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駄菓子

 私の子供の頃には、近所に4軒も駄菓子屋があった。「ムラセ」「コメとも」「ヒコサ」「マネキヤ」などと、看板も掲げてない小さな店は、苗字とも屋号とも付かない名前で呼ばれていた。私は毎日母から小遣いをもらって、そのうちの1店に何かを買いに行ったものだ。「何か」というのは、お菓子であったり、くじであったり、文房具であったりした。そんな店に行けば必ず友達の誰かがいた。駄菓子屋が集合場所のようになっていたのだろう、そこにいた友人と夕方までずっと遊んでから家に帰る、そんな毎日を繰り返していた。自転車には乗っていたが、決して行動半径は広くなかった。町内、広くても学区内をうろちょろしていただけで、隣の学区にある店にまで出張して行って、そこにいる見知らぬ者たちと遊んだりするなどということはまったくなかった。本当に狭い世界でワイワイガヤガヤやっていただけだった・・。
 私の息子が小さかった頃は、その4軒のうちの1軒だけが細々と営業を続けていて、息子もよくそこに通っていた。しかし、今ではその店も廃業してしまったので、近所に駄菓子屋などなくなってしまった。その代わりにコンビニが一軒あるが、そこはやはりあらゆる世代が利用する店であり、子供だけの聖地ではない。子供を対象とし、子供が欲しがる物しか置いてない、そんな昔ながらの駄菓子屋はもう私の家の周りには一軒もない。「何も考えずに、いつも笑っていられる日々」の舞台となる駄菓子屋を、今の子供たちには周りにもっていない、それはなんだか寂しいことだなあ、などと時々思う。甘酸っぱい思いとともに甦る駄菓子屋、そんな私たちの世代には子供の頃の原風景と呼べるものがあったが、今の子供たちが長じたときに、振り返ってみて、何を自分の原風景と思うのだろう。家の中の一室で、TVの前に座ってゲームに興じていた思い出、そんなものが子供の頃の象徴であったとしたら、なんだか殺風景過ぎる。かと言って、子供たちがそんな思い出しか持っていないとしたなら、それは私たち親の世代の怠慢であったと詰られても仕方のないことではあるが・・。

 「じゃあ、お前は、思い出の中で光輝を放っている駄菓子屋でいったい何を買っていたんだね」と自問してみた。「ミレー」というお菓子が一番に浮かんできた。
私が通っていた店では、袋売りしているのではなく、好きな枚数だけ買えるようにバラで売っていたように思う。塩味の効いた私の大好物だったこのお菓子を、もう一度食べたくなって、スーパーで探してみたらすぐに見つかった。


その時、すぐ横に並んで売っていたのがこのお菓子だ。


おお、これは懐かしい・・。これもバラ売りしていた。「ラスク」って言うのか、私の通った店ではそんな名前で売られていなかったような・・、何だったっけ・・、う~ん、思い出せない。(ラスクさんのHNの由来はこのお菓子なのかな?)
 しかし、今まで気にも留めなかったが、昔ながらのお菓子は今でもスーパーで色々売っている。「しるこサンド」「おにぎりせんべい」「すずカステラ」・・・。よく食べたなあ、本当に。そう言えば、「たません」も!!と、不意に懐かしい醤油の香りが鼻孔をくすぐったように感じた。

 「たません」というのは、「たまごせんべい」の略称であり、名古屋とその近郊の駄菓子屋さんで盛んに作られた。直径15cm以上のえびせんべいを鉄板の上で焼いて、その上で目玉焼きを作って醤油やソースで味を調える。きちんとした「作り方」 はクリックすれば載っているが、私がよく食べた「たません」はもっとシンプルな作り方で、それでいてとてもおいしかった。寒い日に「たません」を作ってもらって、それを「アチ、アチ!!」とか言いながら食べたのは鮮明に記憶に残っている。
 また今度自分で作ってみようかな・・・。
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