毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
スターウオーズ(2)
やっと見れた。「スターウオーズ・エピソード3・シスの復讐」のDVDを元日と2日で見終った。率直な感想は「素晴らしい」の一言だ。エピソード2が何だか安手のラブストーリーのようで、正直がっかりしていたものだから、余計に感動したのかもしれない。しかし、見終わった直後に、最初の3部作を続けてもう一度見たいと思ったほど、ストーリーに整合性があって、うまくできていたと私は思う。
確かに、アナキンが何故あれほど簡単に暗黒面にとらわれてしまったのか、解せない面はあるが、それでもアナキン役のへイデン・クリステンセンの顔を見ていれば、野心に溢れた若者ならそういうこともありうるだろうな、と思わせるだけの迫力があった。今時、私の周りにあれほどの顔つきをした猛々しい若者はいない。己の力を信じ、愛する者を守ろうとするのなら、悪魔に魂を売ることもあるのかなと見る者に思わせるだけの力がこの俳優にはある。かつて日本にもあんな顔をした若者達がゴロゴロしていたんだろう。それが今では、年末に放送された格闘技番組くらいでしか、荒々しい顔を見かけなくなったのは、日本が穏やかな国である証拠なのだろうが、どこか物足りない気がしてしまう。なんだか年寄りくさいことを言ってしまったが、彼の演技があったからこそ、アナキンがダースベーダーとなってしまう必然性が納得できるのだと思う。
映像はCGがここまで進化したのかと思わせるほどのものだった。TVゲームの世界に生の人間が入り込んで行って、暴れまくるような印象を受けた。ヨーダの動きとかオビワンの戦闘シーンとか、CGで溢れているのだろうが、作り物だと思えないような映像で臨場感で溢れていた。特に色彩が今までとは違って鮮やかだったと思う。背景の色使いもその場その場での状況をそれとなく暗示しているようで、デテールまで計算し尽くされているように感じた。完結編として、「スターウオーズ」の魅力を全て見る者に味あわせてくれたと思う。
ジョージ・ルーカス監督は、「スターウオーズ」を「ダーズベイダーの贖罪の物語」だと語っているそうだが、エピソード1~6の全編を通して考えればその通りだろう。ルークもレイア姫もダースベイダーの子供なのだから、物語の主人公はダースベイダーなのだろう。始めからその意図を持って作られていたとするならば、実に壮大な物語だ。改めてこの作品のすごさに驚く。
思えば「スターウオーズ」の第一作が発表されたのが1977年、私が大学1年の時だった。一度京都で友人と見て、こんなすごい映画見たことない、と名古屋で妻と2回ほど見た。それ以来、80年の「帝国の逆襲」83年の「ジェダイの帰還」と必ず映画館に足を運び、TV放映などもあって何度見たのかも覚えていないほどだ。ここまでは妻も一緒に見ているはずだ。彼女は、ハリソン・フォードが演じるハン・ソロの大ファンで、彼が出なくなったその後の映画は魅力に欠けるとばかりに見ていないと思う。極端な奴だが、それも1つの楽しみ方なのかもしれない。
99年の第4作「ファントム・メナス」まで随分間が空いた。その間に私には子供が生まれ、この作品からは成長した息子と一緒に見るようになった。息子もそれなりに楽しかったと見えて、次の「クローンの攻撃」は早く見に行こうと請求されたし、今回の「シスの復讐」では私が行くのを待ちきれずに、友人と見てきてしまった。同伴者を失った私はついつい映画館に行きそびれてしまった。そのせいで、ここまで見るのが遅れてしまったのだが、見て本当によかったと実感している。同時期に買った「ハウルの動く城」が期待はずれだっただけに、「スターウオーズ」までがつまらなかったら最悪だったが、そんなことがなくてホッとしている。
