毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
アルコール
2週間ほど前の毎日新聞に、「アルコール血中濃度と酔いの状態」を図表にしたものが載せられていた。なかなか参考になるものなので、引用してみる。
「アルコールは胃や小腸から吸収され、主に肝臓で時間をかけて代謝される。だが、短時間に大量に飲酒すると代謝が追いつかず、血中のアルコール濃度が急激に上昇する。この影響で脳がまひし、意識障害や運動失調、さらには生命の危険まで招きかねないのが急性アルコール中毒だ」と冒頭で警鐘を鳴らすこの記事は、花見などで酒量が多くなるこの時期にこそ、心に留めておかねばならない。
私は決してアルコールに強くない。ビールをコップ1杯飲んだだけで全身が真っ赤になる。父はどんなに飲んでも顔色一つ変わらないが、母はビールを一口飲んだだけで真っ赤になったから、私は母の血を引いているようだ。面白いことに妹と弟は父のように顔色が代わらない性質だから、きっと父親の血のほうが濃いのだろう。たぶん兄弟の中で私がアルコールに一番弱いように思う。それなのに、飲み始めるとやたら元気になって周りの迷惑顧みずに暴走してしまう。顰蹙を買ったことも何度かあるが、その最たるものが、妹が結婚した披露宴でのことだ。
当時としては晩婚の部類に入る年で結婚した妹を、心から祝福して私は結婚式の前からかなり飲んでいた。それでも、披露宴を盛り上げるのが兄の務めとばかりに、あちこち飛び回り、どんどん飲み続けた。お祝いに歌を披露する一団の中に割って入って、肩を組んで罵声を張り上げたのがかすかに記憶に残っているが、後はもう何が何やらまったく覚えていない。とうとう飲み潰れてしまい、動けなくなって弟が宴の終了後タクシー乗り場まで引っ張って行ってくれたそうだ。そんな意識の朦朧とした私を見た娘が、「お父さんが死んじゃう!」と叫んだと言う話を後から聞いて、本当にあの時は、半分死んでいたんじゃないだろうか、と思った。まるで意識がなくなったというのは、後にも先にもあの時だけだ。どんなに酔っ払っても意識だけはしっかりしている、などと言い張っていた私の見栄がもろくも崩れ去った日だった。
翌朝昼過ぎになってなんとかこの世に戻ってきたときは、家族からあまりの醜態振りを聞かされて身も縮む思いがした。きっとビールしか飲まない私が、嬉しさのあまり日本酒をぐいぐい飲んだのがいけなかったのだろうと、深く深く反省して、それ以後はよほどのことがない限り、日本酒を飲むことはしなくなった。
しかし、因果は巡るというか、そのとき私の泥酔ぶりを散々こき下ろした妻が15年ほど経った去年の9月、友人との酒席で飲みすぎて動けなくなってしまって、連絡を受けた私が深夜名古屋の駅まで迎えに行ったのだから、笑ってしまう。どれほどの愚かさを見せ付けられようとも、いつ何時己が同じような愚行をするかもしれないと気を引き締めるだけにしておき、軽々しく罵詈雑言を浴びせるものではないと、そのとき心から思った。誰にでも過ちはある。そんな過ちを犯した者だけが、同じような過ちを犯す人に優しくなれる、そんなことを学んだ・・。
しかし、上の表で酔いの状態が、「そう快期」→「ほろ酔い期」→「酩酊初期」→「酩酊期」→「泥酔期」→「昏睡期」と表されているのは、まさしく正鵠を射ている。私が酔って一番楽しいと感じるのは、「酩酊初期」である。それくらいの段階で止めておけば翌日に酒が残らないし、周りの人たちに迷惑をかけたり不快な思いをさせなくて済む。「楽しい酒」で終われるかどうか、そのぎりぎりのところまで飲むのは、一人でチキンレースをしているようで、なかなかのスリルが味わえて楽しい。
さあ、花見をするぞ!!
「アルコールは胃や小腸から吸収され、主に肝臓で時間をかけて代謝される。だが、短時間に大量に飲酒すると代謝が追いつかず、血中のアルコール濃度が急激に上昇する。この影響で脳がまひし、意識障害や運動失調、さらには生命の危険まで招きかねないのが急性アルコール中毒だ」と冒頭で警鐘を鳴らすこの記事は、花見などで酒量が多くなるこの時期にこそ、心に留めておかねばならない。
私は決してアルコールに強くない。ビールをコップ1杯飲んだだけで全身が真っ赤になる。父はどんなに飲んでも顔色一つ変わらないが、母はビールを一口飲んだだけで真っ赤になったから、私は母の血を引いているようだ。面白いことに妹と弟は父のように顔色が代わらない性質だから、きっと父親の血のほうが濃いのだろう。たぶん兄弟の中で私がアルコールに一番弱いように思う。それなのに、飲み始めるとやたら元気になって周りの迷惑顧みずに暴走してしまう。顰蹙を買ったことも何度かあるが、その最たるものが、妹が結婚した披露宴でのことだ。
当時としては晩婚の部類に入る年で結婚した妹を、心から祝福して私は結婚式の前からかなり飲んでいた。それでも、披露宴を盛り上げるのが兄の務めとばかりに、あちこち飛び回り、どんどん飲み続けた。お祝いに歌を披露する一団の中に割って入って、肩を組んで罵声を張り上げたのがかすかに記憶に残っているが、後はもう何が何やらまったく覚えていない。とうとう飲み潰れてしまい、動けなくなって弟が宴の終了後タクシー乗り場まで引っ張って行ってくれたそうだ。そんな意識の朦朧とした私を見た娘が、「お父さんが死んじゃう!」と叫んだと言う話を後から聞いて、本当にあの時は、半分死んでいたんじゃないだろうか、と思った。まるで意識がなくなったというのは、後にも先にもあの時だけだ。どんなに酔っ払っても意識だけはしっかりしている、などと言い張っていた私の見栄がもろくも崩れ去った日だった。
翌朝昼過ぎになってなんとかこの世に戻ってきたときは、家族からあまりの醜態振りを聞かされて身も縮む思いがした。きっとビールしか飲まない私が、嬉しさのあまり日本酒をぐいぐい飲んだのがいけなかったのだろうと、深く深く反省して、それ以後はよほどのことがない限り、日本酒を飲むことはしなくなった。
しかし、因果は巡るというか、そのとき私の泥酔ぶりを散々こき下ろした妻が15年ほど経った去年の9月、友人との酒席で飲みすぎて動けなくなってしまって、連絡を受けた私が深夜名古屋の駅まで迎えに行ったのだから、笑ってしまう。どれほどの愚かさを見せ付けられようとも、いつ何時己が同じような愚行をするかもしれないと気を引き締めるだけにしておき、軽々しく罵詈雑言を浴びせるものではないと、そのとき心から思った。誰にでも過ちはある。そんな過ちを犯した者だけが、同じような過ちを犯す人に優しくなれる、そんなことを学んだ・・。
しかし、上の表で酔いの状態が、「そう快期」→「ほろ酔い期」→「酩酊初期」→「酩酊期」→「泥酔期」→「昏睡期」と表されているのは、まさしく正鵠を射ている。私が酔って一番楽しいと感じるのは、「酩酊初期」である。それくらいの段階で止めておけば翌日に酒が残らないし、周りの人たちに迷惑をかけたり不快な思いをさせなくて済む。「楽しい酒」で終われるかどうか、そのぎりぎりのところまで飲むのは、一人でチキンレースをしているようで、なかなかのスリルが味わえて楽しい。
さあ、花見をするぞ!!
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