48年位前の思い出になりますが、当時中近東のクウエート向けの火力発電所の設計を担当しており、しばしばクウエートに出張をしていた時のことです。出張時のある日に、姉が自分の子供のことで私に助けを求める夢をみました。その夢には姉と姉の子供が登場し目が覚めました。姉に何か生じたのではないかとおもいましたが、その朝は特別に東京から何の電話もなかったので、単なる夢か、と思っていました。
ところが翌日になって東京の会社から電話が入り、「お姉さんから息子さんの急死の連絡があったので至急帰国してください」とのことでした。大急ぎで帰国の準備をし、帰国の飛行機便を調べましたら、アラビア湾(ペルシャ湾)のバーレン経由でJALに乗り換え帰国できることが分かりました。そのためクウエートからドバイ経由バーレンに移動することにしました。その国際線の飛行機はセスナ機のようなプロペラ機で、これが国際線か、と驚いたものです。ドバイからはジエット機で無事にバーレンに夕刻着きました。日本に帰るJALは翌朝でしたので、バーレンの空港で一夜を過ごすことになりました。その時、丁度中東に工具類を売り込むために来られていた日本の工具メーカーの方と一緒になりました。日本の工具を中東に売り込むために出張されていることを知り、日本人の勤勉な働きを知りました。当時日本からは、火力発電所や化学プラントや車やラジオ類や時計類は日本から中東に輸出されていることは知っていましたが、工具類も輸出されていることを知らなかったのです。日本人はあらゆる分野で海外に進出していることを知りました。
バーレンから帰るJALは大幅に遅れ、翌日の昼に到着し、日本に帰国しました。会社に休暇願いを出し、大急ぎで姉の住む郷里に帰りました。すると姉の長男が急死し、葬儀が終わっていました。姉は、長男が病気になり、急死し、死因を調べるために解剖をすることになり、私が傍にいてくれたらと思っていたのだそうです。さらに驚いたことは、私に助けを求める姉と姉の子供の夢をみた時刻が、姉の長男が亡くなった時刻でした。そうした姉の非常時の思いが私の夢になって届いていたことが分かりました。それで私は姉と姉の家族のために、命の源の神エホバが地上を楽園に戻し、その楽園となった地上に亡くなった人の復活の約束をしてくださっていますので、熱烈に心を込めて姉の亡くなった長男の復活の願いの祈りを捧げました。
バーレンはこの時に緊急で帰国することになり、初めて行った国の思い出となりました。
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田植えする 小学生の 笑顔かな 今日の一句
卓上の「文旦」