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寒い!

 寒い。とにかく寒い。なんでこんなに寒いのか。腹が立つほど寒い。愛知県がこんなに寒いところだと生まれて初めて知った。昨日のラジオで、日本全国に12月から降り積もった雪の量が平年の3倍に達したと言っていたが、本当に異常だ。地球温暖化が叫ばれているにもかかわらず、この寒さはいったいどうしたことなんだろう。少なくともあと1ヶ月以上は、この寒さに耐えなければならない。大変だ。
 愛知でこんなに寒いんだから、北国の寒さはすごいだろう。TVのニュースでしか窺い知ることはできないが、相当寒いのだろう。思わず、中原中也の詩を思い出す。

   海にゐるのは、
   あれは人魚ではないのです。
   海にゐるのは、
   あれは、浪ばかり。
   
   曇った北海の空の下、
   浪はところどころ歯をむいて、
   空を呪っているのです。
   いつはてるともしれない呪い。   

   海にゐるのは、
   あれは人魚ではないのです。
   海にゐるのは、
   あれは、浪ばかり。       『北の海』
   
今日も北の海は歯をむいて空を呪っているのだろうか。冬の北国の海を間近に見たことがない私には想像するしかないのだが、冬の海は人を寄せ付けない激しさがあるように思う。吉野弘の詩は、さらに激烈だ。

   吹雪のなか 遠く 海を見た。
   海は荒れていた。
   そして 荒れているわけが 僕には
   すぐ わかった。
  
   海は 海であることを
   只 海であることを
   なにものかに向かって叫んでいた。

   あわれみや救いのやさしさに
   己を失うまいとして
   海は狂い
   海は走り
   それは一個の巨大な排他性であった。  

   吹雪のなか 遠く 走っている海を見た。
   そして 
   海の走っているわけが 
   僕には わかりすぎるほどよく
   わかった。             『冬の海』
  
私は吉野弘の詩が好きだ。中原中也のようにいかにも詩人だという者の詩もいいけれど、ネクタイを締めた詩人のような吉野弘の詩も好きだ。律儀でいて、しかも詩人の魂を具現化したような彼の詩は、折にふれて私を励まし力づけてくれる。なにか壁にぶち当たったとき、彼の詩を読むと乗り越えられるような気がしてくる。この詩も、どうしようもなく荒れた己の心を見つめ、押さえつけるでもなく、慰めるでもなく、ただ暖かい眼差しを忘れまいとする詩人の心が、読む者の心を包んでくれる。これが吉野弘の詩の真骨頂だと私は思っている。
 さらにもう1つ。冬を歌った萩原朔太郎の詩を。

   つみとがのしるし天にあらはれ、
   ふりつむ雪のうへにあらはれ、
   木木の梢にかがやきいで、
   ま冬をこえて光るがに、
   おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
 
   みよや眠れる、
   くらき土壌にいきものは、
   懺悔の家をぞ建てそめし。      『冬』


この寒さは私たちに与えられた試練なのか。いやいや、一日も早く春のきたらんことを願うのみである。

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