goo

ごちそうさま

 今年のバレンタインデーはあっという間に過ぎてしまった。毎年2月は忙しさのピークなのに、今年は息子の受験が重なって、もう本当ににっちもさっちも行かない状態だ。しかし、こんな心が落ち着かないときだからこそ、思いがけずに頂いたバレンタインのチョコレートは嬉しかった。そこで、感謝の気持ち半分と自慢の気持ち半分で、以下に頂いたチョコレートの写真を載せてみる。

 まずは ROYCE の生チョコ。私が初めて食べた生チョコはこの ROYCE だった。それ以来時々食べる機会があるが、今回まとめて3種類の生チョコが食べられたのは嬉しかった。どれもおいしい。
    オーレ                 ホワイト                 シャンパン
  


次には親戚から頂いたチョコ。
  


手作りのチョコ。今年は生チョコが多かった。どれもみな上手においしく作ってある。レシピがあるのかもしれないが、感心した。
  


バレンタインデーの贈り物はなにもチョコだけじゃないだろう。色々あった方が楽しい。今年はこんなものも頂いた。
  

特に真ん中の羊羹は私のツボを心得ている。おいしくて一気に2つ食べてしまった。

最後に GODIVA のチョコ。
 

 へ~~え、GODIVA って今まで何度か食べたことがあるけど、ずっとイタリアのチョコだと勝手に思い込んでいた。冊子を読んで初めて知った、イギリスなんだ、びっくりした。そこには、GODIVA という名の由来も書いてあってなかなか興味深いから転載しようかと思ったが、今日のところはおいしいチョコを頂くだけにしておこう。
 ごちそうさまでした。

コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

停電

 昨日の夕方、塾の授業中に突然照明が消えた。5時少し前で教室内にはまだ明るさが残っていたため、勉強中の子どもたちはさほど驚かなかった。私は教室から出て、すぐ横の壁に架かっているブレーカーを見たのだが、全てONになっていた。変だな、と思って階段を下りようとしたら、玄関口に私の父がいた。
「停電しちゃった」と私が言うと、「停電?今ここで電気を使ったからかな・・」と言って電気工具を見せた。玄関の戸の調子が悪いので修理してくれていたのだ。
「上のブレーカーはどうだ?」
「今見たけど正常、何ともなっていない」
「おかしいな・・。それじゃあ、一番元のブレーカーが落ちたのかな?」
と言って、一階のシャッターの横の壁にある配電盤を見に行った。私もすぐに直らなければ困ってしまうので、生徒たちに事情を話し、自習しているように言いつけて配電盤のところへ行った。しかし、そこも変わったことはないように見えた。
「ここのブレーカーも落ちてないよね」と私が言うと、
「そうだな」と、父も合点が行かないようだ。電気に関してまったくの素人の私ができることは何もない。でも、何かをせずにはいられなかったので、あれこれスイッチを押してみたのだが、当然のごとく電気は点かない。「う~~ん」と唸って父を見ても、何がどうなったか皆目わからないという顔をするばかりだ。
「どうしよう?」
「そりゃあ、専門家に来てもらうしかないだろう」
「そうだね」
私は近所の電器屋に電話してみたが、あいにく仕事で名古屋まで出かけていると言われた。それじゃあ、ともう一軒別の電器屋に電話してみたが、こちらは誰も出てくれない。「困ったな」と、次第に焦り始めた私は父の意見に従って、電力会社に電話してみた。しかし、もう営業時間が終わって、録音された音声が流れるだけだった。「どうしよう」。はっと気づくと、夕闇が迫り始めている。慌てて教室に戻ったら、生徒たちはおとなしく勉強していたものの、教室内はかなり薄暗くなっていた。まだ何とか文字を読める明るさは残っていたが、このままではすぐに暗闇に変わってしまう。「何とかしなきゃ」。もう一度階段を下りて配電盤をにらんでみたが、原因が分かるはずもない。かと言って何もしないではいられないので、電話に出なかった電器店にまた電話してみた。すると、今度は4、5回鳴らしただけで電話に出てくれた。私はかいつまんで状況を説明したところ、
「家のブレーカーがなんともなってないなら、直接電柱のブレーカー落ちたのかな・・。でも、普通そんなことないし・・。まあ、すぐに行きますわ」と言ってくれた。私は、電器屋が来れば何とかしてくれるだろう、とかなり安心した。教室に戻って、生徒たちに「電器屋さんが来てくれるからもう大丈夫。それまでもうちょっと我慢してくれ」と話したのだが、教室は一段と暗くなっていた。生徒の顔がくすんではっきりしない。もし電器屋が来ても簡単に直らないようなら、もう夜は授業ができなくなってしまう。そうしたら、生徒の家に休講を連絡しなければならないが、妻は昨日から息子の付き添いで東京に出かけてしまっていた。私一人で40軒近くの家庭に電話するには時間が足りない。「そうなったら、どうすればいいんだろう?」と、焦る気持ちを何とか抑えながら、子どもたちの勉強を見ていたら、やっと電器屋が車で来てくれた。
 電器屋は車から降りるなり、配電盤を調べてくれたが、「何ともなってないなあ・・。おかしいなあ」とブツブツ言いながら首をかしげている。「待てよ、これかな?」と言って、一番左にあったブレーカーのスイッチを一旦下まで下げてから、上へはね上げた。すると、塾中の明かりが一瞬のうちに点灯した。
「おお!」思わず私は声を上げてしまった。初めて電灯の明るさを体験した明治時代の人々も、こんな気持ちがしたのだろうかと思うほどの感激だった。
 電器屋の説明によると、このブレーカーには漏電防止の装置も付いているため、普通のブレーカーのようにスイッチをただ上げるだけでは作動せず、一度下まで下ろしてリセットしてから上へ上げなければならない構造になっているのだそうだ。そんなことなど父も私も知っているはずもないから、大慌てしてしまった。父など、自分が原因を作っただけに、明かりが点灯したのを見て心底ホッとしたようだった。私は電器屋に平身低頭して心から感謝の意を表してから、教室に戻った。教室は驚くほど明るかった。
「この部屋ってこんなに明るかったっけ」と生徒に聞いてしまうほどだった。子どもたちは突然の出来事を結構楽しんでいたようだが、私は薄氷を踏む思いだった。時間にすれば30分ほどだったろうが、実に冷や汗ものの事件だった。
 しかし、何にしても塾を休まずにすんだのだから、よしとしなければならないだろう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

