愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

ムラサキカタバミの花と梅花ウツギの花と麦わらトンボ♪

2022-05-08 22:22:47 | 四季折々の花々

 庭のアジサイの下に春先から長く、

ムラサキカタバミが咲いています。小さな花びらですが

淡いピンク系の花で、可憐な花です。

この花は南アメリカ原産の多年草です。

花期は山野草図鑑では6月~9月と紹介されています。

 しかし、こちらでは早くから咲いています。

この花と若葉は食用になるそうですが、食べたことはありません。

 今日はムラサキカタバミの花と梅花ウツギの花と麦わらトンボを紹介致します。

1.5月8日のムラサキカタバミの花

    

 

 

2.5月8日の庭で満開を過ぎ、甘い香りを放っている梅花ウツギの花(蜂が吸蜜中で夢中です)

 

 

 

3.5月8日の足元に来て止まった麦わらトンボ(子供の頃から麦わらトンボと呼び、親しんだトンボです)

 

 

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神エホバはモーセを通し民に、仮小屋の祭り・季節ごとの祭りの法令を告げた♪

2022-05-08 21:55:23 | 神の言葉・聖書

 神エホバはモーセを通しイスラエル人に、第7の月の10日は贖罪の日であり、聖なる大会を開くように告げ、完全に休む安息日であることを銘記させていました。引き続き神エホバはモーセを通し民に、仮小屋の祭りや季節ごとの祭りの法令を次のように与えられました。

エホバは続けてモーセに言った。「イスラエル人にこう告げなさい。「この第7の月の15日からエホバのために7日間、仮小屋の祭りを行う初日に聖なる大会がある。どんな労働もしてはならない。7日間エホバへの火による捧げ物を捧げなければならない。8日目には聖なる大会を開き、ホバへの火による捧げ物を捧げるべきである。それは特別な集まりである。どんな労働もしてはならない。

 以上が聖なる大会として広く知らせるべきエホバの季節ごとの祭りであり、エホバへの火による捧げ物を捧げる時である。全焼の捧げ物、穀物の捧げ物、飲み物の捧げ物を毎日の予定に従って捧げる。これは、エホバの安息日に捧げられる物とは別であり、あなたたちの供え物、誓約の捧げ物、自発的な捧げ物とも別であるそれらはあなたたちがエホバに供えるべき物である。さらに、土地の産物を収穫した時、第7の月の15日から7日間エホバの祭りを行いなさい。初日は完全な休みであり、8日目も完全な休みである。初日に、見事な木の実、ヤシの木の葉、茂った木の枝、谷のポプラの枝を取り、エホバの前で7日間喜ぶ。年に7回、エホバの祭りとして祝う。第7の月に祝うべきであり、これは代々ずっと祝うべき法令である。仮小屋に7日間住むべきである。イスラエルに生まれた全ての人が仮小屋に住む。これは、(イスラエル人を)エジプトから連れ出した時に私(エホバ)が仮小屋に住まわせたことを、あなたたちの後の世代が知るためである。私はあなたたちの神エホバである」」。

 モーセは、エホバの季節ごとの祭りについてイスラエル人に話した」(レビ記23:33~44)。

 上の聖句に記されている通り、神エホバはモーセを通し、第7の月の15日からエホバのために7日間、仮小屋の祭りを行うように民に法令を与えています。これはイスラエル人がエジプトから解放された時、神エホバが仮小屋に住まわせたことを後の世代も知るためのものでした。そうした苦難の歴史を忘れないようにするためのものだったのです。

 神エホバは引き続きモーセを通し民に、会見の天幕の明かりやエホバへの火による捧げ物の捧げ方などが命じられていますので、次回にお伝え致します。

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   釧路にも 桜開花の ニュース見る 今日の一句 

 

     母の日に娘が送って来た「カーネーション」

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約45年前のイタリアのミラノでの思い出♪

2022-05-08 18:54:33 | 思い出

 約45年も前のイタリアのミラノでの思い出があります。

当時エジプト向けのプロジェクトのコンサルチング会社が

イタリアのミラノにある会社で、たびたび技術打合せで

出張する機会がありました。

 初めてミラノの街に着いた時の印象は、日本の街並みと

大きく異なり、見事な石作りの建物で、何百年も使われている

建物の重厚さに圧倒されました。ミラノの駅も見事な石作りの駅でした。

 当時日本人の住む木造の家は、ヨーロッパでは「鶏小屋」

言われていた意味が理解できました。

 さらに、食文化の違いにも驚きました。コンサルティング会社の

社員食堂(確か8階の最上階だった記憶があります)で

昼食をするのですが、前菜にヌードルが出て、それから

主食、その後にフルーツとコーヒーとアイスクリームの

フルコースでした。

 当時の日本人のサラリーマンの昼食とは大違いでした。

 またコーヒー店で飲んだコーヒーも日本人の飲むコーヒーと

違って、小さなコップで、トロッとしたコーヒーでした。

 私などは前菜のヌードルだけでお腹が一杯になりましたが、

イタリア人は大食であることに気付き驚いたものです。

 イタリア人は食事は3時間位かけて楽しむことやワインは

食事の時に水代わりに飲むと教えられ、日本の食文化の貧しさを

感じたものです。

 さらに、当時その会社の夏休みは3週間以上あり、スイスに行って

休養すると説明を受け、日本人の働き方と大違いの文化を感じました。

 当時イタリア人の気心は日本人と似ているとも感じました。

コンサルティング会社のエンジニアはすこぶる親切で、

時間をかけて技術打合せに応じてくださり、とても安堵したものです。

 ただ、当時会社からミラノの街を散策するときに1っ注意事項

与えられていました。それは、日本人を見つけると若い女性が

近づいて来て、お金の無心をするので、注意するように、というものでした。

 私が昼食を終え、ミラノの有名なドームの前を散歩していると

20歳前半の女性が近づいて来て、「一緒に食事をして欲しい」

誘われました。私は会社からの注意事項を思い出し、す

ぐにその誘いをお断りしました。するとその女性は、「食事をする

お金をください」と言いました。私は勿論すぐに断りましたが

文化の進んだ国でこのようなことがあるのかと感じたものです。

 ミラノにはレオナルドダビンチの有名な最後の晩餐の絵もあり、

バスに乗って鑑賞に行きました。

イエスを裏切ったユダイスカリオテの前には、一つまみの塩

描かれていた記憶が残っています。

 当時は聖書をまだ学んでいなかったので、聖書を学んでから

最後の晩餐の絵を鑑賞できたら良かった、と、後に思ったものです。

 若い時代に外国に行き、文化の違いを直接学べたのは、

後の歩みに大きな助けになりました。

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    連休の 最後賑わう 道の駅 今日の一句

 

     5月の夕刻時に我が家から見える「宇和島城」

 

 

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