ペチュニアの花が小さな鉢植えで売られている時期です。
ペチュニアの花は朝顔に似た花ですが、性質は強い花で
育てやすいので愛好家も多いようです。
花期は3月~10月と長く楽しめます。
用途は鉢植え、花壇です。
花言葉は「穏やか」と紹介されています。
今日はペチュニアの花とサンパラソルの花を紹介致します。
1.5月2日のペチュニアの花
2.5月2日のサンパラソルの花
ペチュニアの花が小さな鉢植えで売られている時期です。
ペチュニアの花は朝顔に似た花ですが、性質は強い花で
育てやすいので愛好家も多いようです。
花期は3月~10月と長く楽しめます。
用途は鉢植え、花壇です。
花言葉は「穏やか」と紹介されています。
今日はペチュニアの花とサンパラソルの花を紹介致します。
1.5月2日のペチュニアの花
2.5月2日のサンパラソルの花
神エホバはモーセを通し、祭司アロンの子孫が罪を犯し、死ぬことがないように、法令を与え、法令を与えているのは、神エホバであり、人々を神聖なものとしていることを繰り返し述べ、教えておられました。引き続き神エホバはモーセを通し、イスラエルにいる外国人居住者に出した法令が次のように記されています。
「エホバは続けてモーセに言った。「アロンとその子たちとイスラエル人全員にこう話しなさい。「イスラエル人やイスラエルにいる外国人居住者が、誓約を果たしたり自発的な捧げ物をしたりするためにエホバへの全焼の捧げ物を差し出す時には、(神エホバに)受け入れられるために、牛や若い羊やヤギの群れの中から、傷のない雄を差し出すべきである。欠陥があるものを捧げてはならない。それによってあなたたちが神(エホバ)に受け入れられることはないからである。
人が、誓約を果たすため、あるいは自発的な捧げ物として、供食の犠牲をエホバに捧げる場合、受け入れられるために、犠牲は傷のない牛や羊であるべきである。どんな欠陥があってもならない。目が見えないものや骨が砕けているもの、切り傷、こぶ、かさぶた、白癬があるものであってはならない。そのようなものをエホバに差し出したりエホバのために祭壇で捧げ物としたりしてはならない。脚の1本が長すぎたり短すぎたりする牛や羊は、自発的な捧げ物として差し出して良いが、誓約の捧げ物としては受け入れられない。睾丸が損なわれたもの、砕かれたもの、抜き取られたもの、切り取られたものをエホバに差し出してはならない。あなたたちの土地でそのような動物を捧げるべきではない。そのようなものを外国人から受け取ってあなたたちの神(エホバ)のパン(食べ物)として捧げてはならない。傷や欠陥があるからである。それがあなたたちのために受け入れられることはない」」」(レビ記22:17~25)。
上の聖句に記されている通
り、イスラエル人も外国人も、神エホバに受け入れられる傷や欠陥のないものを捧げるように、法令として与えられています。神エホバはご自分の契約下のイスラエル人だけではなく、外国人にも同じように法令を与えておられます。
次回には、動物の子供は生まれて7日間は母親のもとから離してはならないことが記されていますので引き続き紹介致します。
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ホクホクと 新じゃが美味し 夕餉かな 今日の一句
鉢植えの「ガーベラ」
書棚を整理していましたら、私より2歳年上の高校時代の先輩の「辞世の句」が出てきました。
私が定年退職し、郷里に帰った時、夏の大会でいつも案内部門で奉仕する兄弟のお顔を拝見していると、私の尊敬していた先輩の顔に似ているので、「お父さんは捕鯨船に乗られていたことはありませんか?」とお尋ねしましたら、「私の父かも知れません」とのことなので、住所をお聞きし、お訪ねしました。
その先輩は、とても高校時代から義を求め、かつ礼儀正しい方でしたので、私の友人(後に同じ大学を卒業後、国費でアメリカのマサセッチュウー工科大学に留学しH2ロケットを開発した)と、先輩を見倣い、義を貫こう、と誓ったものです。
その先輩の家に行き、喜びの再開を果たしました。義なる先輩はやはり同じくクリスチャンの道を歩まれ、互いに「やっぱり!」と言って、感動の再開となり、真の友となりました。義なる先輩は、とても人々を心から愛し、奉仕が大好きで、心を込め、思いを込め、魂を込めた奉仕でした。