オオカミ

 昨日は一日中寒かった。「春一番」が吹いてこのまま春になるのか、などと書いた私をあざ笑うかのような寒さだった。まさしく「寒のもどり」だ。夕方からはみぞれさえ降り始めた。山間部から下りて来る車の屋根にはうっすらと積雪していたほどだ。なんだ、このふざけた気候は!!完全にバカにされているような気がする。

 だが、この異常気象に振り回されているのは人間だけではあるまい。山では暖冬で冬眠する必要のないクマたちが、人里まで降りてきて人間を襲ったりしている。困ったものだと言っても、地球は人間だけのものじゃない。野生の生物たちも暮らしているわけだから、棲み分けが上手く行かなくなることだってある。問題なのは私たち人間が自分たちの生活を優先するために、動物たちの山での暮らしを難しくしているということだ。クマだけでない、イノシシも農家の作物を荒らす害獣になっている。私の父も、畑でのイノシシ対策に頭を悩ませている。少し前までイノシシなど出たこともなかった土地なのに、開発によって彼らの生活圏が狭くなったために仕方なく人家の近くまで下りてきたのだろう。さらには、シカが自然林の樹皮を食べる被害も大きな問題となっている。
 先日中日新聞の夕刊に、増えすぎたシカの害で壊滅状態の日本の山に、天敵のオオカミを移入しようという論が盛んになってきたという記事が載っていた。オオカミ導入の提唱者である日本オオカミ協会会長の丸山直樹東京農工大名誉教授の話が載っていた。そんな協会があるとは初耳だったが、協会のHPもあって、なかなかの説得力をもつ意見であった。その記事によると、日本でオオカミが絶滅した後、ハンターがシカの駆除に役割を果たしてきたが、近年はハンターの高齢化が進み、人間の手による駆除もままならなくなって来たという。したがって、オオカミというシカの「天敵を復活させ、生態系の食物連鎖を復元することが必要だと考えた」と丸山氏は言う。
 オオカミといっても、ニホンオオカミは絶滅してしまったので、外国からオオカミを導入することになるのだが、ニホンオオカミというのはどんな形態をしていたのか写真を探してみた。

