はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

音羽山観音寺にお参りしましたが‥

2024-12-10 19:15:15 | 寺社めぐり
奈良県桜井市の音羽山観音寺に出かけました。






けっこう急坂を登り詰めるとお寺が現れます。
駐車場から標高差250mほど整備された林道ですが勾配がかなりあり
雨でも降っていたら下山時はすってんころりん必至です。







とここまでは、ブログ仲間の錫杖流のあとを追いかけたのですが、ここまででした。

詳しくはブログ「錫杖流」をご覧ください。




それではあらためて「はりさんの旅日記」をはじめます。

桜井から談山神社をめざす道から観音寺に行く道を少し上れば駐車場に着きます。


錫杖さんが行かれたのは11月中旬でしたが、この日は紅葉も終わりかけでした。


時代を感じる石碑が立っています。


ここから本格的な登り道がはじまります。


錫杖さんと同じ構図で撮りました(笑)


石仏には花が備えられていました。


テレビ「やまと尼寺精進日記」のように楽しそうな笑い声が聞こえて来そうです。


モノレールがありました。


この橋を渡ればもう少しで到着のようです。


音羽山観音寺のことは、家族で観ていたNHKの「やまと尼寺精進日記」で知っていました。
私よりも母親や連れ合いさんが行きたいといっていたのですが。


駐車場から歩くこと45分、お寺が見えて来ました。


ところがなんと、火曜日はお休みでした(ショック!)


ここから拝ませていただきました。
ということで錫杖さんブログを追いかける事はできませんでした。


上りは気が付きませんでしたが、下山で見ることができました。


駐車場まで戻って来ました。


こちらは車で入って行くところの看板です。


火曜日は休みだと書いてありました(笑)



お参りはできませんでしたが、以前から行きたかった音羽山観音寺に行くことができました。
また機会があれば火曜日以外にお参りしたいと思います。
ご住職にもぜひお会いしたいです。

※訪問日 2024.12.10

石上神宮(いそのかみじんぐう)に参拝しました

2024-10-12 18:15:15 | 寺社めぐり
石上神宮は「山辺の道」の出発点として何度か訪れたことのある神社です。
今回は「山辺の道」ではなく、近くにある「中西ピーナツ」が目的でした(笑)
豆菓子を大量に買い込んだあと、石上神宮に向かいました。

石上神宮のモミジはまだ青々していました。


真ん中は神様の通り道です。


石上神宮ではニワトリが放し飼いされています。


ニワトリは神様のお使いです。


長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅や鳥骨鶏(うこっけい)などがいるそうです。


光が当たってきれいに輝いていました。


石上神宮は大和でも屈指の古社で、古代豪族の物部氏の氏神だったそうです。


また、大和朝廷の武器庫だったといわれています。


朱色が鮮やかです。


ところで、ここは神社でなく神宮です。どんな違いがあるのでしょう。神社本庁の説明を引用します。
「神宮」や「宮」、「大社」、「神社」などの名称は、神社名に付される称号で、「社号」といいます。
また、「神宮」といえば、伊勢神宮を示す正式名称ですが、現在「神宮」の社号を付されている神社は、
天皇や皇室の祖先をお祀りするなど、皇室と特にゆかりの深い神社に限られています。
その例としては、天皇をお祀りしている平安神宮や明治神宮、そして特別なゆかりのある石上神宮、鹿島神宮・香取神宮などです。


石上神社は特別なゆかりのある神社というわけです。


宝物も沢山あったようですが中世以降に散逸してしまったようです。
現在も残っている物で有名なものに、国宝の七支刀(しちしとう)があります。


楼門から拝殿を望みます。拝殿は国宝です。


立派な楼門です。


歴史を感じる神社でした。


ご神木です。


いつもなら、石上神宮から山辺の道へと歩き出すのですが、今回はゆっくりとお詣りすることができました。


山辺の道は何度か歩きましたが、出発点と終点が石上神宮だったり大神神社というのが面白いです。
大神神社も何度もお詣りしましたが、意識していませんでしたが大和國一ノ宮でした。

※訪問日 2024.10.11

<おまけです>
連れ合いさんがいただいた御朱印です。


真ん中の七支刀(しちしとう)のハンを押してもらったので700円だったそうです。
やはり国宝の七支刀です(笑)

若狭國一宮 若狭彦神社・若狭姫神社へ

2024-09-29 19:39:39 | 寺社めぐり
小浜の町をゆっくりと歩いていたら、時刻は2時半を過ぎていました。
小浜では八ヶ寺巡りという興味深い寺院巡りもしたかったのですが、時間がありませんでした。
八カ寺巡りはまた次回にすることにして、今回は若狭國一宮にお詣りすることにしました。

やって来たのは遠敷にある若狭彦神社です。
遠敷は難読地名ですが、あの「おにゅう峠」の「おにゅう」です。


最近、諸国の一ノ宮めぐりがお気に入りですが、やって来たのは若狭國の一ノ宮になります。
祀られているのは「海幸彦と山幸彦」で有名な山幸彦(ひこほほでみのみこと)でした。


神秘的な雰囲気がありました。


夫婦杉です。


駐車場から100mほどで隋神門です。


社務所も無く、人の気配も感じませんでした。神様の庭といった佇まいです。


檜皮葺きの立派な本殿でした。


そして、小浜市内に戻る形でやって来たのが若狭姫神社です。
先ほどの神社が上社で、こちらが下社です。下社には豊玉姫命が祀られています。
こちらには社務所もあり、お詣りの人の姿もありました。


