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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

春雨に聴くブラームスのヴァイオリンソナタ《雨の歌》

2023年04月15日 17時30分35秒 | 音楽
未明からの雨ににあてられたのか昨日までの小学校勤務の疲れが出たのか、今日は自宅でグッタリしていました。昼前には和歌山県では岸田総理を狙ったテロ事件があったようですが、それを知ったのは夕方のニュースでした。

窓の外を見ると、相変わらず雨が降り続いていました。気温もあまり上がらず、スウェット上下が手放せない一日となりました。

こんな疲れのたまった雨の日に何をしようかと思ったのですが、今日は



ブラームスを聴いてみることにしました。曲は《ヴァイオリンソナタ第1番『雨の歌』》です。

この作品は1878年と1879年の夏に、オーストリア南部のヴェルター湖畔の避暑地ペルチャッハで作曲・完成されました。『雨の歌』の通称は、第3楽章冒頭の主題がブラームス自身による歌曲《雨の歌(Regenlied)作品59-3》の主題を用いているためですが、ブラームス自身はそう呼んではいません。

ブラームスは1879年2月16日に恩師ローベルト・シューマンの妻クララ・シューマンに送った手紙の中で、病床にあったクララの末っ子フェリックス・シューマンを見舞うと共に、この曲の第2楽章の主題を送っています(残念なことにブラームスが手紙を送ったその日にフェリックスは24歳の若さで他界してしまいましたが)。クララはその後、このソナタについて

「あの世にまで持っていきたい曲です」

と述べるほどの愛着を見せていました。

そんなわけで、今日はブラームスのヴァイオリンソナタ第1番《雨の歌》をお聴きいただきたいと思います。レオニード・コーガンのヴァイオリン、アンドレイ・ムイトニクのピアノによる、1955年に収録された演奏でお楽しみください。


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もう咲いちゃった!大正天皇ゆかりの《御感の藤》

2023年04月14日 18時50分18秒 | 
今日も小学校支援級では、様々なことがありました。特に今日は支援級の高学年の子が、授業中に自分の思い通りに事が進まなくて先生の指示を丸無視するという暴挙に出たので、私がその子を廊下に出してコンコンとお説教するという場面もありました。

誤解を恐れずに言うなら基本彼らは自分本位な考えの持ち主なので、自分の思った通りにならないと文句をつけたり、酷い時には器物に当たり散らしたりします。そういう時に大人たちが怒ったり宥めすかしたりしても意味がないので、先ずは廊下に出したりして一対一になる状況に引きずり出した上で感情を放棄して淡々とお説教すると、彼らも自身の身勝手さを見つめることができるようになることが多いのです。

そんな修羅場チックなことを繰り返しながら徐々に子どもたちとの距離を縮めていくのが、まだるっこいながらも最善の方法です。正に『急がば回れ』『急いては事を仕損ずる』です。

そんなこんなで、今日もいろいろとあった小学校勤務を終えてから、帰りに小田原城址公園に寄り道してみることにしました。我が家の近所で藤の花が咲いていたのですが、もしかすると例年なら5月初旬に咲くこちらの《御感の藤》も咲いてしまっているのではないかと思ったのです。

お城の南堀に向かうと、



堀の向こうの藤棚が薄紫色に染まっていました。これが小田原城址公園名物のひとつである《御感の藤》です。

以前にも書きましたがこの藤の花が《御感の藤》と呼ばれているのは、大正天皇が皇太子嘉仁親王殿下であらせられた折、小田原に逗留された際に馬でお出かけになったところ馬がにわかに駆け出してこの藤の花の咲く中に入ってしまい、殿下の御召し物に花がふりかかってしまいました。周りの者が御召し物を汚してしまったと恐縮している中で当の皇太子殿下が

「見事な藤に心ないことよ。」

と感じ入られたことから、後にこの藤の花を《御感の藤》と呼ぶようになったのです。

たった二株から大きく育った藤は藤棚いっぱいに枝を伸ばし、



今やこれほどまでの大きさとなりました。右手に写っている人物と比較すると、如何にこの《御感の藤》が大きいかがお分かりいただけるかと思います。

満開ではなかったものの五分咲きくらいの開花状況だった《御感の藤》でしたが、それでも




見事な花房を観ることができました。藤棚の中に入って見上げると





独特の甘い香りの中で藤の花房が風にそよぎ、ハナアブたちが忙しなく採蜜していました。

明日はかなり強い雨が降る予報が出されています。もしかしたら折角咲いた藤の花が散らされてしまうかも知れませんが、来週もう一度来てみようと思います。

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細かい字を書くために

2023年04月13日 18時30分18秒 | 日記
今年度、私は知的級の担当になったことは以前にも書いたと思います。当然のことながら前年度の情緒級の子たちとは違った特徴の子たちがいるので、頭を切り替えて取り組む必要に迫られています。

