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成人式

 9日の娘の成人式は大変だった。朝6時に美容院が予約してあるため、5時過ぎに娘と妻は起きた。妻の運転で美容院に向かい、2時間以上かかって着物の着付けと化粧をしてもらった。妻はその間ずっと美容院で待っていて、帰途、予約してあった写真館に立ち寄り、娘の着物姿を撮ってもらった。7日にも同じ所で写真を撮ったから、成人の記念写真が2タイプもできたわけだ。うまくすいていたため、スムーズに取り終えることができ、9時過ぎに一旦帰宅した。と言っても、実はここまで私は全く関与していない。私が目覚めて寝室からふらふらと出てきたら、妻が玄関をちょうど開けたところだった。前夜娘の成人を祝う小宴を家族で開いたため、少々飲みすぎた私がそんな早朝から活動できるはずもない。妻は私なぞ全く頼りにするつもりもなかったが、それでも寝起きの私の顔を見て「まあ、お早いこと」と嫌味だけは忘れなかった。
 成人式は10時から学区の公民館で開かれるため、娘は今のうちに腹ごしらえをしておこうと、少し腰を下ろして、買ってきたサンドイッチを食べ始めた。私は初めて娘の晴れ着姿を見たのだが、さすがにこれだけ長身だと映える。27年前に妻がこの着物を着ていた姿を思い出そうとしても、記憶がぼやけてしまっている。別の着物のような気さえする。それにしても保存状態がよかったようで、新品と言っても過言ではないように見える。紅白で絞りの入ったこの着物は、妻の母ご自慢の一品らしくて、私のようなものが見てもその良さが分かる。柄が今風でないのがかえって新鮮に見えるくらいだが、娘は至極満足そうな顔をしている。横にいる妻も実に嬉しそうで、ずっと笑顔だ。成人の日というのは、振袖を着る女の子だけでなく、準備を整えた母親も同じくらい心が浮き立つ「晴れの日」なのだろう。そう言えば、私の母も私の妹の成人式の日は、妹のそばを離れず、ずっとうれしそうな顔をしていたのを思い出す。あの日の母の顔に浮かんでいた笑顔が今日は妻の顔に浮かんでいる。なんだか不思議な気がするが、男親としては、ただただ感心するばかりだ。
 妻が公民館まで車で送って行ったのを見送って、私は午前中塾で授業を行った。受験を間近に控えた生徒を抱えていては、いくら我が家の一大イベントだと言えどもおろそかにするわけにはいかない。正午に授業を終えた私は、成人のお祝いを頂いた親戚にお祝いの印として配る赤飯を取りに行った。それを娘や妻と一緒に配りがてら、娘の晴れ姿を一目なりとも見てもらおうという計画になっていた。式を終えた娘はさすがにゲンナリしていたが、それでも嫌な顔もせずに一軒一軒挨拶に回ってくれた。車の乗り降りが大変そうだが、さほど不平も言わずに付き合ってくれたのは、当たり前のこととは言え、2年間の一人暮らしで少しは人との付き合い方を学んできたのかなと思わせるものだった。子供だとばかり思っていたが、いつの間にかちゃんと大人になっている。成人という名に少しはふさわしいかもしれない。
 嬉しいことに行く先々で親戚が娘の来るのを待っていてくれた。私たちが着くと、待ってましたとばかりに家の中から大勢出てくる。娘は小さい時から、親戚の誰からも可愛がられていたため、皆が口々に「きれいだ」とか「似合うね」とか褒めてくれる。そして誰もがその次に「大きいねえ」と口にする。髪の毛がうず高くセットされいる上に草履をはいているものだから、本当に大きく見える。妻が迎えに行った時も、公民館から出てきた女の子の中でひときわ背が高く、かなり目立ったそうだ。親戚皆が集まって何枚も写真を撮ったのだが、誰もが嬉しそうな顔をしてくれる。本当に幸せな奴だ。
 私が塾の用意をしなければならないため、挨拶を簡単に済ませ、急いで帰宅したのだが、大事なことを忘れていた。妻も私も息子も、娘と一緒に写真を撮っていなかった。それじゃあ一枚ずつ、ということになって私もやっと念願成就となった。私の父も、照れながらしっかり写真に収まった。「じゃあ、これで終わり、着替えていいよ」と妻の一声で、大騒動も無事終了した。
 ああ、疲れた。何もしていない私でさえ、こんなに疲れるたんだから、妻はたいそう疲れたことだろう。勿論娘も。しかし、10日には講義が8時40分からあるそうだ。出席するため、朝一番の電車で京都に向かうらしい。それも妻が送って行ってくれるだろう。私は最近、眠くて眠くて、とてもそんな時間には起きられない。ご苦労様、私はベッドの中で「行ってらっしゃい」を言うつもりだ。
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