毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
灯台守の恋
今とても見たい映画が1本ある。「灯台守の恋」というフランス映画だ。映画なんて、もう何年も劇場で見たことがない私のような男が何故そんな気になったのかといえば、11日付けの地元紙中日新聞の文化面に、この映画の紹介が載っていたのをたまたま読んだからだ。ふだん文化面などあまり読むことがない私が「ひっそり燃えた恋 古風に」という小見出しを目に止めたのも不思議だが、出会いとはそんなものかもしれない。大谷弘路という人の書いた記事だが、私に是非この映画を見たいと思わせた文なので、ここに勝手に掲載させていただく。
最果ての地と呼ばれたフランス西端ブルターニュのウエッサン島が舞台の、古風で地味な恋と友情の物語。風雨にさらされてなお、がっしりと立つ灯台が妙に情感をそそる。
時は1963年。灯台守のイヴォン(フィリップ・トレトン)は彼を支える妻のマベ(サンドリーヌ・ポネール、感情を隠す演技がいい)と暮らす。無骨なイヴォンに対し、彼女は本好きでいつかは外へ出たいと考えていたが、代々灯台を守る家系で、彼と結婚した。住民たちはイギリスから来たケルト人の子孫。結束が固く古い文化を守る。
こんな島にアルジェリア戦争で左手を負傷したよそ者の帰還兵、アントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)が灯台守の一員に加わるためにやってくる。二ヶ月間二人だけで灯台の灯をともす手作業の過酷な仕事。いつしかふたりには友情が芽生えるのだった。
一方で、マベもアントワーヌに心ひかれ、イヴォンが仕事の、祭りの夜に結ばれる。たった一夜のできごと。結局アントワーヌは、イヴォンをおもんばかって、彼女には何も告げずに去っていく。
閉塞的な村で夫に仕えた主婦が、一変して見せるが、夫はあくまでも純真。妻の不実を許すのである。灯台に人生をかける夫、灯台に人生を縛りつけられた妻の心情が対照的で哀れを感じる。
そして、三十数年後両親も亡くなり、都会住まいの一人娘が家を処分にやってくる。母あてに送られてきた本を見て、秘話と自分の素性を知ることに。
灯台シーンはすべて本物のジュマン灯台で撮影。ひっそり燃えた恋に似合った舞台だ。監督は、「マドモワゼル」のフィリップ・リオレ。
映画の内容がここまで書いてあるのを読んでしまうと、実際に劇場に足を運ばなくても見たような気になってしまう。しかし、それはストーリーをたどっただけで映画を見たことになるはずもない。役者の演技一つ一つから、彼・彼女の思いを感じ取らなければ映画を見たことにはならない。したがって、まだ見てもいない映画について語る愚をここで犯したくはない。世の中には、ろくに読んでもいない本やしっかり聞いてもいない音楽について論評を平気で加える輩も多くいる。しかし、芸術を語るには、実際に目や耳や心で触れることが不可欠だ。触れもせず、味わいもせず、芸術を語るなど愚の骨頂だ。触れた上でどんな感想を持とうが、それは全く個人の自由であり、こういう風に感じなければならないなどという公式は存在しない。正道も邪道もありはしない。
したがって、もうこれ以上この映画については語らないが、残念なことに劇場公開を私が見ることはできないだろう。今から、2ヶ月間私には全くまとまった時間が取れない。この映画もまたDVD化されるのを待たなければならないだろう。とても残念だ。
しかし、灯台守の映画といえば、佐田啓二と高峰秀子主演の「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)に触れないわけにはいかないだろう。私が生まれる以前の映画だが、何度か見た記憶がある。全国各地を転々とする灯台守夫婦の悲喜こもごもの人生を木下恵介監督が描いた作品だが、夫婦が力を合わせて困難を乗り越えていく姿が見る者に感動を与える名作だ。まるで、「灯台守の恋」のアンチテーゼのようだ。それを象徴しているのが主題歌だ。
♪おいら 岬の灯台守は 妻と二人で~ 沖行く船の
無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす♪
夫婦が力を合わせて一生懸命生きていくっていうのは実に素晴らしい。この映画はDVD化されているのだろうか。探してみよう。
最果ての地と呼ばれたフランス西端ブルターニュのウエッサン島が舞台の、古風で地味な恋と友情の物語。風雨にさらされてなお、がっしりと立つ灯台が妙に情感をそそる。
時は1963年。灯台守のイヴォン(フィリップ・トレトン)は彼を支える妻のマベ(サンドリーヌ・ポネール、感情を隠す演技がいい)と暮らす。無骨なイヴォンに対し、彼女は本好きでいつかは外へ出たいと考えていたが、代々灯台を守る家系で、彼と結婚した。住民たちはイギリスから来たケルト人の子孫。結束が固く古い文化を守る。
こんな島にアルジェリア戦争で左手を負傷したよそ者の帰還兵、アントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)が灯台守の一員に加わるためにやってくる。二ヶ月間二人だけで灯台の灯をともす手作業の過酷な仕事。いつしかふたりには友情が芽生えるのだった。
一方で、マベもアントワーヌに心ひかれ、イヴォンが仕事の、祭りの夜に結ばれる。たった一夜のできごと。結局アントワーヌは、イヴォンをおもんばかって、彼女には何も告げずに去っていく。
閉塞的な村で夫に仕えた主婦が、一変して見せるが、夫はあくまでも純真。妻の不実を許すのである。灯台に人生をかける夫、灯台に人生を縛りつけられた妻の心情が対照的で哀れを感じる。
そして、三十数年後両親も亡くなり、都会住まいの一人娘が家を処分にやってくる。母あてに送られてきた本を見て、秘話と自分の素性を知ることに。
灯台シーンはすべて本物のジュマン灯台で撮影。ひっそり燃えた恋に似合った舞台だ。監督は、「マドモワゼル」のフィリップ・リオレ。
映画の内容がここまで書いてあるのを読んでしまうと、実際に劇場に足を運ばなくても見たような気になってしまう。しかし、それはストーリーをたどっただけで映画を見たことになるはずもない。役者の演技一つ一つから、彼・彼女の思いを感じ取らなければ映画を見たことにはならない。したがって、まだ見てもいない映画について語る愚をここで犯したくはない。世の中には、ろくに読んでもいない本やしっかり聞いてもいない音楽について論評を平気で加える輩も多くいる。しかし、芸術を語るには、実際に目や耳や心で触れることが不可欠だ。触れもせず、味わいもせず、芸術を語るなど愚の骨頂だ。触れた上でどんな感想を持とうが、それは全く個人の自由であり、こういう風に感じなければならないなどという公式は存在しない。正道も邪道もありはしない。
したがって、もうこれ以上この映画については語らないが、残念なことに劇場公開を私が見ることはできないだろう。今から、2ヶ月間私には全くまとまった時間が取れない。この映画もまたDVD化されるのを待たなければならないだろう。とても残念だ。
しかし、灯台守の映画といえば、佐田啓二と高峰秀子主演の「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)に触れないわけにはいかないだろう。私が生まれる以前の映画だが、何度か見た記憶がある。全国各地を転々とする灯台守夫婦の悲喜こもごもの人生を木下恵介監督が描いた作品だが、夫婦が力を合わせて困難を乗り越えていく姿が見る者に感動を与える名作だ。まるで、「灯台守の恋」のアンチテーゼのようだ。それを象徴しているのが主題歌だ。
♪おいら 岬の灯台守は 妻と二人で~ 沖行く船の
無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす♪
夫婦が力を合わせて一生懸命生きていくっていうのは実に素晴らしい。この映画はDVD化されているのだろうか。探してみよう。
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