毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「環境問題のウソ」
池田清彦「環境問題のウソ」(ちくまプリマー新書)を読んだ。帯に、「京都議定書を守る日本はバカである!」などと扇情的な文言が踊っていれば買わないわけにはいかない。「地球温暖化問題」「ダイオキシン問題」「外来種問題」「自然保護」の4つの問題について科学的な見地から、そのウソとホントを明らかにしようという主旨で自論を展開している。作者の池田清彦は生物学者であり、4つの問題のうち、彼の専門分野の「外来種」と「自然保護」に関しては、なんら異論を挟む余地はない。生態系や自然を破壊させたのはほとんどの場合、「人間による直接的、間接的な破壊で」あり、目先の保護などに無駄なお金を注ぎ込むようなことはせず、「自然保護を市場に組み込み」、「お金を払って、あるいは労働をして、自然保護をしたくなるような仕組みを」作ろうという考えは傾聴に値すると思う。
しかし、「地球温暖化問題」に関しては、ずぶの素人の私でさえも幾つかの疑問が湧いてきて納得できないままでいる。それをこれから書き出してみようと思う。
筆者は幾つかのデータを紹介しながら、「CO2濃度の人為的上昇のみを温度上昇の原因とするモデルは間違っているということだ。気温の変動はCO2濃度の人為的排出が始まる前からあったわけだから、他に原因があると考える方がはるかに合理的だ」と考え、「アメリカのライドが太陽の黒点数と北半球の平均気温が相関するという論文を1987年に発表して以来、太陽活動が温暖化変動の主因ではないかと考える人は増えてきている」と論を進め、「未来の温度が主に太陽の活動で決まり、CO2はマイナーな影響しか及ぼさないのであれば、京都議定書のようなものまで作って、ものすごいコストをかけてCO2をほんのわずか減らすことにどんな意味があるのだろう」と結論付ける。さらには「京都議定書が完璧に実行されたとしても、百年後の気温上昇をほんの六年ほど遅らせることができるだけなのだ」「どう考えても地球温暖化なんて大した問題じゃない。大変だ、大変だと騒いでお金が儲かる人ならばともかく、そうでないボクは、他人の金儲けを助けるために、快適な生活を犠牲にしたりよけいに税金をとられるのは勘弁してしてもらいたいと思う」とまで言い切っている。
筆者の言だけを見るなら論理的には整合しているかもしれない。しかし、疑問点はいくつもある。まず1つに、「あとがき」で作者は環境問題に関する情報にはウソと真実が混ざり合っていると言っているにもかかわらず、自分の専門外である温暖化問題に関しては自分の考えに沿ったデータ・論文のみをそのまま引用している。鵜呑みにするなといいながらも、その当人が鵜呑みにしている姿勢が果たして科学的と言えるのだろうか。
次に、たとえCO2の削減が温暖化を防ぐのには無駄だとしても、環境問題は温暖化だけではない。化石燃料を大量に使うことによって引き起こされる酸性雨による環境破壊については、私が本書を読んだ範囲では、まるで一言も触れられていない。化石燃料の燃焼によって出されるのはなにもCO2だけではない。NOxによる酸性雨も深甚な環境破壊をもたらしている。どうしてその点に関して触れていないのか疑問に思う。
さらには、CO2を削減することがすなわち限りある化石燃料の節約につながると言う視点が欠けているように思う。「CO2を減らすには燃料の消費を減らす」⇒「化石資源の節約」⇒「化石燃料の枯渇を先送りできる」⇒「代替エネルギーの開発に余裕が生じる」などと、私が考えても分かることがどうして触れられていないのだろうか。アメリカが京都議定書にサインしない理由は、CO2を減らすために石油の使用量を減らせば国内の石油産業が痛手を蒙るからだという考えも何かで読んだことがある。アメリカがサインしないのは、科学的根拠に基づいてというよりも経済的な理由からだとしか思えない。
さらにはオゾン層の破壊についても言及されていない・・。
