はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

飛鳥歴史公園散策(高松塚古墳へ)

2024-12-12 19:15:15 | 明日香をぶらり
国立飛鳥歴史公園を散策しています。
中尾山古墳から高松塚古墳へと向かっています。

高松塚古墳壁画館の手前に山茶花が咲いていました。


高松塚古墳のすぐ下に壁画感があります。高松塚といえばこの壁画です。


壁画館を覆うような紅葉が綺麗でした。


そして、高松塚古墳です。ここにも何度も訪れて何度もブログに書いています(笑)


私はいつ見てもプリンを連想してしまいます。


高松塚古墳で壁画が発見されてから52年も経ちました。


高松塚古墳からは葛城山(右)や金剛山(頂上は雲がかかっています)がよく見えます。
被葬者はこの景色が見える所に葬られたのでしょう。


目をこらすと牽牛子塚(けんごしづか)古墳が見えました。
こちらも何度か書きましたが、真の斉明天皇陵と考えられています。
こちらも八角形の墳墓で最近復元されました。


高松塚古墳の後ろの山は柑橘類の栽培が盛んなようでした。


橘は「垂仁天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が常世の国に渡って持ち帰った実」が、それと云われています。


そして宮内庁が文武天皇陵に治定している陵墓にやって来ました。
こちらには拝所もあります。中尾山古墳とは大違いです。


文武天皇陵の前に無人販売所がありました。1袋100円だったので2袋購入しました。


再び高松塚古墳が望める展望台に戻って来ました。やっぱりプリンです(笑)


展望台からの眺めです。


長閑な明日香の風景ですが、よく見るとたくさんの家が並んでいました。


駐車場の奥にある飛鳥歴史公園館の裏の紅葉が綺麗だと教えてもらったので行ってみました。


確かに綺麗な紅葉でした。


今年は京都の真如堂の紅葉が見納めかと思っていましたが、明日香でも楽しむことができました。


静かな晩秋の明日香を楽しむことができました。

※訪問日 2024.12.10

飛鳥歴史公園散策(紅葉の中尾山古墳)

2024-12-11 19:15:15 | 明日香をぶらり
音羽山観音寺を訪れたあと、談山神社のある多武峰を超えて明日香へとやって来ました。
壺阪寺から歩いて高取城に行こうかと思ったのですが、先ほど山歩きをしたばかりなので、いつもの明日香散策にしました。
やって来たのは国立飛鳥歴史公園です。高松塚古墳がある所と言った方がわかりやすいかもしれません。

まず訪れたのは中尾山古墳です。ここには飛鳥歴史公園に来たら必ず立ち寄る古墳です。


なんと紅葉が見ごろでした。


まさか古墳で紅葉狩りができるとは思ってもいませんでした。


見事な紅葉でした。


中尾山古墳なんですが、とても興味がある古墳のひとつです。


なぜ興味があるかと言えば、こちらが真の文武天皇陵と考えらているからです。
文武天皇は天武・持統の孫で、聖武天皇の父親です。大宝律令などを定めた天皇です。


この古墳は発掘調査の結果、八角形をしていたということがわかっています。


当時の天皇陵は八角形で造られていました。


終末期古墳ということで、ここも小さな古墳です。


石槨も小さな物だったようです。これは文武天皇が火葬されて骨壷を納めた記述とも当てはまるそうです。


ここまでわかっているのですが、宮内庁は現在治定(じじょう)されている文武天皇陵から変更することはないようです。


そのおかげで、こんな間近で天皇陵が見られるのです。
まあこんな例はたくさんありますが、それが面白くて歴史の勉強は飽きることがありません。


中尾山古墳から続く尾根筋を歩いています。


谷一つ隔てた尾根から中尾山古墳を眺めました。


次はこの尾根筋にある高松塚古墳に行ってみることにしました。

※訪問日 2024.12.10

明日香周辺の古墳めぐり

2024-10-11 19:25:25 | 明日香をぶらり
明日香の話題が続きましたが、今回も明日香村周辺の古墳の話です。
実は少し前に明日香に行った時のものですが、アップする機会を逃していました。

