローは管弦楽法に長けていただけでなく、ビゼーの管弦楽法の癖についてもよく把握していました。そのため《アルルの女》以外の楽曲も加えて、第1組曲と同じような通常規模のオーケストラ編成で編曲しました。
第1曲:パストラーレ
弦楽器による堂々とした旋律の後、プロヴァンス・ドラムのリズムにのって木管楽器の軽やかなメロディの中間部につながります。
第2曲:間奏曲
重々しい序奏に続いて、アルトサックスが甘美なメロディを奏でます。このメロディは後に『アニュス・デイ(神の子羊)』というラテン語の歌詞が付けられた歌曲になっています。
第3曲:メヌエット
フルートとハープによる名旋律が印象的な優美な音楽で《アルルの女》組曲といえばこの曲!とまで言わしめる名曲です。しかし、実はこの曲だけは《美しきパースの娘》というビゼーの別の作品から転載されたものです。
第4曲:ファランドール
『王の旋律』という堂々たるメロディに続いて、プロヴァンス・ドラムに伴われた木管楽器群が祭囃子のように楽しげなメロディを奏でます。それがどんどん拡張されていき、最後には『王の旋律』と重なって最高潮の盛り上がりをみせて華やかに終わります。
この作品では、普段オーケストラでは使われることのないアルトサックスが印象的に使われています。特に第2曲『間奏曲』のメロディでは、アルトサックスならではの柔らかな音色が効果的に用いられています。
そんなわけで、ビゼーの祥月命日である今日は《アルルの女》第2組曲をお聴きいただきたいと思います。エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で、ビゼーの遺した名旋律の数々をお楽しみください。