一部の知的級の子たちの特徴のひとつとしてその時自分の興味が向いた方に思考が偏ってしまい、先生の話を聞いたりノートをとったりということをしなくなることがあります。そのため一旦興味が偏ると、授業中だろうが何だろうが大人の一切言うことを聞かなくなるという現象が発生することが儘あります。

そんな時にどうするかというと、手持ちサイズのホワイトボードに最低限ノートに書くべきことを書いて彼らの目の前に置きます。すると、ビジュアルを刺激された彼らの手が動いてノートをとるようになるのです。

ホワイトボードとマーカーは学校から借りられるのですが、マーカーが黒板サイズの大きなボードのもののため、高学年の子たちの板書の漢字を書くには太過ぎてしまうのです。一応細字のマーカーをお願いしてはあるのですが、購入申請してから実際に手元に届くまでには、どうしても時間がかかってしまうのです。

そこで、今日は厚木の有隣堂に行って



極細タイプのホワイトボードマーカーを買ってきました。書けなくなるといけないので、付け替えカートリッジも併せて購入しました。

これで、高学年向けの画数の多い漢字も潰れずに書けるようになると思います。早速、明日の授業で使ってみることにします。

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春爛漫『フレッシュ苺ワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年04月12日 17時55分15秒 | カフェ
今日も小学校ではいろいろなことがありました。

今日は支援級の子どもたちの身体測定があったのですが、先ず教室から出たくない子どもたちと、測定場所である保健室に連れて行こうとする大人たちの間で一悶着ありました。何とか保健室まで連れて行ったはいいものの、今度は入室拒否からの身長体重計に乗るのを拒否するのとで、更に一悶着あったりしたのです。

そんなに時間はかからなかったはずなのですが、それでも大人たちはかなり体力を削られました。そこから普通に授業をしたり給食介助をしたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていった感じでした…。

そんなシッチャカメッチャカ小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室へ移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

先週は新登場のパフェをいただいたので、今回は



『フレッシュ苺ワッフル』をオーダーすることにしました。お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに自家製の苺コンフィチュールや練乳ソースがあしらわれ、新鮮な旬の苺がトッピングされています。

このフレッシュ苺に使われているトチオトメが甘過ぎず酸っぱくなり過ぎず、実にいいバランスの苺でした。ともすると最近の苺は甘いばっかり甘いものが跋扈していますが、個人的にはこれくらい酸味もある苺がちょうどいいと思います。

春らしいワッフルをいただいて、ちょっと心が落ち着きました。明日は小学校勤務が無い日なので、少しゆっくりとしようと思っています。

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ニューアイテム!猫ピアノ手ぬぐい

2023年04月11日 19時35分10秒 | 音楽
今日から勤務先の小学校で給食介助が始まりました。今年度は新一年生のクラス担当になったのですが、初めて尽くしの子どもたちにとっては給食当番が配膳着に袖を通すのも大騒ぎでした。

大人たちはエプロンを着けて三角巾やバンダナを頭に被るのですが、私が用意したのが



この手ぬぐいです。これは、



先日購入したグランドピアノ型鉛筆削りと一緒に購入していたものです。

今日、頭に被っていたら、何人かの女の子たちから

「先生、ピアノかぶってるの〜?」

と言われました。ちょうど額のところに鍵盤の柄がきていたので、分かりやすかったようです。

今日のメニューはカレーライスだったのですが、子どもたちは喜んで食べていました。たくさん食べて、大きくなってほしいものです。

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ついついつられて買っちゃった…

2023年04月10日 18時55分18秒 | スイーツ
昨日の神奈川県知事選と県議会議員選挙は、落ち着くところへ落ち着いた感がありました。特に県知事選については、現職以外がわけのわからない候補者ばかりだったのでお話にならない感じでした。

