goo

山笑う

【山笑う】
  新緑や花などによって山全体がもえるように明るいさまになることをいう。   

「山笑う」とはよく聞く言い回しだが、自分の両目で山の様子を見なければ実感できない。昨日の日曜日は気持ちのいい一日だった。私は朝から塾の授業で、戸外のさわやかな空気を満喫する時間はあまりなかったのだが、窓から外を眺めるだけでも清涼さが伝わってきた。風を感じたくてじりじりしていた。授業が終わるやすぐに近くの山や丘の新緑を写真に収めに飛び出した。

 

風が強かったせいで葉が裏返っている木が多かった。葉の裏は表よりも緑が薄い。当たり前のことながら、目で味わうと驚く。緑の濃淡のコントラストが鮮やかで、風のない日よりも緑が際立つ。いくらきれいな緑だといっても、単調なモノトーンよりも彩が豊かな方が美しいものだと改めて気づかされた。求めれば自然は我々にたくさんのいことを教えてくれる。
 だが、山の色の違いは葉の表裏によるだけではなく、木の種類によってもかなり違っているようだ。花粉をつける時期の違いによっても外観はかなり違うのだろう、家から少し山間に入ったところで見た小山は、まるで絵の具で塗られたように変化に富んでいた。

 
 
白っぽく見えるのは花粉が付いている樹木だろうか、それとも白い花が咲いているからなのだろうか。今、家の近くの道路わきにはニセアカシアの花が咲き乱れているが、それとはどうも違う。一体なんだろう。 
 
 しかし、本当に気持ちのよい日だった。余りにさわやかだったため、塾の教室の空気が澱んだものであったように思えて仕方なかった。思わず、中原中也の「帰郷」という詩を口ずさんでしまった。(季節は違うが・・)

      「帰郷」
   柱も庭も乾いてゐる
   今日は好い天気だ
      縁の下では蜘蛛の巣が
      心細さうに揺れてゐる

   山では枯木も息を吐く
   あゝ今日は好い天気だ
      路傍の草影が
      あどけない愁(かなし)みをする

   これが私の故里だ
   さやかに風も吹いてゐる
      心置なく泣かれよと
      年増婦《としま》の低い声もする
   あゝ おまへはなにをして来たのだと……
   吹き来る風が私に云ふ

中原中也は1907年生まれ、したがって今年で生誕100周年になる。それを記念して「別冊太陽」では中原中也特集が出版された。

書店で見かけて手に取ってみたが、立派な書物だ。10代の頃からずっと中也の詩を読み続けてきた私は思わず欲しくなったが、全集を持っている私があえて買う必要はないのかな、と思っているところだ。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )