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Happy Birthday(4)

 今日1月31日は娘の20回目の誕生日だ。成人式を済ませたものだから、思わず誕生日を忘れそうになったが、これで晴れて本当の「成人」となった。私が20歳の誕生日を迎えたときは、何だかいやでしようがなかったが、娘は今どんな気持ちでいるのだろう。10代から20代にかわるのは、社会的な扱いは勿論のこと、自分の気持ちの上でも随分違うものだから、どんな気がするのか聞いてみたい気がする。
 娘が生まれたのは確か金曜日だったと思う。前日から分娩室に入った妻を午前中に見舞い、一旦帰宅してあれこれ準備していると、病院から電話が入った。生きていた私の母が電話に出て、子供が無事生まれたことを告げられて、受話器を耳に当てながら「ありがとうございます」と深々と頭を下げていたのを思い出す。急いで病院に駆けつけると、付き添っていた妻の母が生まれたばかりの娘のところへ案内してくれた。初めて見る娘は真っ赤で、しわくちゃで、豆のような形をした顔をしていた。それを見て、可愛いとかそんな気持ちよりも、ただただ「よく生まれてきたな」、それしか思わなかった。
 娘が生まれるまで妻は長く入院していた。切迫早産の恐れがあり、安静にするよう入院を余儀なくされていたのだ。退屈そうな妻を毎日見舞ううちに、産婦人科の医師の中に私の中・高の同級生の名を見つけた。卒業以来一度も会ったことのなかった同級生ではあったが、なんだか気恥ずかしくて、病室で出会ったときも軽く言葉を交わしただけだった。彼が出産に立ち会うのかもしれないと思うと、ちょっと複雑な気持ちになった。結果としては立ち会わなかったようだが、今でも思い出すたびホッとした気持ちになるのは、おかしなものだ。
 生まれる前から、エコー写真で女の子であることは分かっていた。男の子が欲しかった私はそれを聞いて思わず残念がってしまったが、生まれてきた娘を見ればそんな気持ちは吹っ飛んでしまった。今でも娘の1歳半の頃の写真が机の横に飾ってある。顔をくしゃくしゃにして嬉しそうな顔をしている。ノースリーブのワンピース姿から出ている腕はプクプクしていて愛らしい。「いつもこんな嬉しそうな顔をしていてくれよ、そのためならどんなことでもしてやるぞ」とこの写真を見るたびに気持ちを奮い起こしてきた私だが、どうだったのだろう。あれこれ何も言わずにやりたいようにやらせてきたつもりだが、悲しいことも辛いこともあったことだろう。
 小学校では、友だちと遊ぶよりも図書室で本ばかり読んでいて、同級生からは「ホンコ」と呼ばれていたそうだ。中学・高校へは片道1時間半近くかけて通った。入学と同時に、途中で何かあったときに連絡が取れるようにと、半ば強制的に携帯電話を持たせた。ドラえもん好きの娘のためにドラえもんの形をした「ドラえホン」というPHSだったが、恥ずかしがらずに3年近く使っていた。とにかく読書が好きで、色んな豆知識が豊富で大概のことならちょっとしたコメントができる。高校に入ったぐらいからは映画にも興味を持つようになり、休日には一人で映画館に出掛けることもよくあった。一人でどこに行っても平気なのは、妻譲りの性格なのだが、京都で一人暮らしをしている今はそうした怖いもの知らずがあだになりはしないかと、私は心配で仕方がない。
 中・高と化学部に所属し、色んな実験を重ねるうちに、そうした方面への興味が広がり、理科系に進むと言い出した。私は「お前はどう見ても文系の頭だろう」と反対したが、聞き入れようとはせず、自分の意志を通して農学部に進学した。私に言わせれば、大して勉強もしなかったのにと思うのだが、本人にしてみるといやという程勉強したのだそうだ。だから、大学に入ってその反動が出て、授業に出席する気が起きない、などと自己弁護をするが、私は苦笑するしかない。
 先週末娘から風邪を引いたと連絡があり、妻が京都まで行こうとした。しかし、当日の朝、「体は大丈夫だから来なくてもいい」と断りの電話が入った。妻は心配しながらもあえて出向かなかった。「来て欲しくなさそうだから」と妻は言ったが、寂しさは隠せない。私も後で娘からかかってきた電話に出たが、鼻声がひどく、本当に大丈夫なのかと心配になった。でも、いいというのに無理強いもできないだろう。何だかどんどん親から離れていくようで、少々悲しくなるが、子供の自立を邪魔するような親にはなりたくない。
 でもなあ、もう少し甘えてくれてもいいのにな・・・
 
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