私としては、やっと選挙カーが爆音を垂れ流す日々が解消したことが喜ばしいだけです。特に、何故かチャイコフスキーを流しながらガーガー爆音を垂れ流す輩がいて個人的に不愉快な思いをさせられていたので、そんな日々が終わったと思うとせいせいします。

さて、今日買い物に行ったら



こんなものが売られていました。この『いぶりがっこ』という響きにつられて、ついつい手が伸びました。

ポテトチップスと書いてあったので、てっきりジャガ芋を薄切りしたものが出てくると思っていました。ところが、いざ袋から出してみたら



揚げえびせんのようにモコモコしたものが出てきました。

裏面を見てみたらマッシュポテトを揚げたものらしいことが分かりましたが、食してみると確かにスモークの香りがするものの、沢庵漬けの要素は殆ど感じませんでした。まあそう多くを求めずに、純粋にスモーク味のお菓子を楽しめばいいのではないか…と、これはこれで堪能しました。

明日は、勤務先の小学校で給食業務が始まります。

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変わるか否か?神奈川県知事&県議会議員選挙

2023年04月09日 23時55分00秒 | 日記
今日は神奈川県知事と県議会議員の選挙日でした。駅前の公園にも



各候補者の選挙ポスターが掲載され、昨日まで選挙カーがヤイヤイ騒がしく動いていました。

厚木市では今回も前回とあまり変わり映えしないラインナップでしたが、それでもこの中から誰かしら選ばなければなりません。一応厚木市の選挙戦のHPを閲覧して各候補者の主張や政策に目を通してから、自分なりの一票を投じてきました。

世の中には

「俺(私)は選挙には絶対に行かない」

という、謎の豪語をする向きも見られます。まぁ、究極的には行く行かないは個人の自由ですから、そのことにとやかく言うつもりはありません。

ただ、敢えて一言

「自ら選挙権放棄したんだったら、何があっても文句たれる権利はお前らには無いぞ。」

私からは以上です。

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神奈川県下随一の丈六仏の前で花祭り

2023年04月08日 17時00分17秒 | 神社仏閣
今日は4月8日、御釈迦様の誕生日である花祭りです。この日、母親である摩耶夫人(まやぶにん)の右脇から生まれたシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタ(後の御釈迦様)は、即座に七歩歩いて天と地を指し示し

「天上天下唯我独尊」

と発したといいます。

そんな御釈迦様の誕生日である今日は、各寺院で花祭りが催されます。厚木市内のお寺でも花祭りが開催されていたようですが、今日は上依知(かみえち)にある星梅山妙伝寺に参詣することにしました。

門前には



花まつりを開催する案内が掲げられていました。ただ、子どもたちの『花めぐり』という稚児行列のようなものは中止になっていました。


仁王の代わりに毘沙門天と持国天が立つ二天門をくぐると、



芽吹いたばかりの新緑の中に建つ本堂が見えてきます。私が到着した時にはちょうど花祭りの法要の最中だったようで、



正装した僧侶たちが御題目を唱えていました。

しばらくその様子を外から窺ってから



その横にある『独尊堂』とも呼ばれる釈迦堂に向かいました。ここには



神奈川県下最大の木造仏である丈六釈迦如来立像が祀られています。

丈六というのは生前の御釈迦様の身長一丈六尺=約4.85mのことですが、実際には丈六仏を造るのも祀るのも大変なので、通常は実寸を詰めたり、丈六仏にするために坐像にしたりします。なので、元禄時代に作られたと思われるこちらの釈迦如来立像は真性の丈六仏立像としても珍しい作例で、神奈川県下では随一の大きさを誇っています。

参拝する者と目線が合うように、視線を落とすようにして立つ約5mの釈迦如来立像は



圧倒的な存在感を持っています。像の裏手に廻ると



大きなお背中にも圧倒されます。

御堂のちょうど御顔にあたるところには明かり取りの障子があるので、



金色に輝く釈迦如来立像を柔らかな自然光の中で拝することができます。堂内に静かに佇む御姿は



実に神々しい尊容です。

今日は花祭りということで、



釈迦如来立像の前には花御堂(はなみどう)が設えられ



文字通り色とりどりの花で飾られていました。その花御堂の中には



「天上天下唯我独尊」

と発した姿である誕生仏が祀られ、釈迦誕生の時に降ったという甘露の雨になぞらえた甘茶が満たされていました。

本堂ではまだ法要が続いていましたが、その間に誰もいない釈迦堂の中で誕生仏に甘茶をかけて御釈迦様の誕生日を祝いました。ただ、あまりのんびりしていると一時間に一本しかないバスが行ってしまうので、頃合いをみてお寺を後にしました。

