毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
忘れてた!
このブログを始めて2年経った。去年の今頃は1年間休まず記事を書き続けたことが嬉しくてたまらなかった。励ましてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいだった。ところがそれから1年経ったというのに、今年はそんなことをまるで忘れていた。別に毎日書くことでアップアップしていたわけでもないし、そんなに忙しくもなかった。ただ、単に忘れていただけのことだ。でも、何故だろう。
最初の1年間は手探りでとにかく自分の設定したゴール目指して青息吐息の連続だった。その目標を曲がりなりにもクリアーしてからは、肩の荷が下りたというか、足かせが外れたというか、とにかく身軽になれ、毎日好きなことを気楽に書けるようになった。改めて何か目標を定めたわけではない。結果として毎日書き続けて来たことにはなるが、敢えてそうしようと思っていたわけでもない。毎日一定時間PCに向かって「心にうつりゆくよしなしごとを書きつく」って来ただけのことである。もちろん、それが私には楽しみであるからこそ続けてこれたとは思う。塾を終えてから、一日の締めというか、新しい一日を出迎えるためというか、深夜の微妙な時間にこのブログにその時の思いを書き留めるという行為が私の心を穏やかにしてくれるのだろう。
面倒くさいなとか止めようかなと思ったことがないといえば嘘になるだろうが、今の私にはこのブログを閉じることは考えられない。そんなことをしたら、手持ち無沙汰で仕方なくなってしまう。「小人閑居して悪をなす」の譬えの如く、私に暇な時間があったところで碌なことにはならない。何もするあてのない時間ほど持て余すものはない。特別何かをしなくても時間に追い立てられていた方が、生きている実感がする。それを貧乏性と呼ぶなら呼べよ、と開き直って毎日を暮らして生きたい。そんな私には、このブログに割く時間が妙に心地よい。
ブログにかける時間はなにも文字を記す時間だけではない。ふっと思いついて写真を撮りに出かけたり、これはと思う本を読んでみる、そうした時間は何物にも代えがたい。ネタ探しに奔走しているわけでもないが、これを今日はブログの話題にしようと思いついた瞬間は幸せな気持ちになる。いざ書く段になって、下らぬ内容になってしまっても、自分なりにまとめることができたときにはまた幸せを味わえる。なんて安上がりな楽しみだろう。お金を使って楽しむよりもお金を使わずに楽しむ方が、充実感を味わえるのが最近分かってきた。ああ、今まで無駄に浪費してきたお金を返して欲しい、などと誰に向かうともない叫びをしたくなる。
私は以前書いた記事を読み返すことは滅多にしないのだが、一年目のコメント数の多さは尋常ではなかった。私の拙い記事を読むよりもコメントを読んだほうがずっと面白い。しかし、そうしたうねりとも呼ぶべき時期を越えて、落ち着いた気持ちで臨める現在のこのブログのたたずまいの方が本来の私には合っている。浅学非才な私の狭量からくる独断と偏見に満ちた文章を、見放すことなく付き合ってくださる方々とのここでの語らいは、私にとっては至宝であり、どんなにお礼を言っても足りないと、常に感謝している。一年前に実感した、多くの方々が私に寄せてくださるご厚情の有難さは、今でも私の心の支えとなっている。こういうことを書き出すと、ついつい大袈裟な言葉を使ってしまう悪癖がある私であるから、これ以上言葉を重ねないでおくが、本当に心から感謝している。
ゴジ健さん、竜虎の母さん、ボネットさん、師匠さん、ビーバーさん、ワールドさん、ウゴメクさん、みたぽんさん、ともやさん、ゆりかりさん、aiai-zooさん、さらにはいつもこのブログを訪れてくださる皆様、ありがとうございます。これからも我慢強くお付き合いください。
なお、ちょっとした記念にボネさんちから拝借してきた占い(Tシャツ占い)を載せておく。
「塾長」と入れたら、こんなTシャツができた。成分が今の私に妙に合致していて気持ち悪いくらいだ。(しかし、「未亡人分析学」とは何ぞや?)

最初の1年間は手探りでとにかく自分の設定したゴール目指して青息吐息の連続だった。その目標を曲がりなりにもクリアーしてからは、肩の荷が下りたというか、足かせが外れたというか、とにかく身軽になれ、毎日好きなことを気楽に書けるようになった。改めて何か目標を定めたわけではない。結果として毎日書き続けて来たことにはなるが、敢えてそうしようと思っていたわけでもない。毎日一定時間PCに向かって「心にうつりゆくよしなしごとを書きつく」って来ただけのことである。もちろん、それが私には楽しみであるからこそ続けてこれたとは思う。塾を終えてから、一日の締めというか、新しい一日を出迎えるためというか、深夜の微妙な時間にこのブログにその時の思いを書き留めるという行為が私の心を穏やかにしてくれるのだろう。
面倒くさいなとか止めようかなと思ったことがないといえば嘘になるだろうが、今の私にはこのブログを閉じることは考えられない。そんなことをしたら、手持ち無沙汰で仕方なくなってしまう。「小人閑居して悪をなす」の譬えの如く、私に暇な時間があったところで碌なことにはならない。何もするあてのない時間ほど持て余すものはない。特別何かをしなくても時間に追い立てられていた方が、生きている実感がする。それを貧乏性と呼ぶなら呼べよ、と開き直って毎日を暮らして生きたい。そんな私には、このブログに割く時間が妙に心地よい。
ブログにかける時間はなにも文字を記す時間だけではない。ふっと思いついて写真を撮りに出かけたり、これはと思う本を読んでみる、そうした時間は何物にも代えがたい。ネタ探しに奔走しているわけでもないが、これを今日はブログの話題にしようと思いついた瞬間は幸せな気持ちになる。いざ書く段になって、下らぬ内容になってしまっても、自分なりにまとめることができたときにはまた幸せを味わえる。なんて安上がりな楽しみだろう。お金を使って楽しむよりもお金を使わずに楽しむ方が、充実感を味わえるのが最近分かってきた。ああ、今まで無駄に浪費してきたお金を返して欲しい、などと誰に向かうともない叫びをしたくなる。
私は以前書いた記事を読み返すことは滅多にしないのだが、一年目のコメント数の多さは尋常ではなかった。私の拙い記事を読むよりもコメントを読んだほうがずっと面白い。しかし、そうしたうねりとも呼ぶべき時期を越えて、落ち着いた気持ちで臨める現在のこのブログのたたずまいの方が本来の私には合っている。浅学非才な私の狭量からくる独断と偏見に満ちた文章を、見放すことなく付き合ってくださる方々とのここでの語らいは、私にとっては至宝であり、どんなにお礼を言っても足りないと、常に感謝している。一年前に実感した、多くの方々が私に寄せてくださるご厚情の有難さは、今でも私の心の支えとなっている。こういうことを書き出すと、ついつい大袈裟な言葉を使ってしまう悪癖がある私であるから、これ以上言葉を重ねないでおくが、本当に心から感謝している。
ゴジ健さん、竜虎の母さん、ボネットさん、師匠さん、ビーバーさん、ワールドさん、ウゴメクさん、みたぽんさん、ともやさん、ゆりかりさん、aiai-zooさん、さらにはいつもこのブログを訪れてくださる皆様、ありがとうございます。これからも我慢強くお付き合いください。
なお、ちょっとした記念にボネさんちから拝借してきた占い(Tシャツ占い)を載せておく。
「塾長」と入れたら、こんなTシャツができた。成分が今の私に妙に合致していて気持ち悪いくらいだ。(しかし、「未亡人分析学」とは何ぞや?)

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