 
小ぶりだが精悍な感じがして、かっこいい。分類学上は食肉目いぬ科いぬ属に属し、頭胴長95~114cm、尾長約30cm、肩までの高さ約55cmで、体重は推定15kg前後、色は暗い黄赤味を帯びた白茶色で、夏毛と冬毛では毛色が変わったと言われている。分布域は日本の本州・四国・九州で、主要な食べ物はニホンジカやイノシシであった。習性としては、普段は2・3頭で昼間も行動し、山麓に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、3頭ほどの子を産んだと考えられている。
 こうしたオオカミを野に放てば、人間を襲ったりするのではと危惧されるが、「臆病で人を見ると逃げてしまう」と丸山氏は述べている。しかし、「森林から人里に出てくるオオカミは捕り、人間は怖いものだと常に学習させなくてはいけない」とも言っている。
 勿論、このオオカミ導入論には強い異論もあるようだ。長年自然保護活動に携わってきた東京海洋大名誉教授の弥永健一氏の「すでにオオカミにとっても森はすみにくくなってしまっている。すむ場所の問題をクリアしないままオオカミを導入したら、人間と接触する可能性もある。現時点でオオカミを再導入する条件は整っていない。時間はかかるが、生態系そのものを回復することを目指すべきだ」という主張が紹介されている。
 まったくの門外漢である私が軽々に論じる問題ではないだろうが、対処療法的である丸山氏の考えと抜本的ではあるが果たして時間的にそれほどの猶予が残されているか危惧される弥永氏の考えとでは、一長一短あるように思われる。だが、山の荒廃は待ったなしの状態である。一刻も早い対策を講じなければならないのは、あらゆる環境問題と軌を一にしている。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

春一番

 昨日の朝、目覚めたら窓の外で風がうなっていた。荒天かなと思って階下に降りていったら、何となく生暖かい。変な天気だなと思っていたら、「春一番だよ」と妻が言った。「まだ2月だろ?」と私は合点が行かなかったが、強い風と暖かい空気では春一番が吹いたとしか思えない。暖冬もとうとうここまで極まったかと、少々ぞっとした。春一番と言うのは、「立春から春分の日の間に、沖縄と東北、北海道を除く地域で強い南寄りの風が吹き、気温が上がる現象」のことだが、いくらなんでも早すぎる。後でラジオで聞いたところによると、愛知県で春一番が吹いたのは昨年よりも1ヶ月も早いのだそうだ。驚いてしまう。
 6カ国協議で北朝鮮の核施設の封じ込めに成功したと言うニュースが流れたばかりである。確かにそれも大事な問題だが、地球温暖化を食い止めることも同じくらい、いやそれよりも急務であると思ってしまう。暖冬の原因や影響は色々な観点から連日論じられている。私が見聞きした範囲では、このまま温暖化が続けば、北極の氷が溶け出してしまうことが最悪の影響のようだ。海面が上昇すれば生態系に及ぼす影響は計り知れず、地球的規模での危機が襲ってくると言われる。少し前までなら、何を大袈裟に、と思いもしたのだが、こうも暖かいと最悪のシナリオが徐々に進んでいるような気がしてならない。私たちの日常生活で温暖化を食い止めるのに役立つことなど微々たるものであろうが、だからと言って何もしないわけにはいかない。とにかく化石燃料の消費をできるだけ抑え、二酸化炭素ガスの排出を減らすように生活のスタイルを改めて行かなければならないだろう。「千里の道も一歩から」だ。

 しかし、何はともあれ春が近づいてきたことは喜ばしい。春一番が吹いたという報を聞くと、私たちの世代が思い出すのはやはりキャンディーズの「春一番」という歌であろう。

   「春一番」  穂口雄右 作詞
 雪が解けて川になって 流れて行きます
 つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します
 もうすぐ春ですねぇ
 ちょっと気取ってみませんか