9月23日に葛城山麓に彼岸花を撮りに行き、明日香に移動中に立ち寄った市尾墓山古墳です。
きれいな前方後円墳というのがよくわかる古墳です。


高取町にある古墳です。全長66m、高さ10mの古墳時代後期の古墳です。


被葬者は地域の有力な豪族であった巨勢氏の首長と考えられています。
駐車場が無かったので、急いで撮影しました。次回は電車で行ってゆっくり見学したいです。



次にやって来たのは明日香にある植山古墳です。(明日香と書きましたが正しくは橿原市になります。)


植山古墳の説明です。
大阪府太子町にある山田高塚古墳へ改葬される前の、推古天皇と竹田皇子の合葬墓ではないかと考えられています。


周辺は公園として整備されていますが、草ボウボウでした。


すぐ近くに見瀬丸山古墳が見えます。林になっている所が後円部で、宮内庁から「畝傍陵墓参考地」に治定されています。
そこから右に丘のようなところが前方部です。奈良県で一番大きな古墳です。
被葬者は、欽明天皇や蘇我稲目などの名前が挙げられています。



もう一つアップする機会を逃していたのが下の写真の束明神古墳の石槨です。


橿原考古学研究所附属博物館の入り口に展示されています。(レプリカです)
束明神古墳は真の草壁皇子の墓と考えられていて、この石槨もそれに相応しいものでした。
橿原考古学研究所附属博物館を訪れたのは8月22日の暑い日でした。

束明神古墳には2021年の11月に訪問し、ブログも作っていますので、それを再掲しておきます。


「明日香の古墳を訪ねて(2)」2021.11.14

明日香の古墳を訪ねています。
今回訪ねたのは、高松塚古墳のような有名な古墳ではなく、マイナーな古墳ばかりです。

牽牛子塚古墳から歩くこと30分でマルコ山古墳が見えて来ました。


なんとなく高松塚古墳に似ていますが、同じ頃に造られた古墳のようです。


案内板です。六角形の形をした古墳だそうで、皇族クラスの人物が葬られているそうです。(天武天皇の皇子説が有力のようです)


墳丘からの眺めです。


発掘調査の時には、高松塚古墳のような壁画が出てくるのではと話題になったようです。(壁画は描かれていなかったようです)


いったん近鉄吉野線の線路まで下りて、再び次の古墳をめざして歩いています。先ほどまでいたマルコ山古墳が見えます。


めざしているのは束明神古墳(つかみょうじんこふん)です。その古墳のある佐田の集落が見えてきました。


道中にはコスモス畑もありました。


集落の中の細い道を歩いていくと、案内標識がありました。


石段の先に春日神社がありました。その境内に束明神古墳はあります。


束明神古墳の案内板です。最後に書いてあるように、この古墳は草壁皇子の真の古墳と考えられています。


円墳のように見えますが八角形だそうです。八角形ということは‥。
草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、天皇に即位する前に亡くなってしまった皇子です。
異母兄弟に悲劇の大津皇子がいるのですが、その話をすると時間が足りなくなってしまいます。


現在、草壁皇子の墓とされる古墳も少し離れた所にあります。「岡宮天皇陵」として、宮内庁によって厳重に管理されています。


帰り道、もう一度マルコ山古墳を眺めながら飛鳥駅にむかいました。やはり古墳巡りはロマンがあって面白いです。


ちょうど近鉄電車がやって来ました。今度は「撮り鉄」に来るのも面白そうです。


この日は天気も良くて明日香を散策するにはちょうど良かったです。
汗をかきながら1万5千歩ほど歩きました。

※訪問日 2021.11.5

以上、寄せ集めのような形になりましたが、古墳めぐりの話でした。

秋の明日香へ(多武峰から冬野へ)

