久しぶりに古墳の話です。
昨日の日曜日、近鉄電車で藤井寺方面に向かい、周辺の古墳を巡ってきました。
まずは、雄略天皇陵です。雄略天皇は、埼玉稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文や、中国の歴史書(倭の五王)等の記述から、実在した天皇とされています。
様々なエピソードから大悪天皇とも言われていますが、その反面すぐれた功績も多く残している天皇です。従って、その陵墓はきっと大きな前方後円墳だと思われるのですが…。
正面から見た雄略陵は、どこの古墳にもあるような、こんもりした丘陵です。
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しばらく歩いて見えてきたのは、方墳とは別に円墳が池に浮かんでいる姿です。「何じゃ、これは?前方後円墳とちがうやん」とおもわずつっこみを入れてしまいます。
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そうなんです。これは江戸時代の末頃に古墳を作りかえた姿なのです。もともとあった方墳と円墳をくっつけて前方後円墳にしたのですが、どうもうまくいっていません。しかも方墳と円墳の間はちょっとあって、そこには木が植えられていました。
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近くにあった案内板を見ると、もっとよくわかります。(案内板に落書きをするな!)
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この雄略陵も、これまでに何回も書いてきたように、本当に雄略天皇のお墓なの?と疑ってしまいます。実際のところ、ここが(本来の円墳の部分)雄略陵と考えている学者は少ないのだそうです。
次に訪れたのが、藤井寺市にある津堂城山古墳です。ここは天皇陵には治定されていませんが、陵墓参考地になっています。けっこう大きな前方後円墳です。(陵墓参考地というのは、ひょっとしたら天皇陵かもしれないということで指定されている古墳です)
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しかし、痛々しい姿をしています。天皇陵に指定されるのと、されないのではえらい違いがあります。先ほどの雄略陵は指定されたために変な形になったし、ここは指定されなかったので荒れ放題です。前に訪れた、高槻の今城塚古墳(真の継体陵と考えられている)もいい例です。
(資料館にあった航空写真)
おかげさまで、中に入れますが。
(後円部から前方部を見る)
濠だったところは、草花園になっていました。
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神社もありました。
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ところでこの古墳ですが、濠だったところから水鳥の埴輪が発見されました。そんなことから、亡くなって白鳥の姿で飛んでいったと云われるヤマトタケルの墓ではないかと考える学者もいます。
今回も古墳を楽しむことができました。それにしても、まだまだ謎に包まれた古墳が多いですね。
昨日の日曜日、近鉄電車で藤井寺方面に向かい、周辺の古墳を巡ってきました。
まずは、雄略天皇陵です。雄略天皇は、埼玉稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文や、中国の歴史書(倭の五王)等の記述から、実在した天皇とされています。
様々なエピソードから大悪天皇とも言われていますが、その反面すぐれた功績も多く残している天皇です。従って、その陵墓はきっと大きな前方後円墳だと思われるのですが…。
正面から見た雄略陵は、どこの古墳にもあるような、こんもりした丘陵です。
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しばらく歩いて見えてきたのは、方墳とは別に円墳が池に浮かんでいる姿です。「何じゃ、これは?前方後円墳とちがうやん」とおもわずつっこみを入れてしまいます。
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そうなんです。これは江戸時代の末頃に古墳を作りかえた姿なのです。もともとあった方墳と円墳をくっつけて前方後円墳にしたのですが、どうもうまくいっていません。しかも方墳と円墳の間はちょっとあって、そこには木が植えられていました。
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近くにあった案内板を見ると、もっとよくわかります。(案内板に落書きをするな!)
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この雄略陵も、これまでに何回も書いてきたように、本当に雄略天皇のお墓なの?と疑ってしまいます。実際のところ、ここが(本来の円墳の部分)雄略陵と考えている学者は少ないのだそうです。
次に訪れたのが、藤井寺市にある津堂城山古墳です。ここは天皇陵には治定されていませんが、陵墓参考地になっています。けっこう大きな前方後円墳です。(陵墓参考地というのは、ひょっとしたら天皇陵かもしれないということで指定されている古墳です)
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しかし、痛々しい姿をしています。天皇陵に指定されるのと、されないのではえらい違いがあります。先ほどの雄略陵は指定されたために変な形になったし、ここは指定されなかったので荒れ放題です。前に訪れた、高槻の今城塚古墳(真の継体陵と考えられている)もいい例です。
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おかげさまで、中に入れますが。
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濠だったところは、草花園になっていました。
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神社もありました。
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ところでこの古墳ですが、濠だったところから水鳥の埴輪が発見されました。そんなことから、亡くなって白鳥の姿で飛んでいったと云われるヤマトタケルの墓ではないかと考える学者もいます。
今回も古墳を楽しむことができました。それにしても、まだまだ謎に包まれた古墳が多いですね。