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花祭り

 買い物に行く妻を乗せてスーパーの駐車場に車を止めたら、一角に人だかりがしていた。何かな?と思って近づいてみたら、

  

 「花まつり 甘茶接待」と立て看板に書いてあった。そうか、4月8日か、と中高と浄土宗系の学校に通っていた私は、毎年この日になると校長が校内放送を通じて全校生徒に何やらお釈迦様に関する説法をしていたのを思い出した。そんなものにはまるで興味のなかった私には、退屈極まりない話であり、何の記憶も残っていない。「釈迦に説法」とは「よく知っている者になお教える」という意味だが、「中高生に説法」というのは「まるで甲斐のない無駄話」などと定義づけたら、今はもう亡くなった校長に叱られるかもしれない。
 妻が近づいていって手を合わせた。賽銭を入れる箱も置いてあるようで、ペットボトルに入った甘茶を頂いたお礼に幾ばくかのお金を入れて戻ってきた。私は遠巻きに見ていただけだったが、「はい、これ」と言って小さな袋を渡してくれた。「ネタをあげる」などと言うので見ると、


あま茶のティーパックが入った袋のようだ。きっとお下がりのような意味合いがあるのだろう。それにしても何故甘茶なんだろう。ちょっと調べてみた。

 『寺院では一般に境内に花御堂といって、桜などいろいろな花で飾った小さなお堂をつくり、その中央に甘茶をたたえた水盤を置き、その中にお釈迦様の誕生したときの姿をかたどった銅の仏像(誕生仏)を安置します。参拝者は小さなひしゃくで甘茶を汲み、誕生仏の頭から三回注いで拝みます。そのあと参拝された方は甘茶を飲んだり、家に持ち帰って墨をすり、虫除けのおまじないを書いて戸に張ったりしたこともあったようです。西暦606年に元興寺で行われたものが最初だと言われています。
 小堂を花で飾るというのは、お釈迦様の母上が、咲き誇る無憂樹の花の下でお釈迦様を産んだという花園をかたどったもので、甘茶を注ぐというのは、お釈迦様がお生まれになったとき九頭の竜が天から香ばしい水を吐いて、お釈迦様に産湯を使わせたという言い伝えに基づいています。昔は五香水とか五色水という香水を使っていましたが、江戸時代になって甘茶を甘露になぞらえて使うようになったといわれています』

 なるほど・・。でも、いったいどこのお寺が、スーパーの駐車場まで出張してきて甘茶を振舞うのか・・などと疑問は残ったが、細かなことなど気にせず、家に帰って甘茶を頂いてみた。

 

 湯飲みにパックを入れ、熱湯を注いで3分ほど待つと、いい色合いのお茶ができた。早速ふ~ふ~しながら飲んでみたら、意外においしかった。甘いことは甘いがそれほどきつくはない。紅茶に砂糖を少し入れたくらいの味がして、最後まで飲むことができた。甘茶というものを初めて飲んだように思うが、「結構なお手前でした」
 ちなみに、甘茶とはユキノシタ科の落葉樹であるアマチャまたはうり科のアマチャヅルの葉を蒸してもみ乾かしたものなのだそうだ。

 
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