こうした疑問を抱えながらこの本を読み終えたのだが、一方的に作者の意見を聞かされただけのようで、「本当のところどうなんだ!」という苛立ちしか残らなかった。以前、同じ作者の本で「正しく生きるとはどういうことか」を半分ぐらい読んだのを今思い出した。面倒くさくなって読みかけのままになっているが、私の疑問に答えてくれるような本を是非とも上梓して欲しいと思う。
しかし、「地球温暖化問題」に関しては、ずぶの素人の私でさえも幾つかの疑問が湧いてきて納得できないままでいる。それをこれから書き出してみようと思う。
筆者は幾つかのデータを紹介しながら、「CO2濃度の人為的上昇のみを温度上昇の原因とするモデルは間違っているということだ。気温の変動はCO2濃度の人為的排出が始まる前からあったわけだから、他に原因があると考える方がはるかに合理的だ」と考え、「アメリカのライドが太陽の黒点数と北半球の平均気温が相関するという論文を1987年に発表して以来、太陽活動が温暖化変動の主因ではないかと考える人は増えてきている」と論を進め、「未来の温度が主に太陽の活動で決まり、CO2はマイナーな影響しか及ぼさないのであれば、京都議定書のようなものまで作って、ものすごいコストをかけてCO2をほんのわずか減らすことにどんな意味があるのだろう」と結論付ける。さらには「京都議定書が完璧に実行されたとしても、百年後の気温上昇をほんの六年ほど遅らせることができるだけなのだ」「どう考えても地球温暖化なんて大した問題じゃない。大変だ、大変だと騒いでお金が儲かる人ならばともかく、そうでないボクは、他人の金儲けを助けるために、快適な生活を犠牲にしたりよけいに税金をとられるのは勘弁してしてもらいたいと思う」とまで言い切っている。
筆者の言だけを見るなら論理的には整合しているかもしれない。しかし、疑問点はいくつもある。まず1つに、「あとがき」で作者は環境問題に関する情報にはウソと真実が混ざり合っていると言っているにもかかわらず、自分の専門外である温暖化問題に関しては自分の考えに沿ったデータ・論文のみをそのまま引用している。鵜呑みにするなといいながらも、その当人が鵜呑みにしている姿勢が果たして科学的と言えるのだろうか。
次に、たとえCO2の削減が温暖化を防ぐのには無駄だとしても、環境問題は温暖化だけではない。化石燃料を大量に使うことによって引き起こされる酸性雨による環境破壊については、私が本書を読んだ範囲では、まるで一言も触れられていない。化石燃料の燃焼によって出されるのはなにもCO2だけではない。NOxによる酸性雨も深甚な環境破壊をもたらしている。どうしてその点に関して触れていないのか疑問に思う。
さらには、CO2を削減することがすなわち限りある化石燃料の節約につながると言う視点が欠けているように思う。「CO2を減らすには燃料の消費を減らす」⇒「化石資源の節約」⇒「化石燃料の枯渇を先送りできる」⇒「代替エネルギーの開発に余裕が生じる」などと、私が考えても分かることがどうして触れられていないのだろうか。アメリカが京都議定書にサインしない理由は、CO2を減らすために石油の使用量を減らせば国内の石油産業が痛手を蒙るからだという考えも何かで読んだことがある。アメリカがサインしないのは、科学的根拠に基づいてというよりも経済的な理由からだとしか思えない。
さらにはオゾン層の破壊についても言及されていない・・。
こうした疑問を抱えながらこの本を読み終えたのだが、一方的に作者の意見を聞かされただけのようで、「本当のところどうなんだ!」という苛立ちしか残らなかった。以前、同じ作者の本で「正しく生きるとはどういうことか」を半分ぐらい読んだのを今思い出した。面倒くさくなって読みかけのままになっているが、私の疑問に答えてくれるような本を是非とも上梓して欲しいと思う。
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