今回の番場~醒井~柏原にかけては、「壬申の乱」の近江決戦開始の舞台となったところで、歴史好きの私としては、楽しみにしていた区間でもあります。
その前に「壬申の乱」のことを少し勉強しておきましょう。壬申の乱は、672年に、天智天皇の弟の大海人皇子と天智天皇の長子の大友皇子とが、王位継承をめぐって争った戦乱です。結果は、大海人皇子が勝利し、天武天皇となって天皇中心の中央集権国家を建設したということです。「壬申の乱」については、720年に成立した「日本書紀」に書かれています。(巻第28:いわゆる壬申紀。ただし、天武の側に立って書かれたものなので…。)
写真のあたりが、息長横河(おきながのよこかわ)の戦いのあった場所といわれているところです。(これも諸説あるようです)いずれにしろこのあたりで、両軍が激突したのでしょう。耳をすませば、鬨の声が聞こえてくるような気分です。
やがて、醒井宿(さめがい)です。醒ヶ井といえば「名水の里」として有名で、中でも地蔵川の「梅花藻(バイカモ)」を見るために、たくさんの人が訪れるそうです。残念ながら、ちょっと時期が早かったようで、花は見られませんでした。中山道に沿って川も流れていますので、ここだけは何人かの人も歩いていました。
名水にちなんで、「西行水・泡子塚」という場所がありました。休憩が出来るようにベンチもあったので、ここでコンビニで買っておいた、おにぎりを食べました。(街道歩きでは、食堂が無いことが多いので、おにぎり等の非常食を持っておくことが大切です。)
西行水・泡子塚については「西行さんが飲み残した茶の泡を飲んだ娘が男子を出産、西行が念じると泡となった」等が案内板に書かれていました。西行さんにそんな念力あったんでしょうか?街道を歩いていると、そんなおもしろい話によく出会います。バイカモは見られませんでしたが、こんな綺麗な花が咲いていました。(ベニバナトキワマンサク?)
のどかな街道風景を歩いていきます。このあたりは旧梓河内村(あんさかわち)で、ここが「息長横河」とする説もあります。また、古代東山道の宿駅跡とも推定されています。
しばらく行くと、また地道が現れました。なかなか雰囲気がある道でした。この道を古代の軍勢、関ヶ原の落ち武者、大名行列、皇女和宮、そして多くの庶民が歩いたのかと思うと、時代を飛び越えて歴史の中に自分が入り込んでいきそうになるのを感じました。まさに街道歩きのロマンですよ。
いよいよ今回の目的地、柏原宿(かしわばら)です。ここにも古い家並みが、下の写真は、「伊吹堂亀屋左京店」創業寛文元年(1661年)の伊吹もぐさの店です。伊吹山は古くから薬草で有名でした。百人一首の藤原実方朝臣のうたに「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを」というのもありますね。
鳥居本から15キロ、足も痛くなってきました。このもぐさでお灸でもしてもらいたかったのですが、電車の時間が…。
ということで、今回の旅は終わりです。どうですか、中山道を歩きたくなってきたのではありませんか?次回は、歴史のターニングポイント関ヶ原です。5月の末から6月で考えています。よかったらご一緒しませんか。
おまけ!鉄ちゃんが見た風景です。東海道線を走る、「特急しらさぎ」です。中山道なのに東海道線です。
その前に「壬申の乱」のことを少し勉強しておきましょう。壬申の乱は、672年に、天智天皇の弟の大海人皇子と天智天皇の長子の大友皇子とが、王位継承をめぐって争った戦乱です。結果は、大海人皇子が勝利し、天武天皇となって天皇中心の中央集権国家を建設したということです。「壬申の乱」については、720年に成立した「日本書紀」に書かれています。(巻第28:いわゆる壬申紀。ただし、天武の側に立って書かれたものなので…。)
写真のあたりが、息長横河(おきながのよこかわ)の戦いのあった場所といわれているところです。(これも諸説あるようです)いずれにしろこのあたりで、両軍が激突したのでしょう。耳をすませば、鬨の声が聞こえてくるような気分です。
やがて、醒井宿(さめがい)です。醒ヶ井といえば「名水の里」として有名で、中でも地蔵川の「梅花藻(バイカモ)」を見るために、たくさんの人が訪れるそうです。残念ながら、ちょっと時期が早かったようで、花は見られませんでした。中山道に沿って川も流れていますので、ここだけは何人かの人も歩いていました。
名水にちなんで、「西行水・泡子塚」という場所がありました。休憩が出来るようにベンチもあったので、ここでコンビニで買っておいた、おにぎりを食べました。(街道歩きでは、食堂が無いことが多いので、おにぎり等の非常食を持っておくことが大切です。)
西行水・泡子塚については「西行さんが飲み残した茶の泡を飲んだ娘が男子を出産、西行が念じると泡となった」等が案内板に書かれていました。西行さんにそんな念力あったんでしょうか?街道を歩いていると、そんなおもしろい話によく出会います。バイカモは見られませんでしたが、こんな綺麗な花が咲いていました。(ベニバナトキワマンサク?)
のどかな街道風景を歩いていきます。このあたりは旧梓河内村(あんさかわち)で、ここが「息長横河」とする説もあります。また、古代東山道の宿駅跡とも推定されています。
しばらく行くと、また地道が現れました。なかなか雰囲気がある道でした。この道を古代の軍勢、関ヶ原の落ち武者、大名行列、皇女和宮、そして多くの庶民が歩いたのかと思うと、時代を飛び越えて歴史の中に自分が入り込んでいきそうになるのを感じました。まさに街道歩きのロマンですよ。
いよいよ今回の目的地、柏原宿(かしわばら)です。ここにも古い家並みが、下の写真は、「伊吹堂亀屋左京店」創業寛文元年(1661年)の伊吹もぐさの店です。伊吹山は古くから薬草で有名でした。百人一首の藤原実方朝臣のうたに「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを」というのもありますね。
鳥居本から15キロ、足も痛くなってきました。このもぐさでお灸でもしてもらいたかったのですが、電車の時間が…。
ということで、今回の旅は終わりです。どうですか、中山道を歩きたくなってきたのではありませんか?次回は、歴史のターニングポイント関ヶ原です。5月の末から6月で考えています。よかったらご一緒しませんか。
おまけ!鉄ちゃんが見た風景です。東海道線を走る、「特急しらさぎ」です。中山道なのに東海道線です。