毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
初えびす
1月4日は、毎年私にとっては大きな意味を持っている。冬期講習として受験生を対象にした授業は2日から行っているが、4日は通常の授業を始める日となっていて(この日が日曜となる場合は5日から)、正月気分を完全に払拭しなければならない日である。生徒たちはまだまだ正月が続いているようで、欠席した者もちらほらいたが、私としてはいよいよ3月までの長い受験シーズンが、本格的に開幕したと、身の引き締まる思いがする日である。今年は寒さが例年になく厳しいから、体調管理をしっかりして、生徒たちの夢が叶うよう、ひたすら頑張らなければならない。
と同時に、4日は授業が終った後、11時半過ぎから「初えびす」という当地では恒例となっている神事に赴かなければならない。これを説明するために、少し調べてみたのだが、1月10日に「初えびす」を行う神社が関東・関西では一般的なようだ。5日を「初えびす」としているのは愛知県を中心とした地域に多いようだ。私の住む地方では、名古屋の熱田神宮の「初えびす」が一番盛大なようなので、HPからその様子を以下にコピーする。
南門の西側に鎮座する、上知我麻神社・大国主社・事代主社において、商売繁昌と家内安全を祈願するお祭りを執り行います。
「あきないえびす」や「はたらきえびす」など商売繁昌・家内安全の一番札や、福をかき寄せる「福熊手」を受けようと、つめかけた数千人の参拝者で境内は熱気に包まれます。
私が毎年行くところは、自宅から車で10分ほど行った山の中腹にある寺だ。寺に何故えびすという神が祀られているのか、よく考えてみると不思議だが、その謂れを尋ねようにも、住職が常駐していないような小さな寺なので、調べようがない。田舎のことだから、神仏混合で祀ってあるのかもしれないが、その辺りのおおらかさが愉快だと言えなくもない。午前0時から、えびすと大黒が描かれたお札が売りに出される。それを求めに私たち(父と娘と息子)が境内に着いた頃には、もう100人以上の人が並んでいた。何本も太い薪をくべた焚き火が、大きな炎を立ち上げている周りを、ぐるりと囲むように行列ができている。その近くには、お神酒や汁粉、甘酒などが用意され、自由に飲んでいいようになっている。私は娘の運転で来たため、心配せずにお神酒を頂ける。父も枡に塩をのせてありがたく頂いている。息子までが調子に乗って飲んでいる。全くしようがない奴だ。
12時になると、太鼓が打ち鳴らされ読経が始まる。それを合図にお札が売られ始め、30分ほど待ったら私たちも買うことができた。1000円払うとお札が頂け、その上、何故だかくじ引きをする。うまく当たればTVや自転車など結構な物がもらえる。しかし、かれこれ25年以上ずっと来ているが、バケツやタワシ以上の物が当たった例がない。どうしてこんなサービスがあるのか知らないが、私の住む地域の神社では、初えびす恒例の行事となっているようだ。
くじの結果は「菜ばし」だったが、こんなことで運を使い果たすのも損だと思い直して、交通安全のお守りを買った。毎年ここで所有している車全てにお守りを買っているが、昨年から1つ1000円に値上がりした。今年は娘の車が1台増えたため、父の分も含め、合計7台分のお守りを買った。これだけで安心なわけではない。安全運転の意識を高め、決して事故が起こらないよう皆が集中して運転しなければならない。
思えば母の存命中には二人だけで何年もこの初えびすに参拝したものだ。今は、父と娘と息子の4人でやって来るのが決まりとなっている。私は子供たちが小さい頃には、深夜子供連れで初詣でできる日が来るのを夢見ていた。その夢が叶った今では、来年も再来年もこうやって皆で参拝することができたらいいなとそれしか考えていない。とりあえず、来年は息子がセンター試験を直前に控えて、参加しないだろうから、父と娘の3人で元気で初えびすに参拝できることを祈ってやまない。
信心などまるでない私だが、妻も寒いなどと言わずに一回くらい一緒に来ればいいのに、と毎年思っている。
と同時に、4日は授業が終った後、11時半過ぎから「初えびす」という当地では恒例となっている神事に赴かなければならない。これを説明するために、少し調べてみたのだが、1月10日に「初えびす」を行う神社が関東・関西では一般的なようだ。5日を「初えびす」としているのは愛知県を中心とした地域に多いようだ。私の住む地方では、名古屋の熱田神宮の「初えびす」が一番盛大なようなので、HPからその様子を以下にコピーする。
南門の西側に鎮座する、上知我麻神社・大国主社・事代主社において、商売繁昌と家内安全を祈願するお祭りを執り行います。
「あきないえびす」や「はたらきえびす」など商売繁昌・家内安全の一番札や、福をかき寄せる「福熊手」を受けようと、つめかけた数千人の参拝者で境内は熱気に包まれます。
私が毎年行くところは、自宅から車で10分ほど行った山の中腹にある寺だ。寺に何故えびすという神が祀られているのか、よく考えてみると不思議だが、その謂れを尋ねようにも、住職が常駐していないような小さな寺なので、調べようがない。田舎のことだから、神仏混合で祀ってあるのかもしれないが、その辺りのおおらかさが愉快だと言えなくもない。午前0時から、えびすと大黒が描かれたお札が売りに出される。それを求めに私たち(父と娘と息子)が境内に着いた頃には、もう100人以上の人が並んでいた。何本も太い薪をくべた焚き火が、大きな炎を立ち上げている周りを、ぐるりと囲むように行列ができている。その近くには、お神酒や汁粉、甘酒などが用意され、自由に飲んでいいようになっている。私は娘の運転で来たため、心配せずにお神酒を頂ける。父も枡に塩をのせてありがたく頂いている。息子までが調子に乗って飲んでいる。全くしようがない奴だ。
12時になると、太鼓が打ち鳴らされ読経が始まる。それを合図にお札が売られ始め、30分ほど待ったら私たちも買うことができた。1000円払うとお札が頂け、その上、何故だかくじ引きをする。うまく当たればTVや自転車など結構な物がもらえる。しかし、かれこれ25年以上ずっと来ているが、バケツやタワシ以上の物が当たった例がない。どうしてこんなサービスがあるのか知らないが、私の住む地域の神社では、初えびす恒例の行事となっているようだ。
くじの結果は「菜ばし」だったが、こんなことで運を使い果たすのも損だと思い直して、交通安全のお守りを買った。毎年ここで所有している車全てにお守りを買っているが、昨年から1つ1000円に値上がりした。今年は娘の車が1台増えたため、父の分も含め、合計7台分のお守りを買った。これだけで安心なわけではない。安全運転の意識を高め、決して事故が起こらないよう皆が集中して運転しなければならない。
思えば母の存命中には二人だけで何年もこの初えびすに参拝したものだ。今は、父と娘と息子の4人でやって来るのが決まりとなっている。私は子供たちが小さい頃には、深夜子供連れで初詣でできる日が来るのを夢見ていた。その夢が叶った今では、来年も再来年もこうやって皆で参拝することができたらいいなとそれしか考えていない。とりあえず、来年は息子がセンター試験を直前に控えて、参加しないだろうから、父と娘の3人で元気で初えびすに参拝できることを祈ってやまない。
信心などまるでない私だが、妻も寒いなどと言わずに一回くらい一緒に来ればいいのに、と毎年思っている。
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