ずいぶんたくさん歩いたみたいだけど
職場の周りをぐるっと回った感じで
直行直帰で12kmのところを17km走っただけでした。
こういうふうに効率よく廻れると楽ちんでいいですね。
山谷堀は石神井川から分かれた支流・音無川が三ノ輪を過ぎさらに分かれて
山谷堀となって隅田川に注ぎ込みます。
隅田川に一番近い橋が今戸橋で待乳山聖天と今戸神社の中間にあります。
ここから吉原の近くまでが山谷堀公園となって約700m続いています。
山谷堀公園は去年大掛かりなリニューアル工事を終え面目一新
すっかり見違えるような公園になりました、無味乾燥と言い換えてもいい。
この日はヤケに人影が多かった、何かのロケが行われていたようです、
羽織袴の人や大八車もあったので時代劇みたい。
去年かなTBSの『恋はつづくよどこまでも』のロケもあったようで
上白石萌音は荒川でロケ、ここでもロケ、私の行く先々でロケをやってる。
ここにも招き猫が、
台東区一押しのキャラかな。
これは「踊り雀」といって台東区有形民俗文化財を基に作ったもの、
詳しいことは分からなかったけど民族玩具なのかな。
さてスカイツリー、左右対称ではありませんね、
これは"日本刀の反り"をイメージしてこの形にしたそうです。
山谷堀の流れをイメージしたところに"猪牙舟"が置いてありました、
船首がイノシシの鼻みたいに尖っているのでこの名が。
船頭と客が一人か二人、日本橋辺りから隅田川を遡って吉原へ、
こんなにずんぐりではなくもっとスリムで高速が出せました。
当時はこの猪牙で吉原へ繰り込むのがステータスシンボルだったようです。
ここにも子規の句碑があったけど草に埋もれ映り込みが激しくわやですわ、
「牡丹載せて 今戸へ帰る小舟かな」 子規 とあります。明治28年の作だそうです。
山谷堀には九つの橋があるけどそのうちの一つ、紙洗橋。
江戸のころはリサイクルが盛んで市中から集めた古紙をここで再生紙に、
浅草紙としてトイレットペーパーなどに使用されました。
古紙を煮て冷ますまでの間を職人は吉原へ行って女たちをからかったり、
冷やかすまでの間を買わずに見るだけで、「ひやかす」の語源になりました。
山谷堀の土手から吉原に向かう道、
外から見えないようにクランクに折れ曲がっています、奥に大門が。
ちょっと坂になっていてその名も「衣紋坂」、
吉原へ向かう客はこの坂道で衣紋を正して大門へ向かいました。
左に「見返り柳」、何代か代を重ねています。
吉原で遊んだ客が吉原大門を出て後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、
この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから
「見返り柳」と呼ばれていたと歴史は言います。
オトコ涙の純情ブルース・・・かな?ンなわきゃないか。
このまま土手通りを三ノ輪まで行きます、その後はいつもの通勤コース。
山谷堀の痕跡は全く姿を消しますが地下鉄三ノ輪駅の近く
投げ込み寺・浄閑寺の近くでほんの小さな公園として再び目の前に。
三ノ輪には山谷堀に橋が架かっていて三ノ輪橋と、
今では橋もなく都電・三ノ輪橋停留所にその名を残すのみとなりました。
悲喜こもごもいろいろな話題を残した吉原も遠い昔の話となりましたが
こうして歩いてみるとあちこちにその片鱗が残ります、
古きを訪ね新しきを知る、古きを歩いてみるのもまたいいものですね。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 2月10日 山谷堀から吉原まで歩く