少し前回の最後に戻ったところから話を始めます。
柳ヶ瀬トンネルです。右上に見えているのが北陸道で、いつもはそちらを通っています。
左下のトンネルが旧北陸線のトンネルです。今は道路トンネルとなっています。
単線だったので車1台がやっと通れる幅員なので、信号による交互通行となっています。
現在も使われているトンネルの中で日本で2番目に古いトンネルだそうです。
トンネルの長さは1352mです。トンネルを抜ければ福井県です。
柳ヶ瀬トンネルから少し行った所に小刀根トンネルがありました。
こちらのトンネルは歩いて通れました。
明治の最初の頃に造られた日本最古のトンネルで、歴史を感じます。
敦賀方面にもトンネルが見えました。こちらは道路用に拡張されたようでした。
敦賀にやって来ました。
新幹線の駅が見えました。北陸新幹線はここから先どちらに向かうのでしょうか?
敦賀での目的は氣比神宮へのお詣りです。
氣比神宮は越前國一宮です。(最近マイブームの一宮めぐりです)
松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で、ここを訪れています。
次に向かったのは金ヶ崎城跡です。しかし15分ほど歩かないといけないので、ここから眺めておきました。
金ヶ崎城は「金ヶ崎の戦い」や「金ヶ崎の退き口(のきくち)」として知られています。
越前の朝倉氏を攻めていた織田信長が、浅井氏の裏切りに遭い、命からがら逃げ帰った戦です。
その駐車場の前に廃線跡がありました。調べてみると、なかなかの歴史のある鉄道だとわかりました。
この線は「敦賀港線」と呼ばれていたそうで、開業は明治15年ということです。
明治45年からは東京から敦賀港まで直通し、ウラジオストク行きの客船に接続する「欧亜国際連絡列車」が運行されていたそうです。
先ほど通った柳ヶ瀬トンネルの線路もここに繋がっていたようで、またまた歴史を感じる路線でした。
次にやって来たのは私立博物館です。この建物は昭和初期の「日本洋風三大建築」に一つに数えられるそうです。
周辺の街並みも素敵でしたが「重伝建」ではありませんでした。
杉玉のある店は旧敦賀酒造でした。
敦賀の最後に赤レンガ倉庫を訪ねました。「わかさ」は昔この辺りを走っていた急行なんでしょうか。
海の方から雪雲が迫って来たようです。そろそろ帰路につくことにしました。
念願のお蕎麦を食べたり、鉄道の歴史に触れたり、越前國一宮に参拝したりと充実した日帰り旅になりました。
※訪問日 2025.1.8
柳ヶ瀬トンネルです。右上に見えているのが北陸道で、いつもはそちらを通っています。
左下のトンネルが旧北陸線のトンネルです。今は道路トンネルとなっています。
単線だったので車1台がやっと通れる幅員なので、信号による交互通行となっています。
現在も使われているトンネルの中で日本で2番目に古いトンネルだそうです。
トンネルの長さは1352mです。トンネルを抜ければ福井県です。
柳ヶ瀬トンネルから少し行った所に小刀根トンネルがありました。
こちらのトンネルは歩いて通れました。
明治の最初の頃に造られた日本最古のトンネルで、歴史を感じます。
敦賀方面にもトンネルが見えました。こちらは道路用に拡張されたようでした。
敦賀にやって来ました。
新幹線の駅が見えました。北陸新幹線はここから先どちらに向かうのでしょうか?
敦賀での目的は氣比神宮へのお詣りです。
氣比神宮は越前國一宮です。(最近マイブームの一宮めぐりです)
松尾芭蕉も「おくのほそ道」の旅で、ここを訪れています。
次に向かったのは金ヶ崎城跡です。しかし15分ほど歩かないといけないので、ここから眺めておきました。
金ヶ崎城は「金ヶ崎の戦い」や「金ヶ崎の退き口(のきくち)」として知られています。
越前の朝倉氏を攻めていた織田信長が、浅井氏の裏切りに遭い、命からがら逃げ帰った戦です。
その駐車場の前に廃線跡がありました。調べてみると、なかなかの歴史のある鉄道だとわかりました。
この線は「敦賀港線」と呼ばれていたそうで、開業は明治15年ということです。
明治45年からは東京から敦賀港まで直通し、ウラジオストク行きの客船に接続する「欧亜国際連絡列車」が運行されていたそうです。
先ほど通った柳ヶ瀬トンネルの線路もここに繋がっていたようで、またまた歴史を感じる路線でした。
次にやって来たのは私立博物館です。この建物は昭和初期の「日本洋風三大建築」に一つに数えられるそうです。
周辺の街並みも素敵でしたが「重伝建」ではありませんでした。
杉玉のある店は旧敦賀酒造でした。
敦賀の最後に赤レンガ倉庫を訪ねました。「わかさ」は昔この辺りを走っていた急行なんでしょうか。
海の方から雪雲が迫って来たようです。そろそろ帰路につくことにしました。
念願のお蕎麦を食べたり、鉄道の歴史に触れたり、越前國一宮に参拝したりと充実した日帰り旅になりました。
※訪問日 2025.1.8