毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「しあわせ」
Merry Christmas!!
島崎藤村の書いた童話に「しあわせ」というものがあるそうな。私は全く知らなかったが、短い話なので以下に載せてみる。
「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
だれでも幸せのほしくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜びでむかえてくれるにちがいありません。けれども、それでは人の心がよく分りません。そこで「しあわせ」は貧しい貧しいこじきのようななりをしました。だれか聞いたら自分は「しあわせ」だと言わずに「びんぼう」だと言うつもりでした。そんな貧しいなりをしていても、それでも自分をよくむかえてくれる人がありましたら、その人のところへ幸せを分けておいてくるつもりでした。
この「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前に行って「しあわせ」が立ちました。
そこの家の人は「しあわせ」が来たとは知りませんから、貧しい貧しいこじきのようなものが家の前にいるのを見て、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でごいざいます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃお断りだ。」
とそこの家の人は戸をぴしゃんと閉めてしまいました。おまけに、そこの家に飼ってある犬がおそろしい声で追い立てるように鳴きました。「しあわせ」はさっそくごめんこうむりまして、今度はにわとりの飼ってある家の前へ行って立ちました。
そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らなかったと見えて、いやなものでも家の前に立ったように顔をしかめて、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃたくさんだ。」
とそこの家の人は深いため息をつきました。それから飼ってあるにわとりに気をつけました。貧しい貧しいこじきのようなものが来て、にわとりをぬすんでいきはしないかと思ったのでしょう。
「コッ、コッ、コッ、コッ。」
とそこの家のにわとりは用心深い声を出して鳴きました。「しあわせ」はまたそこの家でもごめんをこうむりまして、今度はうさぎの飼ってある家の前へ行って立ちました。
「お前さんはだれですか。」
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。」
と言いましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい貧しいこじきのようなものが表に立っていました。そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らないようでしたが、情けというものがあると見えて、台所の方からおむすびを一つにぎってきて、
「さあ、これをおあがり。」
と言ってくれました。そこの家の人は、黄色いたくあんのおしんこうまでそのおむすびにそえてくれました。
「グウ、グウ、グウ、グウ。」
とうさぎは高いいびきをかいて、さも楽しそうに昼ねをしていました。
「しあわせ」にはそこの家の人の心がよく分りました。おむすび一つ、たくあん一切れにも、人の心のおくはしれるものです。それをうれしく思いまして、そのうさぎの飼ってある家へ幸せを分けておいておきました。
人によってこの話から様々な印象を受けるだろうが、今日はクリスマス、いい話を聞いたってことにしておこう。
島崎藤村の書いた童話に「しあわせ」というものがあるそうな。私は全く知らなかったが、短い話なので以下に載せてみる。
「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
だれでも幸せのほしくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜びでむかえてくれるにちがいありません。けれども、それでは人の心がよく分りません。そこで「しあわせ」は貧しい貧しいこじきのようななりをしました。だれか聞いたら自分は「しあわせ」だと言わずに「びんぼう」だと言うつもりでした。そんな貧しいなりをしていても、それでも自分をよくむかえてくれる人がありましたら、その人のところへ幸せを分けておいてくるつもりでした。
この「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前に行って「しあわせ」が立ちました。
そこの家の人は「しあわせ」が来たとは知りませんから、貧しい貧しいこじきのようなものが家の前にいるのを見て、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でごいざいます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃお断りだ。」
とそこの家の人は戸をぴしゃんと閉めてしまいました。おまけに、そこの家に飼ってある犬がおそろしい声で追い立てるように鳴きました。「しあわせ」はさっそくごめんこうむりまして、今度はにわとりの飼ってある家の前へ行って立ちました。
そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らなかったと見えて、いやなものでも家の前に立ったように顔をしかめて、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃたくさんだ。」
とそこの家の人は深いため息をつきました。それから飼ってあるにわとりに気をつけました。貧しい貧しいこじきのようなものが来て、にわとりをぬすんでいきはしないかと思ったのでしょう。
「コッ、コッ、コッ、コッ。」
とそこの家のにわとりは用心深い声を出して鳴きました。「しあわせ」はまたそこの家でもごめんをこうむりまして、今度はうさぎの飼ってある家の前へ行って立ちました。
「お前さんはだれですか。」
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。」
と言いましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい貧しいこじきのようなものが表に立っていました。そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らないようでしたが、情けというものがあると見えて、台所の方からおむすびを一つにぎってきて、
「さあ、これをおあがり。」
と言ってくれました。そこの家の人は、黄色いたくあんのおしんこうまでそのおむすびにそえてくれました。
「グウ、グウ、グウ、グウ。」
とうさぎは高いいびきをかいて、さも楽しそうに昼ねをしていました。
「しあわせ」にはそこの家の人の心がよく分りました。おむすび一つ、たくあん一切れにも、人の心のおくはしれるものです。それをうれしく思いまして、そのうさぎの飼ってある家へ幸せを分けておいておきました。
人によってこの話から様々な印象を受けるだろうが、今日はクリスマス、いい話を聞いたってことにしておこう。
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