 風が吹いて暖かさを 運んできました
 どこかの子が隣の子を 迎えに来ました
 もうすぐ春ですねぇ
 彼を誘ってみませんか
 泣いてばかりいたって 幸せは来ないから
 重いコート脱いで 出かけませんか
 もうすぐ春ですねぇ
 恋をしてみませんか


 私はキャンディーズを余り好きではなかったが、この YouTube の映像で久しぶりに見た彼女たちは文句なく可愛い。大学の友人にキャンディーズの大ファンがいたが、今になって彼の気持が少し分かったような気がした。映像の中のキャンディーズは黄色い衣装を着ているが、春には黄色がよく似合う。母さんのブログに福寿草の群生の写真が載っていたのを見て、はっと思って我が家の庭の福寿草を探してみた。すると、下草の陰に隠れて見えなかっただけで、随分前からしっかりと咲いていたようだ。

 

日の光を浴びて写真ではっきりしないが、たくさんの花が咲いていた。知らないうちに春はやってきていたんだなと感心したが、今年はそうばかりも言っておられない。もし、このまま一気に暖かくなったら、2月中に桜が開花するなんてことにならないだろうか。いくらなんでもそうはならないだろうが、ひょっとしたら、という気がしないでもないのが恐ろしい。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

努力!

 名古屋地区の私立中入試も昨日の合格発表でだいたいの日程が終了した。名古屋の私立中入試は、少子化が進む中で毎年倍率が高くなっている。六ヵ年一貫教育を標榜し、大学受験に有利であるという意識が浸透してきた結果なのだろうか、今年の入試はなかなかの激戦であった。わが塾でも、高い倍率のあおりを食らって中堅校で思わぬ不覚を喫した生徒もいたが、私としてはほぼ満足いく結果を得られたと思っている。特に昨日、女子校中最難関校(倍率4.4)の合格発表で、受験者3名中2名の合格者が出たのは望外の喜びであった。わが塾のように小規模な塾で、昨年に引き続き定員200名の内2名の塾生を合格させることができたのは、塾生の頑張りのお陰であると、苦しい受験勉強を耐え抜いた彼女たちを心から祝福したい。(不合格だった生徒もよく頑張った)
 この合格した生徒は、私立中受験クラスの成績1位の子(A子)と2位の子(B子)で、実に対照的な2人である。
 A子は見るからに利発そうで、私が話しかけてもはきはきと答え、話していても面白い。小学校2年生から塾に通い始め、3年生の時からは1学年上の勉強をずっとしてきた。そのため1年前に私立中学を受験したとしても中堅校なら楽々合格できるだけの学力を身に付けていた。
 一方B子は天然パーマの髪と丸い顔が人のよさそうな印象を与える。A子と違って私が話しかけても口をもぐもぐさせるだけで、はかばかしい答えを返してくれない、少々シャイな女の子である。B子は4年生から受験クラスに入って、コツコツと課題をこなして少しずつ進歩を重ねてきた。
 この二人が6年生になって初めて同じ土俵に立って競い合うようになった。4月の時点での模試の結果は圧倒的にA子の方がよかった。偏差値で言えば、5ポイント以上も上だった。A子は当然のごとく最難関校(N校)を目指し、私が見ても合格はかなり濃厚なレベルであったが、B子の力ではN校の次の学校(S校)に合格できれば十分かなと思っていた。1学期の間は、多少の波はあったものの2人の差は縮まることはなかった。
 それが2学期になった辺りからだった。模試の過去問を練習するうちにB子が時々A子よりも高得点を取るようになったのだ。私は最初A子が怠けていて、得点が下がっているのだと思い、A子を注意していたのだが、やがてそれはB子の努力がだんだんと実を結び始めた結果だというのに気づいた。A子はどんな問題でも要領よくこなす力はあるものの、面倒くさがって復習をおろそかにする傾向があった。「それでは後から困るぞ」と何度も注意していたが、なかなか改善されなかった。B子は私の言うことを守り、自分で間違えた箇所はノートに書き込み、復習に時間をかける勉強を繰り返していた。それは、歩みののろい亀がフットワークのやたら軽いウサギに競走を挑んでいるようにも思えたが、2学期中に2人の距離は少しずつ縮まっていった。
 その結果、昨年末に実施された河合塾のN校模試ではとうとうB子がA子の成績を上回り、合格確率もB子にワンランク上の判定が出た。A子もそれなりに勉強していたのだろうが、この時期から心に迷いが生じていたのかもしれない。何だか中途半端な状態で入試期間を迎えてしまった。私もあれこれアドバイスを重ねたが、狂い始めた歯車はなかなか修正できなかった。一抹の不安を抱えながらも、圧倒的な地力を持っているだけに何とか乗り切ってくれるだろうと期待していた。
 最初の2校は2人とも順当に合格した。B子は合格するたびに自信を深めていくのがよく分かった。顔が自信にみなぎっていた。そして№2の学校・S校の受験の発表日、B子は合格したが、あろうことかA子が不合格となってしまった。過去問を解いていても、A子の出来が思わしくないのは分かっていたが、まさか不合格になるとは思ってもみなかった私は狼狽した。A子は「どうせ合格しても行くつもりのない学校だから・・」などと嘯いていたが、かなりのショックはあっただろう。しかし、それがかえってよかったのかもしれない。発表があってからN校の受験日まで実によく勉強した。「もっと早くからこれくらい真剣にやっておけよ」と言いたい気持ちをぐっと我慢して、合格目指してA子とB子が一丸になって勉強するのを励ました。なかなか充実した日々だった。
 その甲斐あって、とうとうA子もB子も合格できた。A子が短期間で成長できたのも嬉しかったし、何よりもたゆまぬ努力で積み上げてきたものを開花させたB子の頑張りには心から感服した。今までN校に合格した生徒は何人かいるが、その中でも一番の頑張り屋さんだろう。私に努力の大切さ、尊さを改めて教えてくれた。

