毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
白鵬
大相撲夏場所で白鵬が15戦全勝優勝を飾ったため、横綱昇進が決定的となった。長く横綱は朝青龍一人だったが、これで東西の横綱が揃うことになり、相撲人気は回復するかもしれない。場所前は稽古不足も懸念されたし、八百長疑惑で揺れていたりもしたから、3度目の挑戦で首尾よく念願を果たせるかどうか、私は少々心配していた。それがここ一年間の挫折や苦悩を乗り越えることで精神的に成長し、しかも結婚・長女誕生と人間的な広がりを経験できたおかげで、心技体の「心」が飛躍的に向上したようで、重圧のかかる今場所を15日間自分の相撲をとりきることができた。誰も文句のつけようのない全勝という成績で横綱昇進が果たせるのは本当に素晴らしいことだと思う。心から祝福したい。
それに比べて、今場所大きな壁になると公言していた横綱朝青龍の後半の失速は一体どうしたのだろう。朝青龍の稽古不足は毎場所指摘されることであり、千秋楽のTVでは、解説者の舞の海が「もう稽古の貯金は使い果たした。真正面から白鵬とぶつかったら勝てない」と取り組み前に辛辣な予想をしていたが、その通りの結果になってしまった。今まで余りに大関・三役陣が不甲斐なかったために横綱に驕り・慢心が生じていたのは否めないだろう。今場所も初黒星を喫した際に飛び交う座布団を足蹴にしたうえ、怒声を発したと横綱としての品位を疑う行動が物議をかもした。毎度おなじみと言えばいえる醜態だが、こうしたことも含め、自らを見つめ直し、一から出直すくらいの覚悟がなければ朝青龍の時代は終焉を告げるような気がする。強さは誰もが認めるだけに、奮起して欲しいと思う。

東西に横綱が揃うといっても、両横綱ともモンゴル人であることが、大相撲を国技と捉える向きには不満であるようだ。日曜朝のTV番組で関口宏が「以前はハワイ・ハワイの時代がありましたが、今度はモンゴル・モンゴルですね」という内容の発言をしていた。曙・武蔵丸のことを言っているのだろうが、その時には貴乃花や若乃花がいた。彼らがいたからこそ、ハワイ出身の横綱もさほど問題にならなかったように思うが、今は近い将来横綱を望める日本人力士が全く見当たらないというのが不満を募らせる要因であろう。横綱がどこの国の人であろうと構わないと私は思うが、日本人の横綱がずっといないのはやはり寂しい。
日本との所得格差の大きい国からやってくる外国人力士達はハングリーであり、簡単に帰国できないため相撲に精進し、出世も早いと言われる。それに比べ日本で力士を目指すのは、高校・大学の相撲部出身者ばかりであり、彼らにとっての相撲界は就職先であって、無理せず長く生き残ろうとする傾向が顕著なのだそうだ。長く相撲を取っていればそれなりに給金も増えて来る制度を敷いているため、安定志向の力士が多くなったと言われている。こうした現状では、外国人力士との差はますます開いていくことだろう。かと言って、今の日本社会で安定を求めるのは当然のことだろうから、意識を改革しようとするのもなかなか難しいように思う。
相撲を格闘技と考えれば、強い者がピラミッドの頂点に君臨するのは当然であり強さが全てだと言ってもいいだろう。しかし、相撲は日本の伝統的な文化の一つであると考えるなら、肉体的な強さだけでなく精神的な強さも要求される。だが、相撲という競技を通して心技体すべての充実を図ろうという考えそのものが、現代の日本社会ではもう時代錯誤なのかもしれない。
力士にそうしたノスタルジーを追い求めるのは酷かもしれないが、今場所の充実した白鵬を見ていると、彼ならそうした理想に近づけるのではないかと思わせてくれる。更なる精進を望む。
それに比べて、今場所大きな壁になると公言していた横綱朝青龍の後半の失速は一体どうしたのだろう。朝青龍の稽古不足は毎場所指摘されることであり、千秋楽のTVでは、解説者の舞の海が「もう稽古の貯金は使い果たした。真正面から白鵬とぶつかったら勝てない」と取り組み前に辛辣な予想をしていたが、その通りの結果になってしまった。今まで余りに大関・三役陣が不甲斐なかったために横綱に驕り・慢心が生じていたのは否めないだろう。今場所も初黒星を喫した際に飛び交う座布団を足蹴にしたうえ、怒声を発したと横綱としての品位を疑う行動が物議をかもした。毎度おなじみと言えばいえる醜態だが、こうしたことも含め、自らを見つめ直し、一から出直すくらいの覚悟がなければ朝青龍の時代は終焉を告げるような気がする。強さは誰もが認めるだけに、奮起して欲しいと思う。

東西に横綱が揃うといっても、両横綱ともモンゴル人であることが、大相撲を国技と捉える向きには不満であるようだ。日曜朝のTV番組で関口宏が「以前はハワイ・ハワイの時代がありましたが、今度はモンゴル・モンゴルですね」という内容の発言をしていた。曙・武蔵丸のことを言っているのだろうが、その時には貴乃花や若乃花がいた。彼らがいたからこそ、ハワイ出身の横綱もさほど問題にならなかったように思うが、今は近い将来横綱を望める日本人力士が全く見当たらないというのが不満を募らせる要因であろう。横綱がどこの国の人であろうと構わないと私は思うが、日本人の横綱がずっといないのはやはり寂しい。
日本との所得格差の大きい国からやってくる外国人力士達はハングリーであり、簡単に帰国できないため相撲に精進し、出世も早いと言われる。それに比べ日本で力士を目指すのは、高校・大学の相撲部出身者ばかりであり、彼らにとっての相撲界は就職先であって、無理せず長く生き残ろうとする傾向が顕著なのだそうだ。長く相撲を取っていればそれなりに給金も増えて来る制度を敷いているため、安定志向の力士が多くなったと言われている。こうした現状では、外国人力士との差はますます開いていくことだろう。かと言って、今の日本社会で安定を求めるのは当然のことだろうから、意識を改革しようとするのもなかなか難しいように思う。
相撲を格闘技と考えれば、強い者がピラミッドの頂点に君臨するのは当然であり強さが全てだと言ってもいいだろう。しかし、相撲は日本の伝統的な文化の一つであると考えるなら、肉体的な強さだけでなく精神的な強さも要求される。だが、相撲という競技を通して心技体すべての充実を図ろうという考えそのものが、現代の日本社会ではもう時代錯誤なのかもしれない。
力士にそうしたノスタルジーを追い求めるのは酷かもしれないが、今場所の充実した白鵬を見ていると、彼ならそうした理想に近づけるのではないかと思わせてくれる。更なる精進を望む。
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