昼過ぎから風が冷たくなってきたと思っていたら、午後からかなり本降りの雨が降ってきました。この強い雨で、わずかに残った桜の花も散ってしまうことでしょう…。

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新年度スタートと御衣黄の花

2023年04月07日 17時17分17秒 | 
今日から小学校に出勤することとなりました。本当は昨日が入学式だったのですが、曜日で契約している都合上出勤しなかったので、今日からの出勤となったのです。

今日職員室に行って2週間ぶりに自分のメールボックスを開け…ようとしたら、何だかいろいろなものが詰まっていて開かない!隙間から指を突っ込みながらどうにかこうにか引き出しを開けると、新年度に向けての書類、また書類…ある程度覚悟はしていたとはいえ、もうちょっとペーパーレス化しないものでしょうか…。

前年度は主に発達障害の子たちが在籍する情緒級を担当していましたが、今年度は主に学習が追いつかない知的級の子たちを担当することになりました。新たに1年生も迎えて初めての授業がスタートしましたが、本格的なお勉強は来週からとなります。

今日は給食もなく、全学年が午前中授業で終わりました。子どもたちを送り出して軽く掃除をしてから、今日は早めに学校を出ました。

天気予報通りに雨が降り始めた中を小田原駅に向かって歩いていると、道すがらのお寺に



緑色の桜の花が咲いていました。これは『御衣黄(ぎょいこう)』という、オオシマザクラを基に生まれた日本原産の栽培品種のサトザクラ群の桜で、殿上人が身にまとっていた萌葱色の衣の色になぞらえてこの名がつけられています。

そぼ降る雨の中で咲く御衣黄の花は、実に美しいものでした。明日は花祭りです。
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今日はストラヴィンスキーの祥月命日〜21世紀に再発見された《葬送の歌》

2023年04月06日 17時17分17秒 | 音楽
ネットの天気予報では曇るだけのはずだった天気ですが、朝のうちは雨がパラついていました。とかく春の天気は判じ難いのでしょうが、カバンの中に常に折り畳み傘をしこんでおかないと、おちおち出かけてもいられません。

ところで、今日4月6日はストラヴィンスキーの祥月命日です。



イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)は、バレエ音楽《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《春の祭典》等で知られる作曲家で、指揮者やピアニストとしても活動しました。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人でもあります。

様々な分野で多くの作品を残しているストラヴィンスキーですが、その中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《春の祭典》は知名度が高く、大編成のオーケストラの斬新な響きや複雑なリズムを使ったロシア民謡風のエネルギッシュな音楽は、ヨーロッパの音楽界に大きなセンセーションを巻き起こしました。特に原始主義時代の代表作《春の祭典》は世界中のオーケストラによって好んで演奏される作品として定着し、20世紀音楽のもっとも重要な作品の一つに数えられています。

オーケストラ作品ではリムスキー=コルサコフ仕込みの管弦楽法が遺憾なく発揮され、さらにそこから一歩踏み込んだ表現力を実現することに成功しています。これらの作品によって、ストラヴィンスキーはラヴェルや師のリムスキー=コルサコフなどと並び称される色彩派のオーケストレーションの巨匠としても知られるようになりました。

長期にわたって作曲を続けてきたストラヴィンスキーも、やがて健康上の理由によって音楽活動の中止を余儀なくされるようになりました。1966年、84歳を最後として新しい曲は作曲されず、1967年以降は指揮も行わなくなっていきました。

1967年後半は胃潰瘍と血栓症で長期間入院したストラヴィンスキーは1969年にニューヨークのエセックスハウスに転居しましたが、1971年の4月6日に88歳で他界しました。遺体は



ヴェネツィアのサン・ミケーレ島に埋葬されました(後にこの墓所の隣にはストラヴィンスキーの妻ヴェラ(1889〜1982)も埋葬されています)。

そんなストラヴィンスキーの祥月命日にご紹介するのは、かつて紛失したと思われていて、2015年になって再発見された初期の作品《葬送の歌》です。

《葬送の歌》作品5は、ストラヴィンスキーが1908年に作曲した管弦楽曲です。この曲はストラヴィンスキーの師で、



1908年6月8日に没したニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)の追悼のために書かれました

