東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

福寿草が咲いていた農業公園

2021-01-31 | 散歩

  野暮用があったりお日さまと意見が合わなかったりと
  なかなか行けなかった農業公園、
  久しぶりに行ったけどまだ春は遠い感じで
  ただ一つ福寿草が咲いていたのが収穫だったかな。

 

   きっと咲いてるだろうといつもの場所へ、
   ちょっと早かったみたいだけど数輪の福寿草が咲いていました。

 

 

   梅は寒いうちからボツボツと咲いているけど
   福寿草を見るとほんとの春がやってきそう。

 

 

   といいながら東京はこれからが雪のシーズン、
   真っ白になったところに咲く福寿草も見てみたいような。

 

 

   梅は「八重寒紅」は満開に近くなっていたけど
   他の梅はさっぱりでまだしばらくかかりそう。

 

 

   萼が緑の「月影」は前と同じ、
   全く咲き進んでいません。

 

 

   萼が緑の梅は他にも「緑萼」という品種があります、
   大谷田公園にあるので近々行ってみようかな。

 

 

   散りそうで散らない寒桜、
   何か前よりきれいになったような。

 

 

   オウバイ(黄梅)が少し増えていました、
   画面に数輪の花が入ります。
   画面いっぱいに埋め尽くされる日はいつなんだろう。

   それにしても鳥の姿が見られません、
   鳥も外出を自粛しているのだろうか。

 

          data: EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 1月29日  都市農業公園

          

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浅草にもあった富士浅間神社

2021-01-30 | 散歩

  浅草にもお富士さんがあります、
  浅草と言ってもいいのかな浅草警察署もあるからいいか。
  2,3年前だけど山開きの日に開かれる
  植木市に行ったけどそれ以来でした。

 

   浅草富士浅間神社は浅草寺から北に500メートルほどの所にあり、
   江戸時代の元禄年間の創建と推察されますが
   現在の富士塚は平成28年6月に建立されたものになります。

 

 

   鳥居をくぐった正面にある拝殿、
   主祭神は木花咲耶比売命(このはなさくやひめのひこと)です。

 

 

   拝殿の奥にある本殿は土蔵造り、
   先日の鏝絵の橋戸稲荷と同じです。
   あまり見ないけどこんな本殿もあるんですね。

 

 

   拝殿の右に社務所、
   前に行った山開きの日には御朱印やお守りなどを求めて
   たくさんの人たちがいたけどこの日は誰もいなかった。

 

 

   富士のお山は社務所の並びにあります、
   この造りは親切だね私にも楽に登れる。

 

 

   お山の麓にこんな石が光っていました、
   う~ん、私には縁がなくなったなぁ・・・。

 

 

   頂上の浅間神社奥宮。
   手を合わせるとそのはるか向こうに本物の富士がそびえているはず・・・

 

 

   でも実際は目の前にオレンジ色の浅草警察署、
   なはは、無粋な警察署
   でも浅草警察署は私の職場の守護神です。

   職場の前にバイクが置きっぱなしで何日も動かす気配なし、
   浅草警察署に電話したら交番からお巡りさんが来てくれました。
   あの有名な「魚沼市」のナンバー、新潟魚沼からバイクで来たの?
   警察で調べてくれて東京での住所が判明、連絡もしてくれて
   数日後バイクは引き取られていきました、お巡りさんありがとう。

   ある日の朝、かなりのおじいさんが職場の近くで佇んでいました、
   声をかけてみたけど要領を得ない返事。
   浅草警察署へ電話、「どこから来たのかも分からない様子です」
   待っていたらパトカーが来ておじいさんを乗せていきました。
   しばらくして電話があり「警察で話を聞いていたら住所らしきものが分かった、
   パトカーでお送りしましたが家族の方も心配していたようです」と。
   私は電話したときに電話番号を言わなかったけどちゃんとかかってきた、
   さすが警察です着信時にしっかり把握していたみたい。
   このほかいろいろと浅草警察署にはお世話になっています、
   お巡りさんありがとう~。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月19日  浅草富士浅間神社

          

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小野照さんの富士塚

2021-01-29 | 散歩

  小野照さんは今やすっかり"私の庭"と化し
  たびたびお邪魔していますがここにも富士塚が。
  ただ山開きの日にしか登れずフェンスの外から見るだけ、
  この時期は草ぼうぼうですがそれもまたいいものです。

 

   今回は正門ではなく裏門から、正面が拝殿です
   あれ、こっちが正門かな?。
   左手に富士塚があり山開きの行事はこの正面で行われます。

 

 

   拝殿、鈴の緒は見られませんでした。
   御祭神は、百人一首でも名高い平安初期有数の歌人であり、
   漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれ、その文才は天下無双、
   「その才は神に至る」と評される程の絵の大家でもあり、
   法律に明るい当代きっての学者で、
   参議という国の要職も務めた 小野篁(おの たかむら)公です。

 

 

   拝殿の前にはきれいな絵馬が並びます。
   文鳥と筆の絵馬が多いですね、文鳥の「文(ふみ)」が
   学問を表すという意味で、学芸絵馬が文鳥の絵柄なのだそうです。

 

 

   拝殿の左に「下谷坂本富士」。
   毎年夏越の大祓と富士山の開山に合わせた6月30日と7月1日の2日間に限り、
   一般の人たちに開放されています。
   守っているのは猿田彦大神ですね。

 

 

   お山は草に覆われているけどあちこちにいろいろな碑があり
   富士塚であることを知らせていました。

 

 

   枯れ葉に覆われているけどここは登山道、
   山開きの日には神職を先頭に町会の人たちや
   一般の人たちが列をなして登っていきます。

 

 

   "富士山"の姿は定かではなかったけど
   山麓には何の実でしょうね赤い木の実が輝いていました。

 