 4月からは新しいステージの幕が開く。二人とも自分を見失わず、楽しい中学校生活を送って欲しい。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

神頼み

 日曜日に息子は東京の私大を受験した。近年は地方試験も多くなって名古屋で受験できる大学も増えたが、その私大はそうした便宜を提供していないため、前日に上京してホテルで一泊して受験した。妻が付き添いとして同道した。高3男子に親が付き添う必要はないだろうと思っていたが、万全の状態で試験に臨ませるには、交通手段などこまごましたことを引き受ける者がいた方がいいだろうということになって、妻が付き添うことになった。今週の金曜に再び上京して1週間近くホテル暮らしをしながら何校か受験することになっているため、その予行演習もかねての上京であった。
 センター試験で予想外(?)の大失敗を犯してしまった息子は、国公立大狙いから私大狙いへと志望を変えたため、元日に参拝した北野天満宮で合格祈願の絵馬に記した志望校とはかなり違う大学を受験することになった。そのため、京都に住んでいる娘に電話して絵馬に新しい志望校名を書きに、北野天満宮へ行ってくれるように頼んだ。すんなり合格してしまえば何も気にはならないことだろうが、万一失敗したときに「ああ、絵馬に志望校を書き直しておけばよかった」などと後悔するようなことはしたくない。ちょっとナーバスになりすぎているのかなと思わないでもなかったが、ここまで来ると神仏の力を借りてでも何とか合格させてやりたい。娘もわが意を汲んでくれて、天満宮まで走ってくれた。胸のつっかえが取れたようですっきりした。なんだか、考えが爺くさくなってきたなぁ・・。
 同じ思いからか、妻は妻で息子が試験に取り組んでいる間に湯島天神に合格祈願にいってきたという。「東京の大学を受けるんだから、東京の天神さんにお願いしなければいけない」、という理屈らしい。


湯島天神と通称されているが、一体どこにあるのかまったく分らない。私は東京には4、5回しか行ったことのない田舎者であるが、妻はSMAPのコンサートやいろんな舞台を見に行っているため結構詳しい。土地勘も少しはあるので、今回の付き添いでも今までの経験が役に立つことだろう。