ストラヴィンスキーは6月11日に執り行われたリムスキー=コルサコフの葬儀に参列した後、師を記念するための追悼曲を書きました。7月28日に書いたリムスキー=コルサコフ夫人あての手紙で曲が完成したことを伝えているので、非常に短い時間で書かれたと思われます。

この追悼曲は翌1909年1月17日にフェリックス・ブルーメンフェルトの指揮により、ミトロファン・ベリャーエフの創始したロシア交響楽演奏会で初演されました。しかし、1914年の第一次世界大戦の勃発後にストラヴィンスキーはロシアに戻ることがなくなり、その後この曲の楽譜も行方不明になってしまっていました。

後に書かれた自伝によると、

「すでにどのような音楽だったかは覚えていないが、構想としてはトレモロを背景として独奏楽器が自らの旋律を花輪のように捧げながら、次々に師の墓の前を通りすぎるというものだった。」

「《火の鳥》以前に書かれた自分の最高の曲で、もっとも進歩した半音階的和声を使っていた。」

「パート譜はサンクトペテルブルク音楽院の図書館に保存されているに違いない。だれかが探してくれるといいが。」

と語っています。しかし、残念ながらストラヴィンスキーの生前に楽譜が発見されることはありませんでした。

ストラヴィンスキーの没後、やはり行方不明になっていた初期の作品《ピアノソナタ 嬰ヘ短調》の楽譜が再発見されました。そのためこの《葬送の歌》はストラヴィンスキーが書いた主要な作品のうち、紛失したままになっている唯一の曲になっていました。

それから時を経た2014年秋から、サンクトペテルブルク音楽院の建物は大規模な改修を行うことになりました。その作業のために書庫の書物を箱詰めしていた2015年の春に、ロシア交響楽演奏会の印が押された《葬送の歌》のパート譜が発見されたのです。

発見された《葬送の歌》は、初演から108年近くたった2016年12月2日にサンクトペテルブルクで、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮によるマリインスキー劇場管弦楽団によって復活蘇演されました。日本では2017年5月18日に東京オペラシティコンサートホールにおいて、エサ=ペッカ・サロネン指揮によるフィルハーモニア管弦楽団によって初演されました。

構成としてはバレエ音楽《火の鳥》との明らかな類似も見られるものの、後のストラヴィンスキーに見られるような特徴はあまり見られません。その一方で、リムスキー=コルサコフやリヒャルト・ヴァーグナーといった作曲家からの影響が見られます。

コントラバスの低音で半音階的な旋律が出現し、楽器を変えて繰り返しながらトレモロの中を進んでいきます。そして葬送の鐘の音を模した楽句の後に主旋律が現われるとこれが先の半音階的な旋律と絡み合いながら盛り上がり、最後は静かに終わっていきます。

そんなわけで、今日はストラヴィンスキーの《葬送の歌》をお聴きいただきたいと思います。パーヴォ・ヤルヴィ指揮による、NHK交響楽団の演奏でお楽しみください。


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滑らか爽やか『ベリームースパフェ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年04月05日 18時55分18秒 | カフェ
今日も暖かな陽気となりました。この陽気で桜吹雪の勢いも強まっていましたが、明日の小学校の入学式まで何とかもってほしい…と願わずにはいられません。

今日は音楽教室のある日なので、横浜あざみ野の教室に出勤しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

4月になって、月替りメニューも一新していました。メニューを開いて何にしようか迷ったのですが、今日は



『ベリームースパフェ』をオーダーすることにしました。

数種類のベリーを使った滑らかなムースの上にアイスクリームやソルベをのせ、そこにヨーグルトやミックスベリーがトッピングされています。手前にキラキラしているレモンジュレがベリーとはまた違った酸っぱさを演出し、オーブンでサックサクに焼かれたワッフルスティックが食感のアクセントになっています。

何とも春らしい爽やかなスイーツを、アイスコーヒーと共に美味しく堪能しました。桜ぷりんが終わってしまったのは残念ですが、これからしばらくはこのベリームースが楽しめそうです。

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今日は『あんぱんの日』なので

2023年04月04日 19時30分19秒 | グルメ
今日は朝からいいお天気になったこともあって、昨日よりも暖かくなりました。なので、今日は洗濯物を済ませて買い物に出かけることにしました。