 

   "下山"してみるとそこには「御岳神社」と「三峯神社」が、
   登山の前にお詣りするとこれから富士に登るぞと実感が湧いてくるかも。

   ご祭神の小野篁(おの たかむら)公という人物とは。
   小野篁(802年〜852年)は嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、
   武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られています。
   だが裏があって「閻魔王宮の役人」とも、
   なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、
   夜は閻魔庁に努めていたという奇怪な伝説があります。
   京の六道珍皇寺・本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに
   使ったという井戸があり、近年旧境内地より冥土から帰るのに
   使った「黄泉がえりの井戸」が発見されたと聞きましたが。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月19日  小野照崎神社

          

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汐入公園の桜はどうなんだろ

2021-01-28 | 散歩

  東白髭公園を出て隅田川を渡って
  汐入公園へ向かいます。
  早咲きの桜はどうかなと思って行ったけど
  さすがに1月は無理なようでやっぱり2月の中ごろかなぁ。

 

   江戸のころこの辺りは水神の森といわれる森が広がっていました。
   水神大橋の架橋は1989年(平成元年)3月、初めは人道橋として
   取付道路が完成した1996年(平成8年)からは車も通れるようになりました。

 

 

   橋を渡ると両側に広大な公園が広がります。
   以前はユニチカとかカネボウといった大きな工場があったけど移転、
   その跡地を東京都が買収、大規模な防災拠点となりました。

 

 

   上流側から向島方面を望みます。
   遊歩道を歩いている人の後ろに"モノリス"、(モノリスが好きだねぇ)
   土手を下りてみましょう。

 

 

   かつての隅田川の防潮堤、堤防ですね一部を保存しています。
   説明板には、
   「東京都はこの地域を高潮や洪水から守るため昭和32年から
   防潮堤や水門の建設に着手し昭和50年頃完成しました。
   それ以降は水害が発生することなく地域の安全に大きく寄与しました。
   これまで幾多の台風、豪雨から地域を守ってきた
   旧の防潮堤を後世に伝えるためその一部を保存するものです。」とあります。

 

 

   さあ花は咲いているかな。
   ここでは河津桜や大寒桜など早咲きの桜が見られます、
   でもさすがに1月では無理みたい、もうちょっと待ちましょう。
   十月桜もそろそろ寂しくなってきましたね。

 

 

   ロウバイが、大きなロウバイが咲いていました。
   他で見るロウバイの2倍はあろうかという大きな花、
   びっくりして口をあんぐり、大きな花だなぁ・・・。

 

 

   花がなかったので子どもたちでも見てみようっと。
   ツインタワー、遊具広場はたくさんの子どもたちが遊んでいました、
   一回目の緊急事態宣言のときはここは立ち入り禁止にされたんだけどね。

 

 

   広~い芝生広場、その広場を埋め尽くすように
   あっちでもこっちでも凧揚げの子どもたち、
   あまり広いのも困る、どの子たちを撮ろうかな。

 

 

   ツインタワーの下ではボルダリング、
   これはわりと新しい遊具なのでみんな喜んで遊んでいます。

   いつもここの早咲きの桜は撮り逃がしている、
   気がついたら既に満開を過ぎていたの連続。
   今年は早くから行ってみることにしよう、
   早過ぎて手ぶらで帰ってもいいじゃないか、人間だもの・・・。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月22日  荒川区・汐入公園

          

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木母寺にある梅若塚を訪ねる

2021-01-27 | 散歩

  東白髭公園の花壇の脇にある木母寺、
  その中に梅若塚があります。
  梅若伝説はちょっと古い伝説だけど有名な話、
  近くには梅若小学校、梅若橋、梅若公園とその名を残しています。

 

   東白髭公園の中にある木母寺、
   今まで見てきた寺とは全く違いますね。
   これは東白髭公園が防災拠点なので木造の建物は建てられない
   という事情によると思われます。

 

 

   木母寺の塀の中ほどに「梅若山王大権現」のお堂に続く扉が、
   でもこの扉の開いているのを見たことない、きっと開かずの扉なんでしょう。

 

 

   木母寺の入口から入ってすぐ右に梅若山王大権現のお堂が、
   先述したように木造は許可されないので強化ガラスで作られています。
   左が梅若塚ですね。

 

 

   中には三体の像が、
   観音様を中に梅若丸とその母、花御前でしょうか。
   私の勝手な推測です。

 

 

   ややグロっぽいけど梅若塚です。

   梅若丸伝説。
   京の都から拐かされて連れ回され、
   この地で衰弱して倒れた12歳の子ども梅若丸と、
   拐かされた梅若丸を捜し尋ねて狂女となった
   母、花御前の悲しくも切ないお話です。

 

 

   横から見た梅若塚。

   12歳の梅若丸がいまわの際に
   「たづね来て とはゞこたへよ都鳥 すみだの河原の露ときへぬと」、
   母が、自分を探して尋ねて来たら、
   隅田川の辺で息絶えました…と教えて欲しいと詠いました。
   梅若丸を看取ったすみだの人々によって塚が築かれ、
   印に柳の木が植えられました。

 

 

   元々あった場所に白髭防災団地が作られたためこの地へ。
   元の場所は小さな公園、梅若公園となっています。

 

 

   梅若山王大権現のお堂の横には
   芸道上達祈願の絵馬が沢山納められていました。

   木母寺は1590年(天正18年)に、徳川家康より
   梅若丸と塚に植えられた柳にちなんだ「梅柳山」の山号が与えられ、
   のちに梅の字を二つに分けた現在の寺号、木母寺に改められたと伝わります。
   江戸幕府からは朱印状が与えられ、
   江戸に下向する勅使たちが度々訪れていたようです。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月22日  木母寺と梅若塚

          

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