愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

黄色の鮮やかなヒぺリクㇺの花とジャノメ蝶に似た蝶♪

2022-05-16 22:55:55 | 四季折々の花々

 ご近所に庭に毎年この時期になると、黄色の鮮やかな

ヒぺリクㇺの花が咲きます。この花は花びらの雄しべが目立ちます。

この花の原産地は中国です。

花期は花図鑑では6月~9月と紹介されていますが、

こちらでは写真のようにこの時期に咲いています。

用途は切り花、鉢植え、庭植えです。

花言葉は「きらめき」と紹介されています。

 今日は色の鮮やかなヒぺリクㇺの花とジャノメ蝶に似た蝶を紹介致します。

1.5月16日の黄色の鮮やかなヒぺリクㇺの花

 

 

 

 

 

2.5月16日の裏庭で休んでいたジャノメ蝶に似た蝶(羽の一部が早くも損傷していました)

 

 

 

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神エホバがモーセを通して与えた、イスラエル人が貧しくなり外国人に身売りする場合の法令♪

2022-05-16 22:37:47 | 神の言葉・聖書

 神エホバはモーセを通して、近所の仲間が貧しくなり生計が立てられなくなった場合の支え方の法令を与え、決して仲間を残酷に扱ってはならない、ことを命じられていました。引き続き神エホバは民の福祉を考慮し、イスラエル人が貧しくなり外国人に身売りをしなければならない場合の法令を次の通り与えておられました。

「一方、イスラエルの中にいる外国人居住者や移住者が裕福になり、近所に住む(イスラエル人の)仲間が貧しくなって、その外国人居住者や移住者、外国人居住者の家族に自分を売らなければならない場合、自分を売った後も、買い戻しの権利があるその人の兄弟が買い戻せる。あるいは、おじかおじの子が買い戻せる。さらに、近い親族の誰か、家族の1人が買い戻せる

 また、その人(身を売った人)自身が裕福になったなら、自分でも買い戻せる。自分を買った人と一緒に、自分を売った年からヨベルの年までの期間を計算する。その年数に応じて金額が決まる。その期間の労働は雇われた労働者の場合と同じように評価される。まだ(ヨベルの年まで)何年もあるなら、残りの年数に応じて買い戻し額を支払うべきである。しかし、ヨベルの年までの年数がわずかなら、自分で計算する。残っている年数に応じ買い戻し額を支払うべきである。仕えている間は、雇われた労働者のように扱われるべきである。あなたは、その人が残酷な扱いを受けないように注意すべきである。しかし、以上のようにして自分を買い戻すことができなければ、ヨベルの年に自由になる。子供も連れて行く

 イスラエル人は私(エホバ)の奴隷なのである。私(エホバ)がエジプトから連れ出した奴隷である。私はあなたたちの神エホバである」(レビ記25:47~55)。

 上の聖句に記されている通り神エホバはモーセを通し民に、イスラエル人が貧しくなって外国人に身を売った場合の買い戻しの権利を法令で与え、民の福祉を考慮されました。買い戻しの金額もヨエルの年を基準にして計算し、公正な金額の支払いができるようにされていました。

 次に神エホバはモーセを通し、偶像崇拝が無益であることを民に教えておられますので、その内容を次回にお伝え致します。

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    お茶摘みの 幼子たちの 笑顔かな 今日の一句

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60年以上も前の有楽町、銀座4丁目、皇居前広場の思い出♪

2022-05-16 19:09:48 | 思い出

 月日の流れは速く、東京で学び働いていた時代が、郷里に帰って生活する今は、夢のように感じるようになりました。

 高校を卒業し、初めて上京し、最初に行ったのは有楽町、銀座4丁目、皇居前広場でした。確か中学生になった頃だったと思いますが、「君の名は?」というラジオドラマがあり、当時そのドラマが始まると主婦たちが一斉に仕事を止めて、ドラマを楽しまれたように記憶しています。ドラマの舞台が有楽町で、後に歌や映画にもなったと思います。その「君の名は?」ドラマの舞台の有楽町はどんな所かを自分の目で見てみたい、と思い、見に行き、両親に手紙でどんな場所だったかを書いて送ったものです。

 中学1年生になった時、社会科の授業で銀座に行くと一握りの寿司が100円(当時の価格)もするものを東京の人たちは、食べていると学び、何か別世界の人が住んでいるように感じました。私の住む田舎では寿司は、今でいう「バラ寿司」で、握り寿司などは食べる機会は全くありませんでしたので「一握りの寿司が100円」というのは想像がまったくつきませんでした。そのため、銀座4丁目どんな所かを見学に行きました。そこには大きな三越のデパートがあり、その規模にびっくり仰天し、寿司の価格のことはすっかり忘れ、どこかに消えてしまっていました。

 中学生になり社会科時間に皇居前広場、という言葉は聞いてはいましたが、当時は写真でしか見たことがなく、さっそく確認に行きました。広くゆったりした広場に、やはり驚き、素敵な広場が残り解放されている文化に感心しました。二重橋や、社会科の時間に学んだ「桜田門外の変」の桜田門も直接見て、歴史で学んだ内容を思い起こしたものです。

 遥か昔のラジオドラマの舞台の有楽町、中学の社会科の時間に聞いた銀座4丁目の食文化の違い、社会科の時間に聞いていた皇居前広場は、田舎の生活しか知らなかった私にとって、目を見張るものでした。後に、東京都江東区豊洲の会社に就職してからは、特に銀座丁目は通勤経路の乗り換え点で、有楽町、皇居前広場、日比谷公園、銀座4丁目は親しい、なじみの深い場所に変わり、多くの思い出がよみがえる今日このころです。

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    デザートに 橙の実の 懐かしや 今日の一句

 

         お隣の庭の「ヒルサキ月見草」

       ー この花は昼間に咲いています ー

 

 

 

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