今年も庭の紫オンツツジの庭木の中や横に
アルストロメリアの花が咲いています。この花びらには
斑点やライン模様があるので覚えやすい花です。
原産地は南アメリカです。
花期は4月~6月です。
用途は切り花、鉢植え、花壇です。
今日はアルストロメリアの花と五円玉位のミニバラの花を紹介致します。
1.5月12日のアルストロメリアの花
2.5月12日の庭に咲いている5円玉位のミニバラの花
今年も庭の紫オンツツジの庭木の中や横に
アルストロメリアの花が咲いています。この花びらには
斑点やライン模様があるので覚えやすい花です。
原産地は南アメリカです。
花期は4月~6月です。
用途は切り花、鉢植え、花壇です。
今日はアルストロメリアの花と五円玉位のミニバラの花を紹介致します。
1.5月12日のアルストロメリアの花
2.5月12日の庭に咲いている5円玉位のミニバラの花
神エホバはモーセを通して土地に関する安息年、つまり6年間耕作したら、7年目を完全に耕作を休む法令を与え、土地を保護するようにされました。次いで神エホバはモーセを通し、「ヨベルの年」を与えられましたが、どのような意味でしょうか。次のように記されています。
「安息年を7回数える。7年を7回で、その期間は49年になる。そして第7の月の10日に、角笛を鳴り響かせる。贖罪の日に、全土で角笛の音が聞こえるようにすべきである。50年目を神聖なものとし、その地方の全住民に自由を広く知らせなければならない。その年はあなたたち(イスラエル人にとって)ヨベルとなる。それぞれ自分の所有地に帰る。それぞれ(奴隷労働から解放され)家族のもとに帰るべきである。その50年目はあなたたちにとってヨベルとなる。種をまいたり、採り残した穀物から自然に生えた物を刈り取ったりせず、剪定しなかった木のブドウも集めない。ヨベルだからである。その年(50年目)はあなたたちにとって聖なるものであるべきである。ひとりでに土地にできるものだけは食べてよい。
このヨベルの年に、それぞれ自分の所有地に帰るべきである。仲間に何かを売ったり仲間から何かを買ったりする場合、互いを不当に利用してはならない。あなたはヨベルから何年たっているかを考慮して仲間から買うべきであり、仲間は収穫できる残りの年数に従ってあなたに売るべきである。残りの年数が多ければ、買い取り額を増やし、少なければ買い取り額を減らす。仲間が売っているのは収穫の回数だからである。あなたたちのうちの誰も仲間を不当に利用しいてはならない。神(エホバ)を畏れなければならない。私はあなたたちの神エホバである。あなたたちは私(エホバ)の府令を実行し、私の法規を守ることにより、その土地に安心して住むことができる。その土地は作物が実り、あなたたちは満足するまで食べ、安心して住む」(レビ記25:8~19)。
上の聖句に記されている通り、安息年を7回数え、50年目を「ヨベルの年」として神エホバはモーセを通して府令を与えられました。ヨベルの年は神聖にし、住民が奴隷状態から自由に解放され、自分の家族のもとに帰ることができたのです。そのようにして神エホバは民が安心し、満ち足りるまで食べ、安らかに住むことができるようにされました。
引き続き神エホバはモーセを通し、6年目には3年分の作物を与える(7年目を休耕するための備えを与える)と保証されたことが記されていますので、次回に紹介致します。
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早々と 梅の実並ぶ 道の駅 今日の一句
我が家の「ボタンちゃん」
約50年も前のシンガポールでの同僚の思い出があります。
当時中近東のKuwait政府向けの天然ガスを燃料とする火力発電所の設計を担当し、帰国時にシンガポールでJALに乗り換えて帰ることがありました。
シンガポールに昼過ぎに到着し、JALに乗り換えるには翌日の昼頃の予定でした。そのため同僚とシンガポールのホテルに一泊(当時ホテル代は航空運賃に含まれていました)することになりました。そのため同僚と入国手続きを始めたところ、同僚は髪を長くし、どちらかと言えば女性に見える感じでした。幸い男性であることはすぐに分かってくれましたが、シンガポールの法律では、男性が髪を長くしてはならない、男性は男性らしく髪を短くカットし、清潔でなければならない、と言って、その場で直ぐに髪をカットするように、と指示されました。同僚と私は何とか入国の許可を与えて欲しいと、交渉した結果、「明日出国までに指定通り髪をカットするなら、入国を許可する。その代わり、パスポートは取り上げる。約束を守り髪を短くカットしてきたらパスポートは返す」と言って、同僚のパスポートは取り上げられました。
シンガポールにはそのような法律があることを知らなかったとはいえ、止むを得ないので、同僚はホテルでハサミを借り、鏡に向かって泣く泣く髪を短くカットしました。翌日空港に行き、出国手続きの時、約束通り髪を短くカットしたことをチエックし、同僚はパスポートを返してもらえました。このようにお国によっては思いがけない経験をしました。
(その同僚は髪が長く出張先のKuwait政府の火力発電所の建設現場では、たびたび女性に間違われ、守衛に男性であることを伝えても信じないで、男性かのチェックのため、必ず胸を触られました。胸を触って間違いなく男性であることを確認し、ゲートを通してもらえました。当時火力発電所の建設現場には女性は入れない規則があったようです)
当時シンガポールはとても清潔な街で道路にはごみ一つ落ちていない感じでした。また果物の豊富な食べ物がとても美味しかったです。加えて私はホテルのカウンターにカメラを置き忘れ、そのまま空港に出てしまいました。空港に着いてカメラを忘れたことに気付き、大急ぎでタクシーでホテルに引き返しました。すると、カメラはきちんと保管され、高級なカメラが盗まれるようなこともなく、とても安全な国と思いました。
約50年前のシンガポールでの予想できなかった経験の思い出です。私は今は郷里に帰り過ごしていますが、その時の同僚も元気に過ごしているか、どうかが気がかりです。
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友着いた 春のインパール 写真見る 今日の一句
庭に咲いている「ハーブ系の花」