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裁判員制度

 もうだいぶ前になるが、土曜夜の「スマステ」で裁判員制度の特集をやっていた。それまであまり関心を持っていなかった裁判員制度について色々知ることができて役に立つ特集だった。その中で最も驚いたのが、裁判員に選ばれたら、わずかな例外を除いて拒否することができないことだった。「それは無茶だろう?仕事だってあるんだから・・」などと思ってもう少し裁判員制度について勉強しなくちゃいけないな、と思った。そんな時に書店で、「つぶせ!裁判員制度」(井上薫著 新潮新書)というかなり刺激的な題名の本を見つけた。帯には、

 あなたは「死刑判決」を下せますか?元判事が世紀の愚考を徹底批判

などという文言が大きく書かれている。「これはかなり参考になるな」と直感して読んでみることにした。
 言うまでもなく、私は法律の素人だ。無味乾燥な法律の条文など読みたいとは思わない。それでも、何か事が起こったら、やはり頼らなければならないのが法律だ。法律は人の世の争いごとを裁く基準としてはなくてはならないものだし、その法律に則って争いを裁くには法律に関する徹底した知識が必要だ。分厚い六法全書の全てに通暁している人は少ないかもしれないが、難関と言われる司法試験に合格できるだけの法律に関する知識を持ち合わせた人のみが、裁判官、検察官、弁護士として法廷の場に立てるのは、厳正なる裁判によって国民の人権守るためには至極当然のことであり、司法制度の根幹を成すものだと思う。それなのに、あえてそこに法律の知識などまるでないずぶの素人を裁判員として参加させるのにはいったいどんな意味があるのだろう。民意を尊重し、開かれた裁判を目指すなどという建前論によって裁判員制度は来年の5月から実行されることになっているが、果たしてそんなことをしていいものだろうか?この本の著者はこの裁判員制度を憲法違反であると一刀両断する。

 裁判員制度により、裁判所は法令に基づかない裁判をすることとなります。
 裁判所は、非民主主義的性格をもちますが、それでも国民主権原理を裁判所に届かせるため、つまり司法の民主的コントロールのためには、法令に基づく裁判の要請が極めて重要な地位を占めていることは、すでに述べたとおりです。ところが、裁判員制度によって、法令に基づく裁判の要請は否定されました。もはや、国民主権主義は、司法へは届かなくなるのです。
 国民の代表が集まる国会で、いくら法律を制定してみても、裁判所で使ってもらえるかどうか、何の保証もない時代が来るのです。出るところへ出ても使えない法律なんて、誰が守るでしょうか?
 国民主権原理を高らかに謳う日本国憲法が、壮大なパロディーと化したのです。(p.132)

 法律の知識を持たない私のような者が、殺人事件のような重罪事件に対して、生まれて初めて臨む裁判で、しかも己の意に反して強制的に裁判所に引き出されたとしたなら、いったいどれだけ正確な判断ができるというのだろう。重罪事件であれば、被害者、加害者だけでなく、その家族たちの人権もその判決によって甚大な影響を受けるだろう。そんな多くの人の人生を左右してしまう裁判に、私のような素人がたとえどんな形であれ、軽々に携わることなどとてもできない。はっきり言って無理だ。
 そうした不安は多くの国民が抱いているようで、先日最高裁が裁判員制度に関して発表したアンケート結果にも如実に表れている。


「裁判員制度に参加したいか」という問いに対して、4割近くが参加したくないと答え、参加したくないが義務だから仕方ないと答えた人まで含めると、実に8割以上の国民がこの制度に否定的な考えを持っていることになる。これはすごいことだ。こんな結果を見ても、来年実施の規定路線が何も変わらないとするならば、余りに民意を軽く見ていることになるだろう。
 議論が沸き起こることを望む。
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