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日本被団協にノーベル平和賞。

2024年10月12日 23時48分48秒 | 国際・世界
久しぶりに良いニュースを聞いた気分になりました。
今日はこれしかないでしょう。

ちょうど先月まで放送されていた朝ドラ「虎に翼」で原爆裁判が取り上げられ、被爆者の長きにわたる苦痛や苦難の一端、そして声を上げる意志が描写されたように、原爆投下直後からこれまで、その苦痛や苦難と共に続けられてこられた、核廃絶、恒久平和への行動が評価されました。

本当に素晴らしいことだと思いますし、日本被団協の皆様や被爆者おひとりおひとりに敬意を表したい次第です。

長きにわたった、その行動がこのような形で報われることは当然のことながらあって良いはずだとも思いました。
鈴木史朗長崎市長も仰られていましたが、「遅きに失した」感もある中でもちろんそのことは忘れずに今回の授賞については、とにかく喜んで良いでしょう。
ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長のコメントにもありますように、「今日、核兵器の使用に対する『タブー』が圧力を受けていることは憂慮すべきである」との言葉は、今現在進行形であるロシアのウクライナ侵攻やガザでのジェノサイドなど、核兵器の使用をちらつかせている者がいる世界への懸念は、日本に住む私たちも他人ごとではなく、また唯一の被爆国に住む日本国民としても、その懸念と今回の授賞の意味について深く受け止めなければならないと思います。

また、記事中にもありますが、「いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるだろう。ただ、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを受け継いでいる。彼らは世界中の人々を鼓舞、教育している。人類の平和な未来の前提条件である、『核兵器のタブー』を維持する一助になっている」と日本の若い世代への希望ともとれる言葉は、これまで全国各所の小中高の学校で行われ続けてきている平和教育についても評価されているのではないかと受け取ることもできます。

個人的に思うのは、特に高校生の時に実際に被爆者の方を各クラスお一方ずつ招いて、当時の惨状をはじめ、その後の苦痛や苦難などお話ししてもらう内容の特別な授業がありました。
その際、僕はクラスのその担当として関わることがあり貴重な経験をさせて頂いたと思っています。勉強になりました。

また、僕の実家の近所には以前に被爆者の方が住んでおられ、いろいろなお話をお伺いしたこともあり、そういったこれまでの身近にあったことも含めて、今回のノーベル平和賞の授賞については本当に深くその意義をしみじみと考えてしまいます。

そして何よりも、この授賞に甘んじることなく(あくまでも授賞は通過点)、世界の核の廃絶、平和に向けての行動を、それが実現するまで微力でもこれからも続けていかなくてはならないとあらためて思うのです。

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