2024-10-10 19:15:15 | 明日香をぶらり
彼岸花が咲く秋の明日香の風景を楽しんだあと、多武峰にやって来ました。
多武峰といえば談山神社で、秋の紅葉は知られていますが、まだその時期ではありません。
実は多武峰にやって来たのには訳があるのです。それは冬野という山村へ行きたかったからです。
私が好きな紀行文『山村を歩く』岡田喜秋 著(ヤマケイ文庫)に冬野という地名が出てくるのです。
それを読んでから、一度は行きたいと思っていた場所でした。

多武峰の駐車場に車を置いて、談山神社の西大門まで登って来ました。


「女人禁制」の石碑がありました。


談山神社なのに「女人禁制」とは?実は神仏分離令以前は、妙楽寺という寺と一体でした。


ここを右に下りて行けば明日香へのハイキングコースです。下の道路は明日香から車で上がってくる道です。
右に行けば冬野とありましたが、なぜか消されたようなあとがありよく見えませんでした。


遠くには金剛山(左)と葛城山が見えました。


地図では冬野までは25分となっていました。人気のない荒れた山道を冬野めざして登りました。


杉林の中を進みます。


グーグルマップにもある「冬野の名水」まで来ました。冬野は近そうです。


民家が見えてきました。冬野に着いたようです。


ところが入村を拒むような電気柵が張られていました。


よく見ると柵を開ける手順が書かれていましたが、何箇所も外すのが面倒な感じでした。
帰りも同じことをするのかと思うと面倒で、ここで引き返すことにしました。(短気な性格です)
実は、別の道で車でも上ってくる事ができるので、またの機会に訪れるとしましょう。

再び談山神社の西大門まで戻ってきました。


石垣の上に石仏がありました。


案内板です。


門の内側にも石仏がありました。


駐車場に戻る途中に木々の間から談山神社の十三重塔が見えました。


駐車場から見えた山々です。多武峰の東側にある山並みです。


山座同定は出来ませんが、音羽山や経ヶ塚山でしょうか?



秋の明日香の最後は、多武峰から明日香に下りてくる途中の棚田の風景です。


ここでも彼岸花を楽しむことができました。


今回、冬野は残念ながら入り口までしかいけませんでしたが、またいつか訪れてみたいと思います。

※訪問日 2024.10.6

秋の明日香へ(大官大寺跡をぶらり)

2024-10-09 18:15:15 | 明日香をぶらり
秋の明日香を歩いています。

飛鳥寺から北へ15分ほど歩いたところに大官大寺(だいかんだいじ)跡があります。


大官大寺の説明ですが、案内板をお読みください(笑)


ここに九重塔がある大きなお寺が建っていたということです。


今は田園風景が広がる明日香ですが、当時は大きなお寺や宮殿が立ち並んでいたのでしょう。
そんなことを想像しながら歩くのも明日香散策の面白いところです。


遠くには葛城山や金剛山がそびえます。


近くには彼岸花の群落?がありました。



再び飛鳥川の方へやって来ました。


この奥の方は、飛鳥宮があったとされる場所です。


この日(10/6)は、元々は曇りの予報だったのですが、良い天気になりました。


飛鳥川のほとりにある弥勒石です。


今は長閑な風景ですが、約1400年前は日本の首都だった場所です。


明日香もあちらこちらで稲刈りが行われていました。



さらに場所を移動して(時間も経過して)橘寺の方にやって来ました。


橘寺は聖徳太子誕生の地として知られています。


その向かいには川原寺があります。川原寺も当時は大きなお寺でした。


飛鳥寺から大官大寺、そして川原寺と明日香の寺巡りのような散策になりました。
想像しかできませんが、どの寺も当時は大きくて立派できっと壮観な眺めだったことでしょう。

※訪問日 2024.10.6