今日1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。1995年に発生してから、今年で27年目を迎えます。
あの日、神戸市など4つの市と淡路島で震度7を観測した地震では約25万戸が全半壊、家屋の倒壊や家具の転倒による圧迫、火災などで6434人もの方々が亡くなりました。今でも、崩れるように倒壊してしまったビルや横倒しになってしまった高速道路といった衝撃的な映像を覚えておいでの方も多いかと思います。
発生時刻の午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1.17のつどい」では、訪れた人たちが時報に合わせて黙禱し祈りを捧げていました。今年、公園内に設置された約5千本の竹灯籠と紙灯籠とで描かれた文字は
『忘』でした。
実行委員会の方の話によると、27年もの歳月が過ぎた中で被災者ですら忘れてしまっていることがある…とのことで、改めて「忘れてはいけない」ということでこの字を選んだとのことでした。また『忘』の一文字を「わすれない」と読んでほしいとする一方、思い出すのも辛いから「わすれたい」という人たちの思いも寄せられているようです。
考えてみれば、2011年に発生した東日本大震災からも10年の歳月が流れています。つまりこちらでは、現在私が関わっている小学生たちは全員、あの大震災や巨大津波をリアルタイムで知らない子どもたちばかりなのです。
ましてや阪神淡路大震災から27年ともなれば、今やアラサー世代以下はあの大震災を知らない、若しくは覚えていないということになるのです。そう考えれば、灯籠で『忘』という字を書きたくなる気持ちもよく分かります。
忘れない方がいいのか、忘れてしまった方がいいのか…それをここで一概に論ずることは控えます。それでも今年、被災地神戸の人々がこの日に『忘』の一文字を書いたことの意味を、あの惨状を記憶している世代の人間として、ニュースを観ながら深く思わずにはいられませんでした。