はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

近江八幡の町をぶらり

2025-01-16 19:15:15 | 知らない街をぶらり
沙沙貴神社のロウバイの撮影を終えるとお昼になっていました。
そろそろお腹も空いてきたので、近江八幡で昼食を食べることにしました。

近江八幡といえばこの景色でしょう。


さすがにこの日は冬の平日とあって観光客も少なく静かでした。


近江八幡といえば「近江牛」です。
ということで、「まるたけ近江西川」に行きましたが、なんとお休みでした。
しかたがないので、お堀端にある八幡堀テラス「ほりかふぇ」という所で近江牛重をいただきました。


やっぱり近江牛は美味しかったです。


お腹もふくれたところで、町歩きです。白雲館の観光案内所で資料をいただきました。


近江八幡といえばヴォーリズです。ヴォーリズ像にご挨拶です。
ヴォーリズの建築物については、別の機会にゆっくりとめぐりたいです。


新町通りは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。旧家が並んでいました。


ところで近江八幡では「重伝建」のことをあまり積極的には宣伝していないようでした。


八幡堀まで戻って、八幡山城跡を望みました。豊臣秀吉の甥の秀次が築いたお城です。


うなぎ屋さんの前にあった「飛び出し坊や」です。「飛び出し坊や」は滋賀県発祥です。


再び八幡堀を渡ります。八幡堀に沿った地域も「重伝建」です。


すると、そこにはロウバイが咲いているではありませんか。


煉瓦塀はクラハリエでした。


沙沙貴神社に次いで、ここでもロウバイが見られてラッキーでした。


クラブハリエに来たならばお土産を買っていかねばなりません。バームクーヘンでなくタルトを購入しました。


たねやでもお土産購入です。さすが近江商人、商売が上手です。


最後は日牟禮八幡宮にお詣りです。


正月らしい手水鉢でした。



琵琶湖畔の雪山と菜の花(少しだけでした)から沙沙貴神社のロウバイ、そして近江八幡の町並みと楽しい一日になりました。
先日も湖西でお蕎麦やメタセコイアを楽しみましたが、今年も滋賀県には何度も訪れることになりそうです。

※訪問日 2025.1.14

沙沙貴(ささき)神社のロウバイ

2025-01-15 19:15:15 | 花めぐり
琵琶湖畔の寒咲花菜が空振りに終わったので、次は沙沙貴神社のロウバイに向かいました。
同行のMさんがテレビで放映されていたのを観たという事なので期待が持てます。

駐車場に着くと、すぐにロウバイが迎えてくれました。


よい香りが漂います。


沙沙貴神社のロウバイに来るのは二度目のことです。


沙沙貴神社のロウバイのことも、ブログ仲間のtakayanさんに教えてもらいました。


寒咲花菜が空振りだったので、見頃のロウバイは嬉しかったです。


ところが同じように写真を撮っていた男性が「中はまだ咲いてないよ」と言うのです。


とりあえず楼門から中に入ってみましょう。立派な楼門です。


本殿にお参りをしてロウバイを探します。


本殿の裏に立派なロウバイの木がありましたが、確かに蕾でした。


そのかわり「さねかずら」がありました。


こちらは「風鈴ツリバナマユミ」とありましたが、花期は4月となっていました?どちらもドライフラワー?


沙沙貴神社は佐々木姓の発祥地として知られています。


陽の当たる所のロウバイは咲いていました。


狛犬と蝋梅です。


狛犬と黄金色ロウバイ(蕾)です。


「黄金色ろうばい」とありましたが、咲いたところを見てみたいです。


そのあとも境内を歩いて咲いているロウバイを探しました。


青空と蝋梅が綺麗でした。



なんとかロウバイを見ることができて良かったです。

※撮影日 2025.1.14

琵琶湖畔の寒咲花菜はまだまだでした

2025-01-14 18:15:15 | 花めぐり
この時期に恒例行事となった第1なぎさ公園の寒咲花菜(カンザキハナナ)を撮りに行きました。
しかし、なんとまだほとんどが咲いていない状態でした。
毎年この時期には見頃には早いですが、それなりに菜の花が楽しめていたのですが。

それでも何本かの花が咲いていました。


いつもなら黄色い絨毯なんですが。


これはどういうことなんでしょうか??


