ブラタモリを観た友人から、飛鳥を歩きたいというリクエストがあったので、一緒に歩きました。
明日香は、歴史好きの私にとっても興味の尽きないところです。
何もない所なのですが(失礼)、それが想像力をかきたててくれるのでしょう。
まず最初に行ったのは、水落遺跡です。いつ行っても訪れる人はいません(笑)ここには当時、漏刻(水時計)がありました。といってもわからないので、具体的にイメージが湧くように資料館に行くことにしました。

飛鳥資料館の紫陽花です。

庭に置かれた石人像(レプリカ)です。石人像は1400年前の噴水でした。

この噴水(レプリカ)はブラタモリでは、ハリボテで登場していました。

館内にある石人像は実物です。当時の最先端の石材加工技術で作られたそうです。

これが水落遺跡で使われていた漏刻です。屋根のある館に設置されていたようです。

飛鳥時代の都の模型です。今は、長閑な田園風景が広がりますが、1400年前はここが日本の首都だったんですね。

キトラ古墳の壁画(白虎)も展示されています。もちろんレプリカです。飛鳥では石舞台が有名でしたが、高松塚古墳やキトラ古墳の壁画が発見されたことにより、一気に飛鳥の人気が高まったと思います。

次の目的地は、飛鳥寺です。6月2日に訪れた時は、田植えが始まろうとしていましたが、現在はこのようになっていました。

飛鳥寺は日本で一番古い寺ですが、飛鳥大仏も日本で一番古い仏像です。飛鳥寺は元興寺とも呼ばれ、奈良遷都と共に奈良に移りました。奈良時代は広大な境内を持っていた元興寺ですが、今は小さな寺院が残るのみです。飛鳥大仏の写真は友人がスマホで写したものです。

飛鳥寺のお庭の紫陽花です。

桔梗も咲いていました。

きれいな花もありました。アプリで調べたら「宝石の塔」と出ました。歴史とは関係のない話でした(笑)

飛鳥寺の門から蘇我氏の屋敷があった甘樫丘を望みます。乙巳の変で滅ぼされた蘇我入鹿の首塚も見えます。蘇我氏が滅ぶ以前の飛鳥は、蘇我氏の時代だったといってもいいでしょう。

次回は、石舞台古墳を訪れます。
※訪問日 2020.6.26
明日香は、歴史好きの私にとっても興味の尽きないところです。
何もない所なのですが(失礼)、それが想像力をかきたててくれるのでしょう。
まず最初に行ったのは、水落遺跡です。いつ行っても訪れる人はいません(笑)ここには当時、漏刻(水時計)がありました。といってもわからないので、具体的にイメージが湧くように資料館に行くことにしました。

飛鳥資料館の紫陽花です。

庭に置かれた石人像(レプリカ)です。石人像は1400年前の噴水でした。

この噴水(レプリカ)はブラタモリでは、ハリボテで登場していました。

館内にある石人像は実物です。当時の最先端の石材加工技術で作られたそうです。

これが水落遺跡で使われていた漏刻です。屋根のある館に設置されていたようです。

飛鳥時代の都の模型です。今は、長閑な田園風景が広がりますが、1400年前はここが日本の首都だったんですね。

キトラ古墳の壁画(白虎)も展示されています。もちろんレプリカです。飛鳥では石舞台が有名でしたが、高松塚古墳やキトラ古墳の壁画が発見されたことにより、一気に飛鳥の人気が高まったと思います。

次の目的地は、飛鳥寺です。6月2日に訪れた時は、田植えが始まろうとしていましたが、現在はこのようになっていました。

飛鳥寺は日本で一番古い寺ですが、飛鳥大仏も日本で一番古い仏像です。飛鳥寺は元興寺とも呼ばれ、奈良遷都と共に奈良に移りました。奈良時代は広大な境内を持っていた元興寺ですが、今は小さな寺院が残るのみです。飛鳥大仏の写真は友人がスマホで写したものです。

飛鳥寺のお庭の紫陽花です。

桔梗も咲いていました。

きれいな花もありました。アプリで調べたら「宝石の塔」と出ました。歴史とは関係のない話でした(笑)

飛鳥寺の門から蘇我氏の屋敷があった甘樫丘を望みます。乙巳の変で滅ぼされた蘇我入鹿の首塚も見えます。蘇我氏が滅ぶ以前の飛鳥は、蘇我氏の時代だったといってもいいでしょう。

次回は、石舞台古墳を訪れます。
※訪問日 2020.6.26