先輩は長く捕鯨船に乗り、南極大陸にも行ったそうです。その義なる先輩は短歌や俳句を詠むことを趣味とされていて、捕鯨船に乗っている時代からの沢山の短歌や俳句の記録を見せて頂きました。
その先輩が病となり、2014年に亡くなられ、亡くなられる前に「辞世の句」を渡されました。
その辞世の句は次の通りです。
「雪折れの音なく
我折れリ」 とく(とく、というのは俳号で名前の徳和からとったものです)
下の写真に先輩の自筆の辞世の句を紹介致します。
この先輩の余命がわずかになった時、私が有名な歌手の姉妹に、義の友であり真の友の病状を告げ、励ましをお願いしました。その歌手の姉妹は、ご親切に「少しでも慰めになれば・・・」と、ご自分の励ましの歌をCDにして送ってくださいました。早速、そのCDをお届けすると、大変に喜ばれ、何度も何度も繰り返し、聞き、お亡くなりになられました。
義の友はまだお若くして亡くなられ、大変くやしい思いがしましたが、愛と公正(義)と知恵と力と命の源の神エホバに熱烈に祈ったものです。愛の神エホバはご自身に示された愛を決して忘れない神なので、地上が楽園に回復された以降の早い段階に、地上に義の友の復活があり、再開できる日を楽しみにしています。
辞世の句が出て来て、真の友・義の友の思い出を少しばかり紹介させて頂きました。
例年近くの道辺に紫蘭(しらん)の花が群れて
咲く場所があり、こちらでは4月下旬になると満開になり
5月に入ると盛りが過ぎてゆきます。
花期は花図鑑では5月と紹介されています。
用途は切り花、鉢植え、花壇です。
花言葉は「華やかな恋」と紹介されています。
今日は道辺の紫蘭の花とサフィニア・アートの花を紹介致します。
1.5月1日の道辺の紫蘭の花
2.5月1日の鉢植えのサフィニア・アートの花
神エホバはモーセを通し、祭司アロンの子孫で重い皮膚病(ハンセン病)だったり流出物があったりする人は誰も、清くなるまで(治るまでは)は聖なるものを食べてはならないことが告げられていました。引き続き神エホバはモーセを通し、祭司アロンとその子たちが死ぬことがないように告げた法規が次のように記されています。
「アロンの子孫は私の命令を守らなければならない。そうせずに罪を負い、その罪のせいで聖なるものを汚していたゆえに死ぬ、ということがないためである。私はエホバであり、彼らを神聖なものとしている。
許可されていない人は聖なるものを食べてはならない。祭司のもとに滞在している外国人や雇われた労働者も聖なるものを食べてはならない。ただし、祭司が自分のお金で買った人であれば、その人も食べて良い。祭司の家で生まれた奴隷も、祭司の食物を食べて良い。祭司の娘は、祭司でない人と結婚したなら、聖なるものである寄進物を食べてはならない。とはいえ、祭司の娘が子供をもたないううちにやもめになるか離婚されるかして、若い時にいた父の家に戻る場合、父の食物を食べて良い。しかし、許可されていない人は食べてはならない。
人が間違って聖なるものを食べたなら、その価値の5分の1を加えて、聖なる捧げ物をあらためて祭司に渡さなければならない。祭司は、イスラエル人がエホバに寄進する聖なるものを汚してはならない。すなわち、人々が聖なるものを食べて罪の処罰を受けることがないようにすべきである。私はエホバであり、人々を神聖なものとしている」」」(レビ記22:9~16)。
神エホバはモーセを通して、祭司アロンの子孫が、神エホバの法令を守り、罪を負い、死ぬことがないように、法令を与え、繰り返し、法令授与者は神エホバであり、人々を神聖ものとしている、ことを告げられました。民は神エホバのご意思を聞いて学び、そのご意思を守り行い、聖なる人として歩む必要がありました。
引き続神エホバはモーセを通し、アロンとその子たちとイスラエル人全員に法規を告げておられますので、その内容を次回にお伝え致します。
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連休や 人出に賑わう 道の駅 今日の一句
頂いた「卓上の花々」