二上山(にじょうさん)は、古くは「ふたかみやま」と呼ばれていました。そちらの方が味わいがありますね。特徴的な形をしているので、大阪側から見ても、奈良側から見ても、すぐにそれとわかります。
(麓から見た二上山)
二上山に登るには、近鉄電車二上山駅から登るのが一般的です。頂上(雄岳:517メートル)まで、1時間15分もあれば登ることが出来ます。道もよく整備されています。ただ、残念ながら視界がよくありません。頂上に立っても同じです。
(静かな山道)
頂上には、悲劇の皇子といわれる大津皇子の墳墓があります。(もちろん宮内庁管理です。)大津皇子とは、天武天皇の息子で、文武ともに優れていたうえ、高貴の身分におごることもなく、誰からも愛されていたと伝えられています。しかし、謀反の嫌疑をかけられ、24歳の若さで自害に追い込まれた人物です。実は、持統女帝の陰謀ではないかという噂がもっぱらです。(これも「藤原宮を歩く」で書きました。)
(大津皇子の墳墓)
このお墓も江戸時代に定められたそうで、「百舌鳥古墳群」でも書きましたが、本当に大津皇子が葬られているのかは疑問です。そのことは、すぐ後で書きます。
雄岳からいったん下ると、馬の背と呼ばれる鞍部があります。雌岳にも登ったら、祐泉寺に向かって下山です。
山道が終わると、大きなため池が見えてきます。その手前に、「鳥谷口古墳」があります。
(鳥谷口古墳案内板)
案内板には、7世紀後半に造られたとか、未製品の蓋石が利用されているとか書かれています。そして、この古墳こそが、大津皇子のお墓ではないかと考えられています。その理由として、当時の古墳が山の頂上に造られることはなかったということがあります。もう一つは、「万葉集」に残されている、大津皇子の姉の大伯皇女の歌にあります。「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む」(もう今はいない弟を、これからは二上山と思ってすごそう。)の歌の前文に、「弟の屍を二上山に移し葬る時に、嘆き悲しんで作った歌」とあります。これは、二上山周辺に大津皇子の墳墓があり、しかも改葬墓の可能性を示唆しているのではと考えられるからです。
(横口式石槨:柵の中)
ここが本当の大津皇子の墳墓なのかな?やっぱり古代史のロマンやなと思いながら、駅への道を急ぎました。
(鳥谷口古墳全景)
あっ、そうそう。近くには、中将姫伝説で有名な當麻寺(当麻寺)があります。民族学者、国文学者、歌人としても有名な折口信夫さんの『死者の書』は、大津皇子や中将姫のことを題材にした物語です。その物語を思い出しながら近鉄当麻寺の駅前で、中将餅をいただきました。やっぱり、花より団子ですか。
(麓から見た二上山)
二上山に登るには、近鉄電車二上山駅から登るのが一般的です。頂上(雄岳:517メートル)まで、1時間15分もあれば登ることが出来ます。道もよく整備されています。ただ、残念ながら視界がよくありません。頂上に立っても同じです。
(静かな山道)
頂上には、悲劇の皇子といわれる大津皇子の墳墓があります。(もちろん宮内庁管理です。)大津皇子とは、天武天皇の息子で、文武ともに優れていたうえ、高貴の身分におごることもなく、誰からも愛されていたと伝えられています。しかし、謀反の嫌疑をかけられ、24歳の若さで自害に追い込まれた人物です。実は、持統女帝の陰謀ではないかという噂がもっぱらです。(これも「藤原宮を歩く」で書きました。)
(大津皇子の墳墓)
このお墓も江戸時代に定められたそうで、「百舌鳥古墳群」でも書きましたが、本当に大津皇子が葬られているのかは疑問です。そのことは、すぐ後で書きます。
雄岳からいったん下ると、馬の背と呼ばれる鞍部があります。雌岳にも登ったら、祐泉寺に向かって下山です。
山道が終わると、大きなため池が見えてきます。その手前に、「鳥谷口古墳」があります。
(鳥谷口古墳案内板)
案内板には、7世紀後半に造られたとか、未製品の蓋石が利用されているとか書かれています。そして、この古墳こそが、大津皇子のお墓ではないかと考えられています。その理由として、当時の古墳が山の頂上に造られることはなかったということがあります。もう一つは、「万葉集」に残されている、大津皇子の姉の大伯皇女の歌にあります。「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む」(もう今はいない弟を、これからは二上山と思ってすごそう。)の歌の前文に、「弟の屍を二上山に移し葬る時に、嘆き悲しんで作った歌」とあります。これは、二上山周辺に大津皇子の墳墓があり、しかも改葬墓の可能性を示唆しているのではと考えられるからです。
(横口式石槨:柵の中)
ここが本当の大津皇子の墳墓なのかな?やっぱり古代史のロマンやなと思いながら、駅への道を急ぎました。
(鳥谷口古墳全景)
あっ、そうそう。近くには、中将姫伝説で有名な當麻寺(当麻寺)があります。民族学者、国文学者、歌人としても有名な折口信夫さんの『死者の書』は、大津皇子や中将姫のことを題材にした物語です。その物語を思い出しながら近鉄当麻寺の駅前で、中将餅をいただきました。やっぱり、花より団子ですか。