これが合格祈願のご祈祷を受けて頂いてきたおさがりだ。お札、鉛筆、梅干、はち巻き、かなりの量だ。
「すごいな、こんなにもらえたの?」
「うん、それがね、ご祈祷料は3,000円からと受付で言われたから1万円札を出したの。7,000円おつりが来ると思って待ってたら、1万円の領収書がもらえた。どうしようかなと思ったけど、そのままにしてご祈祷受けてきちゃった」
「・・・」
まあ、ここまで来たら、菅原道真公の大徳にすがるしかないのだから、少々の出費は致し方ないのかもしれない。妻も大学の受験料や交通費・宿泊費などがかさんで、かなり金銭感覚が麻痺しているのかもしれない。しかし、ここからが息子の正念場だ。ほんの少しでもいいから息子に力を貸していただけるよう、八百万の神々にお願いするばかりだ。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

ぼかし

 今まで書かずにいたことなのだが、実は私にはどうにも理解できなかったことが一つある。それはこれだ。


市役所の支所として設置されている機関の窓ガラスにこんな張り紙がしてある。もう3、4年前からこの「ぼかし」なるものがいったい何であるのか気にはなっていたが、知らないまま過ごしてきてしまった。「ぼかし」ってなんだろう?まさか、あやしいビデオのモザイクでもないだろうが。
 手元にあった、小学館版「国語大辞典」で調べてみた。
 
 ①ぼかすこと(ぼかす=色や形などの境い目をはっきりさせないようにする。また、薄暗くぼんやりとさせる)
 ②絵画で、境い目の色彩の濃淡を次第に濃く、または薄くして陰影を表す技法

どうも違う。いくら分室であると言っても市の名前を大きくかざしている以上市民の生活に役立つ物品を販売しなければならないだろう。この定義とは何か違う。そこで、ネット検索してみた。するとまったく思ってもみなかったことが分った。「ぼかし」というのは、EMぼかしのことであるらしい。

「EM」とは 有用微生物群のこと。自然界に存在する微生物で、環境や生物に有用な働きをする乳酸菌・酵母菌・光合成細菌・放線菌などを選んだ培養液。
「EMぼかし」とは 発酵合成型有機肥料のこと。米ぬか・もみがらにEMと糖蜜を混合し、発酵・乾燥させたもの。
「EMぼかしが、なぜいいの?」
生ごみには多くの抗酸化物質(ポリフェノール・カテキン・リコピンなど)が含まれ、生物の栄養素として大変すぐれている。生ごみを腐敗させる前にEMぼかしをふりかけると、発酵分解し良質の堆肥に変わる。作物の根のまわりにこのような生ごみを入れることにより、有用な微生物はさら多くのアミノ酸、核酸、ホルモン、ビタミン、糖類などの作物の味や栄養を決定づけ、微量栄養素を分泌し養分をたっぷり含んだ土に変える働きが盛んになる。

なるほど、この支所は市の東部に位置し、兼業農家ではあるが農業に励む人々も少なからずいる土地柄だ。そうした人々のために、さらには地球規模での環境破壊に取り組むために、発酵合成型有機肥料「ぼかし」が用意してあるのならば、素晴らしいことではないか。思わず市役所に向かって、「グッジョブ!」と叫びたくなる。
 この「ぼかし」を使うことによって、「植物の根が土から栄養素を吸収して生長し、やがて有機物としてまた土に還る」という生命のサイクルが進むための一助となるならば、都会に住む人もちゃんと知っておくべきことであろう。 このように生ごみを土の中に還してやることで、ごみ減量と土づくりに役立ち、おいしくて安全安心な農産物を自分の手で作ることができるなんて本当にいいこと尽くしである。
 
 妻に「ぼかし」っ知ってるか?とたずねてみたら「知ってるよ、EMぼかしって言うものでしょう。子どもたちが保育園に行ってたときに、園で使ってた」と答えた。なるほど、色んなことを知ってるんだなと少し感心した。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

お雛めぐり

 現在私の住む市では、「お雛めぐり」というイベントが中心部で催されている。そこかしこにピンクの幟が立てられ、道行く人の心を誘っている。雛と言っても土地柄、陶製の雛人形のことである。冷たい感じがする陶器ではあるが、雛人形を型どって着物や顔の絵付けをしてみると、思いのほか暖かな感じを生み出すことができる。市内の何箇所かに設けられた展示塔の中にそうした陶製の雛人形が飾られているので、写真を撮ってきた。以前、狛犬と招き猫の写真もこのブログに載せた。その時は6箇所の展示塔しか知らなかったが、新たに2箇所を発見して今回は8箇所の写真を撮ってきた。