それにしても「スターウーズ」の歴史を振り返ってみることが、私の半生を振り返ることになるとは面白い。また、親子で楽しめる映画というものがあるのは素晴らしいことだと思う。でも、やっぱり劇場で見なければ本当に「スターウオーズ」を楽しんだとは言えないだろうと思う。今となってはどうしようもないから、せめてエピソード1から6までのDVDはちゃんと揃えておいて、折々に楽しみたいと思っている。
確かに、アナキンが何故あれほど簡単に暗黒面にとらわれてしまったのか、解せない面はあるが、それでもアナキン役のへイデン・クリステンセンの顔を見ていれば、野心に溢れた若者ならそういうこともありうるだろうな、と思わせるだけの迫力があった。今時、私の周りにあれほどの顔つきをした猛々しい若者はいない。己の力を信じ、愛する者を守ろうとするのなら、悪魔に魂を売ることもあるのかなと見る者に思わせるだけの力がこの俳優にはある。かつて日本にもあんな顔をした若者達がゴロゴロしていたんだろう。それが今では、年末に放送された格闘技番組くらいでしか、荒々しい顔を見かけなくなったのは、日本が穏やかな国である証拠なのだろうが、どこか物足りない気がしてしまう。なんだか年寄りくさいことを言ってしまったが、彼の演技があったからこそ、アナキンがダースベーダーとなってしまう必然性が納得できるのだと思う。
映像はCGがここまで進化したのかと思わせるほどのものだった。TVゲームの世界に生の人間が入り込んで行って、暴れまくるような印象を受けた。ヨーダの動きとかオビワンの戦闘シーンとか、CGで溢れているのだろうが、作り物だと思えないような映像で臨場感で溢れていた。特に色彩が今までとは違って鮮やかだったと思う。背景の色使いもその場その場での状況をそれとなく暗示しているようで、デテールまで計算し尽くされているように感じた。完結編として、「スターウオーズ」の魅力を全て見る者に味あわせてくれたと思う。
ジョージ・ルーカス監督は、「スターウオーズ」を「ダーズベイダーの贖罪の物語」だと語っているそうだが、エピソード1~6の全編を通して考えればその通りだろう。ルークもレイア姫もダースベイダーの子供なのだから、物語の主人公はダースベイダーなのだろう。始めからその意図を持って作られていたとするならば、実に壮大な物語だ。改めてこの作品のすごさに驚く。
思えば「スターウオーズ」の第一作が発表されたのが1977年、私が大学1年の時だった。一度京都で友人と見て、こんなすごい映画見たことない、と名古屋で妻と2回ほど見た。それ以来、80年の「帝国の逆襲」83年の「ジェダイの帰還」と必ず映画館に足を運び、TV放映などもあって何度見たのかも覚えていないほどだ。ここまでは妻も一緒に見ているはずだ。彼女は、ハリソン・フォードが演じるハン・ソロの大ファンで、彼が出なくなったその後の映画は魅力に欠けるとばかりに見ていないと思う。極端な奴だが、それも1つの楽しみ方なのかもしれない。
99年の第4作「ファントム・メナス」まで随分間が空いた。その間に私には子供が生まれ、この作品からは成長した息子と一緒に見るようになった。息子もそれなりに楽しかったと見えて、次の「クローンの攻撃」は早く見に行こうと請求されたし、今回の「シスの復讐」では私が行くのを待ちきれずに、友人と見てきてしまった。同伴者を失った私はついつい映画館に行きそびれてしまった。そのせいで、ここまで見るのが遅れてしまったのだが、見て本当によかったと実感している。同時期に買った「ハウルの動く城」が期待はずれだっただけに、「スターウオーズ」までがつまらなかったら最悪だったが、そんなことがなくてホッとしている。
それにしても「スターウーズ」の歴史を振り返ってみることが、私の半生を振り返ることになるとは面白い。また、親子で楽しめる映画というものがあるのは素晴らしいことだと思う。でも、やっぱり劇場で見なければ本当に「スターウオーズ」を楽しんだとは言えないだろうと思う。今となってはどうしようもないから、せめてエピソード1から6までのDVDはちゃんと揃えておいて、折々に楽しみたいと思っている。
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