僕の頭髪の話ではなく、
先日。
仕事でもないのに、会社の車で、資材を他店に運んで行くのに、実に、東京のいろいろな街を通り過ぎていきました。(まぁ、要は車道がわからんで、迷ったような状態になっていただけなんやけどね。)
で、
この時期だけに、実に、いろいろなイルミネーションが飾ってあって、本当に、「これでもか?」というぐらいに、いろいろな場所でいろいろなイルミネーションを見ました。
元関西人としては、この時期にやられると、どうしても、「神戸ルミナリエ(音楽流れます)」のパクリにしか思えないし、また、パクリと言っても、震災の犠牲者の鎮魂の意味をこめているわけでもないわけですから、ゲンナリする部分もあるわけですが、それでも、この時期、何かの目的があって、街を飾るとなると、イルミネーションが一番であることは、僕にも理解できます。
なので、やっている人たちには、パクリだとか気にしていないと思いますし、それはそれで良いのですが、とにかくドきつい。時には、まぶしいぐらいのイルミネーションで、昼間な感覚をおぼえるところもありました。際限がない、というか、そこまでやられても…という。その勢いゆえに東京の元気さも感じたのですが、やっぱり、「ルミナリエ」と比べると…。
「ルミナリエ」は、鎮魂というコンセプトがあるので、派手な装飾になっていても遠慮を感じるというか、厳かな気持ちになるんです。これは、現地に行って観てみないとわからない部分かもしれません。できれば、夕方の点灯する瞬間を観てください。本当に厳かな気持ちになります。
ということで、こういう場合のコンセプトというのは重要ですな。
だから、東京の街のイルミネーションにもちゃんとしたコンセプトがほしいわけです。そうすると、自然とただのイルミネーションではなくなっていくような気がします。
もともと、光輝くものですが、本質的にも光り輝く…、ということになると思うんです。