隋神門です。


隋神門からの神門と本殿ですが、大木が森のようでした。


こちらの本殿も立派でした。


この千年杉は実に立派でした。


まさに御神木にふさわしい風格です。


樹高は40mということです。


神社の前に案内板がありました。
この道を山側(地図では右側)に進んで行くと「おにゅう峠」の字が見えました。
ちなみに滋賀県側では「小入」と書きます。


おにゅう峠には2022年の11月5日に、ブログ仲間のtakayanさんに連れて行ってもらいました。
そこは私の大好きな大分水界でもあり、紅葉もとても美しいところでした。
今年の紅葉の頃には友人の車で峠越えをして、また遠敷に行きたいと思います。

※訪問日 2024.9.25

丹生川上神社下社に参拝しました

2024-09-14 19:15:15 | 寺社めぐり
前回は、紀伊國一之宮に丹生都比売神社のことを書いたのですが、今回は奈良県の丹生川上神社下社のことです。
実は、7月23日に天川村の「みたらい渓谷」に行った帰りに、丹生川上神社下社にも立ち寄りました。
実はお蔵入りしていたのですが、神社つながりで急遽引っ張り出してきました(笑)
お蔵入りした理由なんですが、この神社のことについて調べたところ何やらややこしかったのです。
今回はちょっとだけ粘り強く調べてみました。

涼しげな幟が並んでいました。


日本最古の水の神とあるように、水を司る神様です。


前を流れるのは丹生川です。「丹生」の事は前回に触れました。


丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)です。
下社ということは上社や中社があるんでしょうか? はい、あるんです。


私はどちらも行った事はないのですが、少し離れた吉野川大滝ダムのほとりに上社、さらに離れた高見川のほとりに中社があります。


三社とも由緒は一緒だと思います。


天武天皇の頃に創建された丹生川上神社ですが、いつの頃からか所在地さえ不明となっていたようです。


明治時代になって調査研究が行われ、明治4年に現在の下市村、明治29年には川上村の神社が有力視され
それぞれ官幣大社丹生川上神社下社と上社とされたそうです。


しかし、大正11年森口奈良吉による研究調査が認められ、現在の中社が丹生川上神社になったそうです。
戦後は神社制度の変遷によって三社は独立し現在に至ります。


黒馬は雨を祈り、白馬は晴れを願います。絵馬の起源だと言われています。


山百合が咲いていました。


本来一社の丹生川上神社は、明治から大正時代にかけて三社になりましたが三社とも今も丹生川上神社として信仰を集めています。


神様はおおらかでした。

※訪問日 2024.7.23

紀伊國一之宮 丹生都比売神社に参拝しました

2024-09-13 18:15:15 | 寺社めぐり
寺社巡りは以前から好きでしたが、最近は各地にある一の宮が気になっています。
今回は和歌山県にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)に参拝しました。
面白いことに紀伊の国には三つの一の宮があるのです。
そのうちの日前神宮・國懸神宮は和歌山市内に近いので何度かお詣りしました。
もう一つの伊太祁曽神社はこの7月に岩橋千塚古墳群の見学の時にお詣りしました。
そして、今回は丹生都比売神社にお詣りしたのですが、ここは市内からは少し離れた所にあります。

京奈和道のかつらぎ西ICを降りて、紀の川を渡り高野山方面へと山道を上っていきます。
途中から県道4号線を進み天野トンネルを抜けると盆地があらわれ、丹生都比売神社に到着です。

綺麗な朱塗りの鳥居が迎えてくれました。


淀君が奉納されたと伝わる輪橋です。通行は禁止でした。


振り返ります。


さらに鳥居があり、その奥に立派な楼門が見えます。さすが一の宮の風格です。


振り返ります。


この日も暑い日でした。それでも何人かのお詣りの人がおられました。


楼門は室町時代の建造物だそうです。


お詣りします。


本殿は第一殿から第四殿まであります。第一殿にはもちろん丹生都比売大神が祀られています。


境内はさほど広くはありません。


流行りの花手水です。


ところで、丹生都比売神社の名前にある「丹」は辰砂のことを言います。
「丹生」とは丹が採取される土地のことを言います。
日本各地には「丹生」という地名や川の名前、神社の名前も多くあります。
丹生都比売は、この丹を司り、災厄を祓う女神として朝廷からも篤い崇敬を受けてきたようです。


辰砂の鉱石から採取される赤い顔料「丹」には、魔を退ける力があるとされ、神社仏閣の朱色に用いられています。
朱塗りの鳥居から眺める天野の里は長閑な山村でした。


なぜ紀伊國一之宮かは、パンフにこう書かれていました。
「鎌倉時代の元寇では丹生都比売神社は託宣により蒙古の襲来を告げ、この国を守る為に神々の先駆けとして出陣された‥
鎌倉幕府は元寇での勝利をその御神威によるものと畏れ敬い、当社を紀伊國一之宮としました。」


さらに山を上っていけばやがて高野山に至るのですが、高野山との関係も非常に深い神社のようでした。
また、ここは世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも登録されています。


※訪問日 2024.9.11