    染錦立雛 紅白梅       染錦立雛 松竹梅      彩絵睦雛 室町青磁   
  

   
               雅雛 座り               雅雛 座り
 
 

    雅 立雛              平安雛 青磁             幸 共雛     
  


木目込み人形を雛飾りにしたものがある。私の妹の雛人形がそうだった。なので、陶器で雛人形を作っても変ではないだろう。現に上の写真のお雛様は皆やさしい表情をしていて、見ていると心が和む。こうやって並べてみると近年陶製の雛人形が盛んに作られるのも得心がいった。実に可愛らしい。
 しかし、いくら一見の価値があるとしても、市内8箇所をくまなく歩くのは少々くたびれる。一度に見られる場所はないかと探してみたら、市の中心にある多目的施設の中に大きな雛壇が飾られていた。

  

新聞でも紹介されたため人だかりがしていて、誰もが写真に収めようとしていた。中央部は2階まで届きそうなほど高い。数えたら13段あった。小さく写っていて見にくいが、右の写真の雛人形は全て陶製だ。こんなに種類があるのかと驚いたが、これだけ一度に並べられると、どれもが可愛らしくて目移りしてしまう。どの雛にも製作者の思いが込められているようで甲乙つけがたい。
 
 私もお気に入りのお雛様を探しに町を巡ってみようかと思っている。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

デニーズ

 私の市に現在あるファミリーレストランは、デニーズだけだ。改めて考えてみるとここ1軒しかない。なんてしょぼい町だろう。名古屋近郊で、1日中開いているファミレスが1軒しかない市なんてそうはないだろう。そうは言っても、私自身深夜にファミレスに行くことなんて1年に1回あるかないかだから、別にファミレスがあってもなくても関係のない話ではある。
 しかし、私はデニーズが好きだ。1週間に1度は行く。木曜日の朝、書店に週刊誌を取りに行く途中で必ず寄ることにしている。喫茶店代わりにしているので、注文するのはアイスティーと決まっている。真冬でも真夏でも関係なしにアイスティーだ。温かい紅茶なぞもう随分飲んだことがない。アイスティーが一番だ。でも、時々無性に甘いものが食べたくなる。そんな時にはフルーツサンデーを頼む。パフェとサンデーは入れ物が違うだけだと勝手に思い込んでいるが、デニーズのメニューでは、サンデーとなっている。それもメインとなるフルーツが季節ごとに変わっていろんな味が楽しめる趣向になっている。半年くらい前から、サンデーを頼むたびに写真に収めるようにしてきたが、一番古い写真がマンゴーを中心にしたものだった。


今見ると、あまり立派なものではないからサブメニューの品のような気がする。それでも、マンゴーがおいしかったのはよく覚えている。デニーズは独自のルートでマンゴーを仕入れているようで、季節にはマンゴーを店内で買えるようになっている。


これは洋ナシのサンデー。これは相当背が高いのだが、あいにく全体が写っていない。洋ナシと言ってもラフランスのことだが、この果物は文句なくおいしい。柔らかいのですっと口の中に入ってしまう。私が洋ナシを食べるようになって、それほど時間が経っていないと思うが、いつの間にか大好物になってしまった。

 

リンゴのサンデー。これは全体の写真があった。私はリンゴがあまり好きではない。というより、固いリンゴは苦手だ。しかし、このサンデーはキウイやシャーベットやプリンやアイスクリームが所狭しと積み上げられていて見事な味のハーモニーを作り出しているため、リンゴの固さなど忘れてしまえる。これだけの量を食べ終えるとかなりの満腹感を味わえる。

 

これは今年になって食べたイチゴのサンデー。今年初のサンデーだ。イチゴは甘いものと一緒に食べると本当においしい。イチゴは今が旬なのだろう、コンビ二でもイチゴを使ったスイーツがたくさん並べられている。イチゴは甘いものには欠かせない定番の果物だ。

 