ポツンポツンと咲いている菜の花を撮りました。


1月の下旬には見頃を迎えることと思います。


菜の花は残念でしたが、比良山系が綺麗に雪化粧をしていました。


先日の大雪が残っているのでしょう。


琵琶湖は本当に広いです。


※撮影日 2025.1.14

ちなみに2024年1月5日の様子です。


こちらは2023年1月6日の様子です。


二上山(日本百低山)へハイキング

2025-01-12 10:25:25 | 山歩き
二上山にハイキングに行って来ました。
二上山は手軽に登れる山なので、私にはもってこいの山の一つです。
コースもたくさんあり、今回も歩いたことのないコースを登りました。

道の駅ふたかみパークを出発すると、いきなり急な階段が待っていました。


10分ほどで登り切ると展望台がありました。奈良盆地が一望です。


これからめざす二上山(左が雌岳、右が雄岳)です。


アップダウンを繰り返しながら登って行きます。


「ながめ坂」に到着です。以前、この左の道から登って来たことがあります。


「ながめ坂」からの展望です。眺めが良いから「ながめ坂」なんでしょうが、私にはここからが長めの坂に感じました。


斜めの坂を登って行きます。ひょっとして「ななめ坂」?


出発してから1時間20分ほどで馬ノ背に到着です。そこから雌岳に行く道には雪が残っていました。


ちょっと野鳥スポットに寄り道です。ヤマガラがいました。ここは以前リスを見た所です。


雌岳頂上は大勢の人で賑わっていました。


金剛山は白くなっていました。この日は金剛山も考えたのですが、一人では不安なのでやめておきました。


定番になったカップラーメンです。


雌岳頂上付近には山茶花が咲いています。


少し下がると開けた場所があり大阪平野が一望できます。


大阪市内のビル群もよく見えました。


大阪湾越しに明石海峡大橋まで見えました。展望を楽しんだら雄岳をめざします。


雄岳(517m)に到着です。


下山開始です。この道は上りで何度か使った道です。


二上山駅と二上神社口駅との分岐です。


葛木倭文座天羽雷命神社まで下りてきました。あとは車道を道の駅まで歩くだけです。


最後に二上山(雄岳)を振り返りました。


前日は各地で大雪が降ったようですが、二上山には頂上付近に少し雪がある程度でした。
寒さもそれほどでもなく、アウターを着ることもなかったです。

※登山日 2025.1.11

廃線跡トンネルを抜けて敦賀へ

2025-01-10 19:15:15 | 知らない街をぶらり
少し前回の最後に戻ったところから話を始めます。

柳ヶ瀬トンネルです。右上に見えているのが北陸道で、いつもはそちらを通っています。
左下のトンネルが旧北陸線のトンネルです。今は道路トンネルとなっています。
単線だったので車1台がやっと通れる幅員なので、信号による交互通行となっています。
現在も使われているトンネルの中で日本で2番目に古いトンネルだそうです。


トンネルの長さは1352mです。トンネルを抜ければ福井県です。


柳ヶ瀬トンネルから少し行った所に小刀根トンネルがありました。


こちらのトンネルは歩いて通れました。


明治の最初の頃に造られた日本最古のトンネルで、歴史を感じます。


敦賀方面にもトンネルが見えました。こちらは道路用に拡張されたようでした。



敦賀にやって来ました。
新幹線の駅が見えました。北陸新幹線はここから先どちらに向かうのでしょうか?


敦賀での目的は氣比神宮へのお詣りです。


氣比神宮は越前國一宮です。(最近マイブームの一宮めぐりです)


松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で、ここを訪れています。



次に向かったのは金ヶ崎城跡です。しかし15分ほど歩かないといけないので、ここから眺めておきました。
金ヶ崎城は「金ヶ崎の戦い」や「金ヶ崎の退き口(のきくち)」として知られています。
越前の朝倉氏を攻めていた織田信長が、浅井氏の裏切りに遭い、命からがら逃げ帰った戦です。


その駐車場の前に廃線跡がありました。調べてみると、なかなかの歴史のある鉄道だとわかりました。


この線は「敦賀港線」と呼ばれていたそうで、開業は明治15年ということです。
明治45年からは東京から敦賀港まで直通し、ウラジオストク行きの客船に接続する「欧亜国際連絡列車」が運行されていたそうです。
先ほど通った柳ヶ瀬トンネルの線路もここに繋がっていたようで、またまた歴史を感じる路線でした。



次にやって来たのは私立博物館です。この建物は昭和初期の「日本洋風三大建築」に一つに数えられるそうです。


周辺の街並みも素敵でしたが「重伝建」ではありませんでした。


杉玉のある店は旧敦賀酒造でした。



敦賀の最後に赤レンガ倉庫を訪ねました。「わかさ」は昔この辺りを走っていた急行なんでしょうか。


海の方から雪雲が迫って来たようです。そろそろ帰路につくことにしました。



念願のお蕎麦を食べたり、鉄道の歴史に触れたり、越前國一宮に参拝したりと充実した日帰り旅になりました。

※訪問日 2025.1.8