ところで、今日4月4日は『あんぱんの日』なのだそうです。これは1875年(明治8年)のこの日、明治天皇(1852〜1912)が花見のために向島にあった水戸徳川家の下屋敷を訪れた際に、お花見のお茶菓子として木村屋(現在の銀座木村屋總本店)のあんパンが出されたことに由来します

明治初期、銀座の木村屋がパンを売り出しましたが、日本人の口に馴染まずなかなか売れていませんでした。そこでパンの中に小豆餡を詰めて売りだしたところ、饅頭に似ていてしかも変わった風味だということで大ヒットしました。

このあんパンが好きだった人物のひとりに、



当時明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟(1836〜1888)がいました。鉄舟は木村屋の木村安兵衛(1817〜1889)に

「これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、今度の水戸屋敷の花見には純日本製のあんパンをお出ししたらどうだろうか。」

とアドバイスしました。

その言葉を受けた安兵衛はそれまでのあんパンに工夫をこらし、日本を代表する花である八重桜の塩漬をいれた『桜あんパン』を開発しました。天皇はこれをいたくお気に召し、鉄舟と安兵衛に

「引き続き納めるように。」

と命じたことによって、木村屋のあんパンは皇室の御用達となりました。

後にあんぱんは山岡鉄舟の伝手で、当時静岡で隠遁生活をしていた徳川慶喜にも献上されました。その後、この桜あんぱんを一般にも販売を開始したところ、明治天皇への献上のエピソードと相俟って大ヒットしたといいます。

さて、我が家の近くに木村屋はないし、コンビニのパンで済ますのも寂しいので



本厚木駅ビルのミロード地下にある横浜のパンの老舗『ポンパドール』に行きました。そして購入したのが



『よもぎ桜もちあんぱん』です。

蓬の香りが漂うパンの中には、甘さ控えめのつぶ餡と桜餅ペーストが入っています。木村屋の桜あんぱんとはまた違った味わいが楽しめたので、これはこれで美味しく堪能しました。

小学校勤務がないと、ついつい生活サイクルが狂いがちになってしまいます。明日は音楽教室のある日ですから、うっかり忘れてしまわないように気をつけようど思います…。

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坂本龍一氏死去〜YMO伝説の武道館散開ライヴより《TECHNOPOLIS〜RYDEEN》

2023年04月03日 19時00分20秒 | 音楽
昨日、『教授』のニックネームで親しまれた坂本龍一氏が、3月28日に他界していたことが報じられました。享年71、早いといえば早い最期でした。

3歳からピアノを始め、小学2年の時にバッハの音楽に傾倒した坂本氏は東京芸術大作曲科を経て、1978年に



ドラマーの高橋幸宏氏、ベーシストの細野晴臣氏とYMO(Yellow Magic Orchestra)を結成。79年に当時斬新なシンセサイザーを使った音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させました。

YMOを解散した1983年に公開の映画『戦場のメリークリスマス』では俳優としても活躍し、2016年に死去した英ロック歌手のデビッド・ボウイ(享年69)やビートたけしと共演しました。手掛けたメインテーマ曲《戦場のメリークリスマス》は、今なお名作の呼び声高い作品となっています。

1987年に公開された映画『ラストエンペラー』では劇中音楽を手掛け、俳優として出演もしました。この映画は翌1988年の米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞し、同作では米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞も獲得したことで、米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となりました。

2014年に中咽頭癌が見つかった際には、6年をかけて治療をした末に活動復帰していました。その後2020年に直腸癌が見つかって治療を続けていたようでしたが、遂に寛解はかないませんでした。

様々な名曲のある坂本龍一氏ですが、個人的にはやはり10代の時に衝撃を受けたYMOの作品に思い入れがあります。中でも名作の誉れ高いのは、《TECHNOPOLIS》と《RYDEEN》でしょう。

《TECHNOPOLIS》は、坂本氏が

「売れる曲を書いてやろう」

といって手掛けた作品といわれています。坂本氏の『TOKIO!』の声で始まる未来的な音楽は、発表当時かなり斬新なものでした。

《RYDEEN》は



ドラムの高橋幸宏氏が作曲した、YMOの代表作のひとつです。当時、原宿に出没していた竹の子族たちがこの曲を使って踊っていたことで、一躍有名になりました。

その高橋幸宏氏も今年1月11日に他界(享年70)してしまい、今YMOで残っているのは75歳の細野晴臣氏だけとなってしまいました。今後、あんなセンセーショナルな音楽を紡ぎ出す人がどれだけ出てくるでしょうか。