2日前に食べたチョコレートサンデー。これは一年中メニューにある。別にバレンタインデーが近いから食べようと思ったのではないが、たっぷりチョコレートのかかったアイスクリームは冷たくておいしかった。さすがにこれだけのチョコがかかっていると最後のほうは少々くどかったが、それでもおいしかった。

 デニーズ甘いものだけでなく、メニューにあるものはどれもおいしいと思う。偏食の私は自分の好きなものしか食べないから、自分自身で食べたものは総じておいしかったと言いなおすべきかも知れないが・・・。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )

こども

 1月30日付け毎日新聞朝刊の「石田衣良の白黒つけます!!」という特集ページに、「昔の子どもと今の子ども どっちが幸せ?」という問いかけに対するネット投票の結果が載っていた。「子どもって何歳から何歳までをさすの?」とか「幸せってどういうこと?」とか疑問がわかないでもないが、そこは大雑把に考えて直感的に答えればいいのだろう。結果は以下のようだ。

  <有効投票数> 4193 (男1819、女2374)
    (①は昔、②は今)
  <全体>
    ①74.4% ②25.6%
  <男女別>
  男①73.0% ②27.0%
  女①75.4% ②24.6%
  <年齢、男女別>
  10代以下男①55.0% ②45.0%
  10代以下女①59.4% ②40.6%
  20代男   ①63.8% ②36.2%
  20代女   ①73.6% ②26.4%
  30代男   ①75.7% ②24.3%
  30代女   ①76.3% ②23.7%
  40代男   ①77.5% ②22.5%
  40代女   ①77.8% ②22.2%
  50代男   ①78.9% ②21.1%
  50代女   ①77.2% ②22.8%
  60代男   ①67.2% ②32.8%
  60代女   ①67.6% ②32.4%
  70代以上男①68.8% ②31.2%
  70代以上女①81.8% ②18.2% 

この数字をじっと見ていたら、いくつか面白いことに気が付いた。
 まずは、10代以下の現在の子どもたちが、他の年代の人と比べて、今の子どものほうが幸せと答えている者が多いことだ。彼らはおおむね今の生活に満足しているのだろうか。子どもが変わったと、よく言われる。確かに塾で授業をしていても落ち着きのない子どもが多くなった。我慢ができない、きちんと話せない、人の話を聞こうとしない・・などなど不満を挙げたら切りがない。しかし、そうした表面的な(これがなかなか我慢できないことなんだが)問題を乗り越えて生身の彼らに接してみると、昔の子どもたちと大して変わりがないことに気づく。子どもは子どもだ、可愛い面もあれば憎たらしい面もある。あえて言えば、そうした子どもらしさを受け取る大人の側の反応が昔とは違ってきているのかもしれない。過敏に反応したり、逆にまったく鈍感であったり。子どもが出す様々なシグナルを我々大人が簡単に見逃してしまうか、気づこうとしていないだけなのかもしれない。子どもたちは子どもたちで現状をけっこう楽しくやっているような気がする。
 逆に、30代から50代まではおよそ4分の3以上が、昔の子どもたちのほうが幸せだと答えている。ということは、自分の子どもの時のほうが今の子どもたちよりも幸せだったと考えているということになる。物があふれて一見豊かそうに見える現在の日本の子どもたちよりも、多少貧しい生活であっても人との触れ合う機会が多く、心が豊かであった自分たちのほうが幸せだった、と考えている人が多いのだろう。でも、それは大人たちのノスタルジーであって、今の子どもたちを私たちの子ども時代にタイムスリップさせたら、きっとすぐにイヤになってしまうような気がしなくもない。
 しかし、これが60代になると昔の子どものほうが幸せだったと考える人の割合が減っている。それは、60代の人が昭和20年までに生まれた人たちであるため、戦中戦後の混乱期に子ども時代を過ごしたことが影響しているように思う。やはりつらい時代だったのだろう。
 
 この問いかけは、ちょっと考えただけでも多様な思いが浮かんでくるほど奥が深い。しかし、石田衣良が寄せられたメールをいくつか紹介した最後に書いている言葉が一番大切だと思う。
 「みんなで今の子どもたちを幸せにしよう」
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »