毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
鏡子夫人
私が夏目漱石の小説を読んだのは、「吾輩は猫である」が最初だったと思う。「坊ちゃん」の話はその前から知っていたが、映画やマンガで見聞きしただけで、きちんとした書物で読んだのは「猫」よりも後のことだったはずだ。英語教師苦沙弥先生の家に寄宿することになった、名前のない猫の目を通して描かれた珍妙な言動をする登場人物たちは、どこか浮世離れしていて、私の今まで知らなかった世界に目を開かせてくれた。古今東西に渡るあり余る該博な知識を縦横無尽に駆使しながらも、ユーモアあふれる筆致で著された「猫」は、私にとって漱石文学への水先案内的役割を果たしてくれた。しばらく漱石に沈溺した後で、日本文学、さらには世界文学へと対象を広げていった私には、「猫」こそが文学逍遥への入り口であったのといえるだろう。
そんな私の宝とも言うべき「猫」の中には、美学者・迷亭をはじめとして素っ頓狂な人物が数多く登場する。誰もが今風の言葉を使えば「濃いキャラ」の持ち主であるが、その中でも私は苦沙弥先生の「細君」がなぜか好きだ。一癖も二癖もある人物ばかりが出入りする苦沙弥家で、表立つ場面は決して多くはないが、常に家の片隅で暗然とした存在感を持っている、そんな「細君」が昔から好きだった。
そんなことを思い出したのは、「漱石夫妻 愛のかたち」(朝日選書)を読んだからだ。著者は漱石の長女筆子の次女である、松岡陽子マックレイン。アメリカ・オレゴン大学へ留学した後、同大学で30年間日本語・近代文学を教えてきた人物である。この孫娘が、祖母や母から聞き知った祖父・漱石のことや、直接慣れ親しんだ祖母であり漱石の妻でもある鏡子夫人についての思い出などを書き綴ったのが本書である。私は昨年末にこの本を見つけ、著者の来歴に惹かれて読み始めたのだが、初めのうちは私の知りたい漱石のことよりも、自分たち一族についての紹介のような記述が多く、読むのが面倒になってしまい、途中何度も読むのを中断してしまった。2・3ページ読んでは休み、5ページほど読んだらしばらくは別の本を読む、などということを繰り返しているうちに、半年ほどが過ぎてしまった。それでも、何とか半分ほど読んだら、第2章の「祖母鏡子の思い出」にたどり着いた。すると、まったく予想外であったが、そこから話の内容が俄然面白くなってきて、一気に読み終えることができた。
漱石の妻・鏡子がそのまま「猫」の細君ではないだろうが、かなり彼女を投影した部分があるように思う。例えば、「細君」には頭のてっぺんにハゲがあるのを苦沙弥先生が見つけて驚く、というくだりがあるのを今でもしっかり覚えているが、鏡子夫人にも頭の真ん中に大きなハゲがあったのを見たことがある、と本書の中で著者が述懐しているのを読んで思わず笑ってしまった。もちろん私小説と相容れない文学観を持っていた漱石のことなので、文学的修辞を加えているのは言うまでもないだろうが・・。
鏡子夫人は「悪妻」として名高い。松岡女史はそれを漱石死後鏡子夫人の暮らしぶりを見て忸怩たる思いをした弟子たちが、作り出したものではないだろうかと、憶測している。そう思われても仕方のない事例として、莫大な印税収入を湯水のように使い、派手で豪勢な暮らしをしていた様子を挙げている。漱石が質実な暮らしをしていたのを知悉していた弟子たちから見れば、そうした鏡子夫人を快く思わなかったのも当然かもしれない。だが、それに対して作者は、それは漱石死後のことであり、「漱石の生前は、教師の給料や新聞記者になってからの給料だけで、夫と自分、それに六人の子供という大きな家庭を賄ったのだから、そのやりくりは大変だったに違いない。・・・・にもかかわらず、不平一つ言わず、夫の友人たちをただ同然の安いお金(五円)で下宿させたり、また学生を助けたり、正月には大勢の人にご馳走を振舞ったり、と多くの援助を施している。普通の人になかなかできることではない。だから、夫を助けたという点では、むしろ良妻だったと私には写る」(P.146)と反論している。
それが孫娘としての贔屓目から来るものなのかどうかは私には分からないが、次の記述を読んだときには、なぜかほっとした。「<あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ>という旧式な考えを自覚していた漱石は、「形式的な昔風な倫理観に囚われ」ず<自己の存在を主張しようとする>近代性をもった祖母を、時には憎みながらも、皮肉にも尊敬し、そして愛していたというのが私の見方である」(P.152)
世間の目がどうあれ、自分の孫娘にこう思われる漱石は幸せ者だなあ、と素直に思った。松岡女史は現在84歳、ますますご健勝で過ごされるよう、僭越ながらお祈り申し上げる。
そんな私の宝とも言うべき「猫」の中には、美学者・迷亭をはじめとして素っ頓狂な人物が数多く登場する。誰もが今風の言葉を使えば「濃いキャラ」の持ち主であるが、その中でも私は苦沙弥先生の「細君」がなぜか好きだ。一癖も二癖もある人物ばかりが出入りする苦沙弥家で、表立つ場面は決して多くはないが、常に家の片隅で暗然とした存在感を持っている、そんな「細君」が昔から好きだった。
そんなことを思い出したのは、「漱石夫妻 愛のかたち」(朝日選書)を読んだからだ。著者は漱石の長女筆子の次女である、松岡陽子マックレイン。アメリカ・オレゴン大学へ留学した後、同大学で30年間日本語・近代文学を教えてきた人物である。この孫娘が、祖母や母から聞き知った祖父・漱石のことや、直接慣れ親しんだ祖母であり漱石の妻でもある鏡子夫人についての思い出などを書き綴ったのが本書である。私は昨年末にこの本を見つけ、著者の来歴に惹かれて読み始めたのだが、初めのうちは私の知りたい漱石のことよりも、自分たち一族についての紹介のような記述が多く、読むのが面倒になってしまい、途中何度も読むのを中断してしまった。2・3ページ読んでは休み、5ページほど読んだらしばらくは別の本を読む、などということを繰り返しているうちに、半年ほどが過ぎてしまった。それでも、何とか半分ほど読んだら、第2章の「祖母鏡子の思い出」にたどり着いた。すると、まったく予想外であったが、そこから話の内容が俄然面白くなってきて、一気に読み終えることができた。
漱石の妻・鏡子がそのまま「猫」の細君ではないだろうが、かなり彼女を投影した部分があるように思う。例えば、「細君」には頭のてっぺんにハゲがあるのを苦沙弥先生が見つけて驚く、というくだりがあるのを今でもしっかり覚えているが、鏡子夫人にも頭の真ん中に大きなハゲがあったのを見たことがある、と本書の中で著者が述懐しているのを読んで思わず笑ってしまった。もちろん私小説と相容れない文学観を持っていた漱石のことなので、文学的修辞を加えているのは言うまでもないだろうが・・。
鏡子夫人は「悪妻」として名高い。松岡女史はそれを漱石死後鏡子夫人の暮らしぶりを見て忸怩たる思いをした弟子たちが、作り出したものではないだろうかと、憶測している。そう思われても仕方のない事例として、莫大な印税収入を湯水のように使い、派手で豪勢な暮らしをしていた様子を挙げている。漱石が質実な暮らしをしていたのを知悉していた弟子たちから見れば、そうした鏡子夫人を快く思わなかったのも当然かもしれない。だが、それに対して作者は、それは漱石死後のことであり、「漱石の生前は、教師の給料や新聞記者になってからの給料だけで、夫と自分、それに六人の子供という大きな家庭を賄ったのだから、そのやりくりは大変だったに違いない。・・・・にもかかわらず、不平一つ言わず、夫の友人たちをただ同然の安いお金(五円)で下宿させたり、また学生を助けたり、正月には大勢の人にご馳走を振舞ったり、と多くの援助を施している。普通の人になかなかできることではない。だから、夫を助けたという点では、むしろ良妻だったと私には写る」(P.146)と反論している。
それが孫娘としての贔屓目から来るものなのかどうかは私には分からないが、次の記述を読んだときには、なぜかほっとした。「<あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ>という旧式な考えを自覚していた漱石は、「形式的な昔風な倫理観に囚われ」ず<自己の存在を主張しようとする>近代性をもった祖母を、時には憎みながらも、皮肉にも尊敬し、そして愛していたというのが私の見方である」(P.152)
世間の目がどうあれ、自分の孫娘にこう思われる漱石は幸せ者だなあ、と素直に思った。松岡女史は現在84歳、ますますご健勝で過ごされるよう、僭越ながらお祈り申し上げる。
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