そんなわけで、今日は坂本龍一氏と、先に他界された高橋幸宏氏への追悼の意味をこめてYMOの名曲である《TECHNOPOLIS》と《RYDEEN》をお聴きいただきたいと思います。1983年の武道館散開ライヴ音源に、オリジナル映像を組み合わせた映像を御覧ください。

ここに謹んで、日本の音楽シーンを牽引された坂本龍一氏と高橋幸宏氏の御冥福を御祈念申し上げます。合掌。


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新年度の風物詩

2023年04月02日 12時22分21秒 | 日記
昨日の快晴の空が無かったかのように、今日は朝からドン曇りの空が広がっていました。昨日の半袖日和の暖かさから一気に5℃ちょっと気温が下がって、最早何を着たらいいのか分からないような陽気となりました。

さて、明日から新年度がスタートしますが、この時期ならではの光景が



通勤通学用定期券の購入手続きの長い列です。小田急線本厚木駅の事務所前には、



明日からの新生活のスタートに向けて定期券を購入する人の列が幾重にも蛇行していました。

私は定期券を購入するほどではないので毎年この長蛇の列を横目に見ながら通り過ぎているのですが、この光景を見ると自身にも小田原の小学校の新年度が近づいていることを実感します。今週金曜日が初出勤日なので、それまでにいろいろと準備を進めておこうと思います。

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令和初の皇居乾通り一般公開から靖国神社へ

2023年04月01日 20時20分20秒 | 
今日は久しぶりに、文句なしの快晴の空が広がりました。なので、ちょっと遠出して皇居まで出かけることにしました。

昨年秋にも来ましたが、この春にも皇居乾通りの一般公開が実施されることとなりました。桜の季節は令和になってから初ということで、昨年の紅葉に続いて来てみました。

皇居前広場で検温や荷物検査、金属探知機検査を受けてから



坂下門をくぐります。その先の左手に



皇居宮殿車寄せを、右手に



富士見櫓を見ながら進むと、



咲き誇る様々な桜の花が現れます。

通りの両脇にはソメイヨシノだけではなく



黄緑色に咲く右近桜(うこんざくら)や



大島桜と交配した山桜の花が、今を盛りと咲いていました。角度によっては





こんな感じの趣ある風景が見られて、道行く人々が足を止めて写真撮影していました。

さすがに満開からしばらく経っていましたが、





春風に吹かれて様々な桜の木々から花弁が舞い散り、桜吹雪があちこちで見られました。そんな桜吹雪を浴びながら歩いていると、



出口である乾門が見えてきました。



乾門を出てから時計を見たらまだ昼前だったので、そこから北の丸公園に入ってみることにしました。公園に入ると





あちこちにソメイヨシノが咲いていて、こちらでも桜吹雪が舞っていました。それを眺めながら



田安門をくぐって



桜越しに武道館の擬宝珠を見上げながら千鳥ヶ淵方面へと向かってみました。

お世辞にも広くはない歩道を歩いていくと



沢山のボートが浮かぶ千鳥ヶ淵が一望できるところに出ます。本当は千鳥ヶ淵沿いをそぞろ歩いて行きたかったのですが、あまりにも人が多過ぎて大変そうだったので、そのまま引き返して靖国神社に参詣するコースに変更しました。



武道館と桜を眺めながら歩道橋を渡って



一ノ鳥居をくぐると、その先に人だかりができていました。何だろうと思っていたら





先程皇居乾通りにも咲いていた右近桜が満開になっていました。

そこから更に進んで



二ノ鳥居をくぐると、その先の神門にさしかかると



参道の両脇に桜が咲き誇る拝殿が見えてきます。三ノ鳥居をくぐって拝殿に詣でている最中にも、桜吹雪があちこちから舞い飛んできていました。

参詣を済ませて境内を巡ると、





あちこちの木々から桜吹雪が舞い散ってきて、人々が歓声をあげながら写真撮影をしたり、子どもたちが花弁を追いかけたりしていました。境内にある東京の桜開花宣言の標準木は



今年は例年よりも早く開花したこともあってか、だいぶ花を散らしていました。



今日は皇居から北の丸公園を経由して靖国神社まで、かなり沢山歩きました。そして、久しぶりに東京の桜を満喫することができました。

皇居乾通りの一般公開は、明日まで開催されています。

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