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天然の落とし穴

 毎年、冬休みのこの時期になると、一瞬塾の空気が緩む。失笑、爆笑、苦笑・・・いろんな笑いで教室が包まれる。その理由を語るには、毎月塾で実施している私立中学入試模試の1月実施分の国語の過去問に載せられている、次の文章を紹介しなければならない。河合雅雄著「小さな博物誌」の一節である。

 草むらに、赤いルビーの玉を見つけ、ぼくは黙ってそちらへ足を向けた。(もしかしたら、オオテントウ?)、そんな思いが直感的に頭の中を走った。普通のテントウムシの何倍もあるすごいやつだ。この地方ではめったにお目にかかれない逸物だ。
 その時、天変地異が起こった。いきなり大地が避け、ズブズブという不快な音とともに、あっというまに体が大地に吸いこまれた。反射的にぼくは体をひねって草をしっかり握り、体が大地に没するのを防いだ。
 なんという不覚!肥溜に落ち込んでしまったのだ。田舎を歩いていて、もっとも注意しなけりゃならないものは肥溜だ。牛糞や人糞が腐り、表面が固くなって一見大地と見分けがつかなくなる。だが都会の子ならいざ知らず、このぼくが肥溜に落ちるなんて、なんという恥辱!この時は天然問題で目がうつろになっていて、オオテントウのルビーの輝きに惑わされ、うかつにも天然の落とし穴に落ち込んでしまったのだ。
 渾身の力を出して這い上がり、ぼくはさっとまわりを見回して体を伏せた。ミト以外にだれもいない。だれかが見ていたら、ぼくの一生はもう終わりだ。恥を知る男の子として、死を選ぶより道がないだろう。

 この文に対して、「『天変地異が起こったとは具体的に何(だれ)がどうなったのですか。文中の言葉を使って15字前後で書きなさい。」と「『肥溜』を他のことばで表現しているところがあります。それを文中から書きぬきなさい」という2つの問いが出されている。しかし、これが今の子供たちには意外と難問のようである。というのは、彼らには「肥溜」というのがいったい何を意味しているのか全く分からないからである。無理もないだろう。生まれたときから水洗トイレしか使ったことがないだろう現代の子供たちにとって、「肥溜」などというものは見たことは勿論、聞いたことさえないだろうから。
 そこで私が「肥溜」とはどういうものなのかを説明することになる。
「昔のトイレが、今みたいに水洗トイレじゃなかったことくらいは知っているだろう。ウンチやおしっこを便器の下の大きな穴に溜めておいて、いっぱいになるとそれを汲み出していた。都会ではそれを仕事にする会社もあったが、田舎では、家の者が汲み出して、それを畑の作物の肥料(人糞)とするために、畑の近くに穴を掘って汲み出してきたウンチなどをそこに溜めておき、必要なときに畑に撒いていたんだ。その穴のことを『肥溜』と呼んでいた。昔の野山にはそんなものがいっぱいあった。」などと一通り説明しておいてから、「実は俺も、この話の主人公のように、子供のときに『肥溜』に落ちたことがあるんだ。本当に臭かったぞ。しばらくにおいが取れなかったな・・」と実体験を話すと、「キャー」とか「オエー」とか、悲鳴とも侮蔑ともつかない叫び声が沸き起こる。「え~~っ?!最悪!」とさも汚いものを見るかのような目をする生徒もいて、少々自己嫌悪に陥ってしまうが、体験者が語ることほど真実味のあることはないので、毎年懲りもせず、同じ話を繰り返している。

 思えば10歳くらいまでの私は、どうしようもない野生児だった。毎日学校から帰るとすぐに外へ遊びに出た。宿題はなかったのだろうか?よく覚えていないが、そんなもの適当に済ませるだけの要領のよさは心得ていたから、ないに等しかったのかもしれない。とにかく暗くなるまで何も考えず、ずっと遊んでいた。どろどろになりながら川の中を走り回ったり、丘の斜面で間に合わせに作ったソリを滑らせて遊んだり、野原で野球のまねごとをして遊んだり・・・本当に年がら年中遊んでいた。今思い出してもあれほどゲラゲラ笑っていられた日々は他にはなかったような気がする。もし、一日だけ昔の日に戻れるとしたなら、あの子供の頃に戻って、一日中山野を転げまわっていたい、そんな気がする。
 この模試のおかげで、毎年暮れになると、ふっと幼かった頃の思い出に浸ることができる。甘い甘い日々の思い出に心までとろけそうになってしまう・・・
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