家の近くの柑橘畑に1本のレモンの木があり、
レモンの花が咲き、まだ1個のレモンの実が残っていました。
我が家の裏庭にも1本レモンの木がありましたが、
台風で倒れて、枯れてしまいました。
レモンの花はあまり見る機会がないので珍しいと思います。
今日はレモンの花とレモンの実と散り始めた雪の下の花と石垣の紫カタバミの花の紹介を致します。
1.5月14日のレモンの花とレモンの実
2.5月14日の散り始めた雪の下の花
3.5月14日の石垣に咲いている紫カタバミの花
家の近くの柑橘畑に1本のレモンの木があり、
レモンの花が咲き、まだ1個のレモンの実が残っていました。
我が家の裏庭にも1本レモンの木がありましたが、
台風で倒れて、枯れてしまいました。
レモンの花はあまり見る機会がないので珍しいと思います。
今日はレモンの花とレモンの実と散り始めた雪の下の花と石垣の紫カタバミの花の紹介を致します。
1.5月14日のレモンの花とレモンの実
2.5月14日の散り始めた雪の下の花
3.5月14日の石垣に咲いている紫カタバミの花
神エホバはモーセを通して、安息年を考慮し、6年目には、土地には3年分の作物を与える保証を与え、安息年を民が安心し、守れるようにされました。続いて神エホバはモーセを通して民に、城壁に囲まれた町にある家を売る場合の法令を次のように与えられました。
「城壁に囲まれた町にある家を売る場合、売却の時から1年の終わりまでは買い戻すことができる。買い戻しの権利は丸1年有効である。しかし、丸1年が過ぎる前に買い戻されないなら、城壁に囲まれた町にある家は代々ずっと、買った人の所有となる。ヨベルの時に返還されるべきではない。一方、周囲に城壁がなない集落の家は田舎の畑の一部みなされる。買い戻しの権利は保たれ、家はヨベルの時に返還されるべきである。
レビ族の町にある家について、レビ族は買い戻しの権利を失わない。レビ族の町で家が売られて買い戻されなかった場合、ヨベルの時に返還されなければならない。レビ族の町の家はイスラエル人の中で彼らの所有物だからである。さらに、レビ族の町の周りの牧草地は売ってはならない。それはずっと彼らの所有地なのである」(レビ記25:29~34)。
上の聖句に記されている通り、城壁に囲まれた町にある家と、周囲に城壁がない集落の家を売る場合の法令が明示されています。加えてレビ族の町にある家を売った場合の買い戻しの権利の保障が記されています。人間にとって衣食住はとても重要であり、神エホバは人々の福祉を考慮し、法令を与えておられました。
引き続き神エホバはモーセを通して、近所の仲間が貧しくて生計が立てられない場合の法令も与えておられますので、次回に紹介致します。
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家からの 宇和島市内 5月かな 今日の一句
我が家の裏の高台からの5月の宇和島市街の風景
約55年も前の思い出になりますが、会社の人事部の紹介で御茶ノ水駅の湯島天神近くの「東大友の会ダンスサークル」に同僚と週末の土曜日(当時はまだ週休2日体制になっていなかった)に行きました。とても広い床面積で、常時30組~50組近くの方々が社交ダンスを学び踊っておられました。
当時会社の輸出プロジェクトを担当するエンジニアは海外に出張時にマナーとして社交ダンスは学んでいた方が良いとのことで、人事部の案内で、サークルの入会手続きをしました。
社交ダンスには、チャチャ、マンボ、タンゴ、ワルツ、キューバンルンバ、スローステップ等々があり、それぞれ初級、中級、上級のクラスに分かれて指導を受けることが出来るようになっていました。社交ダンスを習ったことのなかった私も同僚も初級から学ぶことになりました。ところが以外に難しく、同僚はしばらくして止めてしまいました。しかし、私は池袋に住み、通勤の帰りの途中下車でしたので全種目一通り踊れるように学ぼうと決意しました。
初級→中級→上級に進むにしたがって、社交ダンスの楽しみが分かりました。音楽に乗って流れるよに踊る爽快感は最高で良い運動にもなり、とても快いものでした。いつも快くパートナー役を務めてくださった女性の方々に感謝したものです。初級の時は度々パートナーの足を踏んだり、隣で踊っておられる方にぶつかったりしましたが、皆さんがとても親切で上級までマスターすることが出来ました。
ある時、私のパートナになって踊ってくださった方が、私の勤める会社の直ぐ近くあった大手の電線メーカーで経理担当の方でした。私が勤務している会社を明し、時々会社にも電話をいただくようになりました。その方から日曜日に武蔵野に行く誘いを受け、池袋駅で待ち合わせし、武蔵野のバラ園に行った記憶が残っています。私は当時とても話すことが苦手でしたので、その方はきっと退屈されたのではないかと思いました。
遠い昔の、社交ダンスを学んだ思い出と、特にパートナーや役をしてくださり、武蔵野まで誘ってくださった方は今もお元気であればよいが、・・・と思い起こす年になり、多くの年月過ぎたことに驚きます。
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よく見れば 黄色き花よ 柿の花 今日の一句
近くの柿畑の珍しい「次郎柿の花」
約55年も前の思い出になりますが、会社の人事部の紹介で御茶ノ水駅の湯島天神近くの「東大友の会ダンスサークル」に同僚と週末の土曜日(当時はまだ週休2日体制になっていなかった)に行きました。とても広い床面積で、常時30組~50組近くの方々が社交ダンスを学び踊っておられました。
当時会社の輸出プロジェクトを担当するエンジニアは海外に出張時にマナーとして社交ダンスは学んでいた方が良いとのことで、人事部の案内で、サークルの入会手続きをしました。
社交ダンスには、チャチャ、マンボ、タンゴ、ワルツ、キューバンルンバ、スローステップ等々があり、それぞれ初級、中級、上級のクラスに分かれて指導を受けることが出来るようになっていました。社交ダンスを習ったことのなかった私も同僚も初級から学ぶことになりました。ところが以外に難しく、同僚はしばらくして止めてしまいました。しかし、私は池袋に住み、通勤の帰りの途中下車でしたので全種目一通り踊れるように学ぼうと決意しました。
初級→中級→上級に進むにしたがって、社交ダンスの楽しみが分かりました。音楽に乗って流れるよに踊る爽快感は最高で良い運動にもなり、とても快いものでした。いつも快くパートナー役を務めてくださった女性の方々に感謝したものです。初級の時は度々パートナーの足を踏んだり、隣で踊っておられる方にぶつかったりしましたが、皆さんがとても親切で上級までマスターすることが出来ました。
ある時、私のパートナになって踊ってくださった方が、私の勤める会社の直ぐ近くあった大手の電線メーカーで経理担当の方でした。私が勤務している会社を明し、時々会社にも電話をいただくようになりました。その方から日曜日に武蔵野に行く誘いを受け、池袋駅で待ち合わせし、武蔵野のバラ園に行った記憶が残っています。私は当時とても話すことが苦手でしたので、その方はきっと退屈されたのではないかと思いました。
遠い昔の、社交ダンスを学んだ思い出と、特にパートナーや役をしてくださり、武蔵野まで誘ってくださった方は今もお元気であればよいが、・・・と思い起こす年になり、多くの年月過ぎたことに驚きます。
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よく見れば 黄色き花よ 柿の花 今日の一句
近くの柿畑の珍しい「次郎柿の花」